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盂蘭盆経について

佛説盂蘭盆經 (大正0685) に関する「めも」です。


 

文献の成立について

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中国産の、産地偽装

冒頭に「西晋月氏三藏竺法護譯」と「訳」とありますので、文献はインドで作成され、 中国には翻訳文献として伝わった‥ようにも見えますが、じつはそうではなく、 中国原産のものをインド原産と偽った産地偽装、いわゆる「偽経」の疑いがきわめて 濃厚、というかほとんどクロであると考えられています[*1]

 また、それゆえ「7月15日は「僧自恣」の日で、その日に供養を‥」と書かれてはいますが、 それはいわゆる「当て馬」というやつで、本当のところは中国の「中元」の日に供養を‥ と書きたかったけれど それだとこのテキストが中国産なのがバレバレなので「僧自恣」と いうことにしておいたのでは、ということは あちこちで言われています。しかも 日本では「祖霊崇拝」「餓鬼供養」をキーにして それと「施餓鬼会」[佛説救抜焔口餓鬼陀羅尼經]とが 合体してしまい、さらに混迷(?)を深めています。

 ちなみに。「祖先供養」的要素の強さ、というのが本経が中国産であるとされる 主な要因とされています。これはどういうことかというと。まずインドでは輪廻思想というのが 主流のため、遠い先祖を供養するという考えが起こりにくいこと。また

インドの僧侶は家族や親族を「捨てた」者であり、僧侶が自分の家族 や親戚のために修行したり、祖先崇拝のための儀式に専念するということは考えにくいことで あった。(立川武蔵(2015)『弥勒の来た道』(NHKブックス1229), p.192)
‥という理由もあるようです。そんなに先祖を大切に思うなら、そもそも出家したらいかんだろ。 ということですね。

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徐々にできあがった経典

 この文献の成立について。 「盆」の解釈が、経の前半と後半で異なっている点に岩本1979は注目します。 後半では「盆」は完全に盆器として書かれているが、前半はそうではない、というのです。

これを手がかりに調査した結果‥

  • 前半部分は西暦510年頃より前で、しかも510年とはそんなに近いわけではない時期に中国で作成され (これらに関するp.19あたりの岩本の推測についての批評(金倉1971)がp.349に)、
  • 後半部分は6世紀中頃に追加されて原形になったのでは? と(p.17)
つまり。「盂蘭盆経」は ある日ある時に誰かある特定の一人の人が何かの意図をもって「ニセモノ」を 作った‥というのではなく。 物語が人から人に渡っていく途中で、最初は口述だったものが やがて記録され、 さらに記録が補足され‥といった感じで、 それなりに長い時間をかけて、ちょっとずつ改訂されながら、現在の姿になった。 ‥そんな感じに作成されたんだろうことが予想されます。 (もちろん、そんな感じで作成されたのは「盂蘭盆経」だけではなく、 現存する仏教経典はほぼ全部 多かれ少なかれ そんな感じで作成され熟成された文献のはずです。)

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水との関連?

 また澤田1991は本経の成立について「この経は実は東晋時代の末期(400年前後)に出現したものと 推定されている」(澤田瑞穂(1991)『修訂 地獄変 --中国の冥界説』平河出版社., p.127)と 述べています。

 東晋などとの関連については、お盆などの行事においては「精霊流し」など、川など水辺と関連した 行事との関連が無視できない、と澤田1991は考えているようです。たしかに 「お盆」のネタ元とされている 『佛説盂蘭盆經』『佛説救抜焔口餓鬼陀羅尼經』を見ても、 川なんて全然出てきてないのに、ちょっと不思議な感じはしますよね。この点について澤田1991曰:

江南地方は水の多いところだから、水による 横死者が多い。施餓鬼法や水陸会は、その水死者を度脱し、かねて代替を討める水鬼を宥め、あるい はすべて水辺より発する疫病などの災厄を除こうとするものである。ことに水陸会は梁の宝誌禅師によ って制定せられたとし、京口金山寺を発祥地のように伝えるのは、梁の武帝時代に仏教が栄えたから というだけでなく、江南文化の中心地だったからである。この伝統が盂蘭盆会にも滲透し、水の少な い北方でも、やはり供養の場所を水辺に選ぶことになったのである。 (澤田瑞穂(1991)『修訂 地獄変 --中国の冥界説』平河出版社., p.127.)
つまり、中国で施餓鬼会、盂蘭盆会などの仏教系行事が 広く行なわれるようになったのは梁(南朝)の武帝時代(6世紀前半)からであり、 その梁は江南文化の中心地であり、つまり水に関する事故、災厄、そしてその供養に関する需要が 非常に多かった、と。それゆえ中国で行なわれる仏教行事の中に 水、そして河川に関係したものが いろいろと入り込むことになった、と。

 そしてたぶん、日本における仏教的・民俗的行事(とくに先祖供養関連)の中に 川に関するものが含まれている場合、 ひょっとしてこの影響もあるのかなー、と。そういうことを妄想したくなりますよね。
 ただ、「『この世』と『あの世(異世界)』をつなぐ川」というモチーフって、意外と あちこちに 共通要素がありそうなものでもあるんですよね。んー、あまり簡単にはいかないか。


*註1
なんで中国産をニセモノ、「偽経」と呼んでしまうのか。仏教で「お経」と呼ばれるものは(歴史的に 本当かどうかはさておき)基本「仏説」、つまりブッダが説かれたもの、という設定になっています。 そして正式に(?)現実世界に出現したブッダといえば、普通、歴史的人物であるところの ゴータマ・ブッダ、日本だと「お釈迦さま」だけです。そして(歴史的人物としての)お釈迦さまの 活動範囲はインド文化圏のみでしたから、つまり「お経」もインド産以外ありえない、 中国産とか日本産が存在し得る余地なんかない、ということですよね。
 さて。この『盂蘭盆経』について、(儒教的価値観でガチガチに固まっている中国社会に仏教を 受け入れてもらえるように) 仏教的世界観へ儒教的雰囲気を導入しようとして ずいぶん苦労したはずだが、 ずいぶん矛盾した内容を残してしまっている、という指摘もあります。曰: もしこの経典に書かれているとおり、7月15日のお坊さんへの供養で祖先が救済されてしまうなら (目連の母は一発で生天してしまいましたが)、これ、 一回だけやれば二回目をやる必要はないじゃん、なんで毎年やるのか。 (←この指摘をはじめて見たとき、つい「確かにそのとおりだ!」とヒザを打ってしまいました^^) 何度もやるってことは、つまり祖先はお盆が終わったらまたあのイヤな畜生餓鬼地獄界に戻るということか? というか、仏教世界は輪廻転生が前提なんだから、すでに先祖は別の存在として別世界に生まれ変わっていて、 我々の先祖としての形骸は留めていないはず。となると我々は何に対して供養をするのか? など (加地伸行(2011)『沈黙の宗教--儒教』ちくま学芸文庫, p.71. ちなみに加地2011は、 日本人の死生観・葬送儀礼・先祖供養(お盆など)の背景について、 我々日本人の大多数はそれは仏教だと漠然と信じているが実はそうじゃない、 どう見ても儒教だよ、と主張しているのですが、その文脈で上のような指摘が出てくるわけです。 『盂蘭盆経』は仏教的世界観から見るとおかしい点が多いけど、儒教的世界観からなら納得できる、と)。
 また加地2011の同じページには、日本仏教では「信者たちは教義や論理はひとまず横に置いて、先祖の 魂が畜生界・餓鬼界・地獄界にいるなどとは絶対に思っていない」という指摘があります。 確かにそうですね。日本では亡くなると皆さん「成仏」してしまいますから(^_^;‥‥ 日本では江戸時代、1月16日と7月16日の年2回 「地獄の釜が開く日」[URL]があり、 その時期は祖先がお帰りになってくるので お迎えする行事を‥という習慣がありました(今のお盆とか小正月行事って、その名残ということですよね)。 「地獄の釜のフタが開くときに先祖が帰ってくる」という流れからは、 江戸時代の人たちは自分たちのご先祖は地獄にいる、という意識を 持っていたようにも思えますが。でもこの「地獄」って、なんか軽いんですよね。 風呂に入ったときについ「極楽極楽」と言ってしまう程度(いや、私はそんなこと言わないですけどね。 為念)の軽さしか感じないのは私だけでしょうか。中世期の 日本人の死後観には「極楽浄土、さもなくば地獄」という二項対立的図式があったと思うんですけど、 近世の頃になってくると「極楽浄土」への切望感が薄れるとともにその価値も薄れてきた、すると その対立項であった「地獄」もその苛烈さを失い、単純に「死後の世界」的な使われ方になっていった、 そんな感じなんでしょうか。
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