ここで新たな疑念が生じてくる。平安時代初期の薬師寺で「外道」が 「人間ならぬ、宜しからぬもの」として使われている、それもおそらく 「外道」の中心的な意味として用いられているとするなら、時代・場所的に 考えてみると、
日本に「外道」が入ってきた時点ですでに「外道」は 「人間ならぬ、宜しからぬもの」という意味を中心的に 持っていたのではないか。このような気がしてくるのだ。となると、やっぱりインド・中国あるいは 韓国での用法を調査しないわけにはいかなくなるね (^o^;
ところで。 ふと思ったんだけど、「人間ならぬもの」というよりも 「生まれそこね」のことを言ってるのでは? という気がしてくるんだ。 「四生」というのがあって、人間はそのうち「胎生」に入るはずなんだけど、 この「霊異記」に出てくる尼はそうじゃない。「卵生」なんだよね。 つまり「人間に生まれてくるはずだったけど人間にならなかった」という 存在という点で、単なる「非人」(これは文字どおりの意味ね。霊異記には 「頭は牛で身体は人」が出てくるとそれを「非人」と呼んでいる) とは区別されている。
[後日談]
この仮定は取り下げ (-_-)
でも輪廻説は漢訳文化圏にも伝わったわけだから、
「ちゃんと輪廻して人間として生まれること」を「道」と表現することが
あるなら、それに対する「外道」としてこの用法がおこなわれるように
なった、という筋道はつくよね。
# 「ちゃんと輪廻して」というのは書きながら ?????? 状態だけど (^_^;
問題は、どこを探せばこれ以上の手がかりが得られるかについて、 ぜんぜん見当がつかないことだ (^o^;
あ。ところどころに出てくる本の書誌データをここに付けておくっちゃ。
中村大辞典 // 中村元,『仏教語大辞典』(縮刷版), 東京書籍, 1981.
「生まれそこね」--> 「気の流れが正常ではないもの」こういう展開になったりしない ?! かなり強引? 強引? 強引? (^o^;
「気の流れが正常でないもの」 --> 「『道』にそぐわないもの」 --> 「外道」
と。ここで気付く。漢和辞典をまだ引いてなかったことに (^_^;;
さっそく手元にある「角川 漢和中辞典」と「角川 大字源」なるものを引いてみる。
(手元にはこれしかない) . . . ダメだ。これは川内(かわうち。
そこに文学部がある。ちなみに、アイバがいつもいるとこは片平。かたひら)
まで行って諸橋を引いてみるしかなさそう。
とりあえず漢和中辞典でわかったことはこんなこと。
当時の中国人は「外道(な人間)」を言われると、どうしても 「気が乱れた人間」 --> 「生まれそこね」をイメージしてしまう。 そのため、いつしか「外道」はその意味で使われるのが一般的になって しまい、その用法が日本にも入ってきて古くから使われていた。でも実は単に「仏道にはむかうやつ」-->「パーピーヤスのようなやつ」--> 「悪魔のような、凶々しいやつ」--> 「人間以下のやつら」という、 単にそれだけのような気がしないこともないんだよな。 これだとアリキタリで つまんないんだけどさ (-_-)
あ、でも。もしそうだとすると、サンスクリット文献にもそーいう用法が あっても不思議じゃないよね。中世仏教説話文献とか。... でもあのへんは ほとんど写本しかない状態なんだよな。しかも、ほとんど手つかずの状態の。 げろげろ (-_-;
アンリ・マスペロ著,川勝義雄訳,『道教』(東洋文庫 329),平凡社どうも「古典的名著」といった位置付けがなされているらしい 本である。そこで買って読んでみることにした。
道教徒の目にうつった仏教とは、不死を得るために新しい 方法としてであった。また、そのために仏教を受けいれた のであった。仏教は新しい方法をもたらしたが、仏教の涅槃 とは道教的救済にほかならなかった。 ... (略) ... 仏教は、黄巾よりも厳格で、穏健で、しかも合理的な、 道教の特殊な一派であった。 (p.216,l.L4)実際、歴史書などによると、仏教を保護した人物は 道教の信徒が多かったらしい。このことは当時の 漢訳経典からもうかがえる、とこの本ではいくつか 事例をあげて説明したのち、このように書いてある。
仏教の涅槃と道教の不死とは、当時の人々の心のなかで 混同されがちであった。ニルヴァーナの訳語として、 「滅度」(解放)という道教の言葉が採用されたとき、 事態はそうならないでいられようか。(p.215,l.L3)ことは滅度にかぎらず、たとえば dharmacak.sus を 「道眼」と訳した例があるなど、古い時代の漢訳経典には 道教系統とおぼしき単語がよく使われることは我々も よく存じていることであり、また、それゆえ当時の 人たちにとっては仏教は道教の一部あるいは非常に類似した ものと考えられたことは非常に自然な成り行きである。
そんな中で、彼らは「外道」という単語からいったい 何をイメージしたのか。おそらくここに、 「外道」の語義が多様化した原因があるとアイバは疑っている わけだ。
アイバがちょっと見てみた感じでは、道教に「外道」という 術語は存在しないようである。よって「道にはずれた者」 というものから彼らが何を連想したか、について妄想を 膨らませてみることにした。
「道」とは何か。
世界の真の支配者はこの神ではなく、それは非人格的な 「道」であり、世界は「道」の変容によって出てきたと されるからである。(p.29,l.2)この表現はたぶん以下の文とつなげてもよいはず。
道教徒によれば、世界の始めと終りは同じである。すなわち それは、万物がそこから出て、またそこへ帰る「混沌」である。 万物はいろいろな程度に変形を受けた「気」から作られている。 この変形は「結ばれる」・「凝る」という言葉で説明され、 変形の結果、気はしだいに物質化する。 (p.32,l.1)また、人間の身体について以下のような説明がある。
実際に、人間を形づくっているものは、一つは物質的な 身体であって、それは、混沌が分散したときに下へおりてきた 粗雑な気からできている。 (p.76,l.L1)かくて人間の身体と「気」ひいては「道」との関連が できてくるわけだ。(ちょっと強引かも) そして道教において最も重要とされる「永生」と 「気」の関係については以下のようにつながる。
古代の道教徒にとっては、永生は物質的な肉体が生きながらえる ことにおいてのみ可能であったから、死すべき重い身体をば、 骨と肉とが金と玉でできているような、不死の軽い身体に変える ために、かれらには多くのなすべきことがあった。(p.107,l.L7)人間はなぜ死んでしまうかというと、その物質的な原因として 「人間の身体は粗雑な材質でできているから」というのが あげられており、永生を達成するための物質的な条件として 「人間の身体の材質を純化していくこと」があげられている。 かくて「得道」(この場合の「道」は「到達点」の意味ととる べき? p.300,l.A3)の道士とはどういった属性をもった存在に なるかというと、こんな感じになる。普通の人間が穀物を食べて、その身体の素材を同じく粗雑な 素材と毎日とりかえているのに反して、道教徒は気を摂ること によって、この素材をますます純粋な素材といれかえている のである。 (p.132,l.L1)
「道を得た」道士、「真人」、ましてや「聖人」といわれる 人々などは、みな永生者である。 (p.220,l.11)てことは「道を得る」ってことは「身体を純粋な素材に していく」ことなしには成り立たないわけだ。そのような 状況において彼らが「外道なやつ」と聞くと何をイメージ するか?? 「道を得る」のとは反対の方向、つまり身体の 素材が常人よりさらに粗雑で、いわゆる「生まれそこね」な 存在をイメージしてしまうのではないか?? ... 無理がある??
しかし、そう簡単にはいかないかもしれない。
実際に、この点こそは後に六朝の道教徒が到達することに なったところである。かれらは、「道」が神々と人間を教化 するために、人間の形をとり、「道君」になるのだと考えて いる。 ... (略) ... そして古代の書物に見える老子とは、 この神が人間を教化し、かれらに救済の道を教えるために、 この世に降臨した数多くの表われのなかの、一つの表われに ほかならないとされていた。(p.29,l.9)これはどうも仏教の影響も見て取れるようだ。(see. pp.193-4) それはともかく、こうなると、ここまで妄想してきた 「道に近付くことから外れる」ことと「身体が粗雑であること」の 同義性が崩れるような気が.. (-_-;;
仏教においては、仏教以外の宗教や思想をすべて外道、外教あるいは 外法などと呼んでいる。サンスクリットの原語は (anya-)tiirthaka であって、(その宗教より)以外の宗教およびその信者、すなわち異教、 異教徒を意味している。外道に対して、仏教はみずからを内道、内教、 内法などと言う。しかし、仏典中に用いられた外道の意味は必ずしも 前述のように広くはなく、主として、古代インドにおけるものを指し ており、六師外道、九十五種外道などすべてインドの外道である。 中国の儒教や道教、日本の神道などは普通外道とは言わない。 外道が仏教側から見て正しくない教えを意味したところから、この 言葉はひろく、屁理屈家や邪説を述べる者という蔑称となり、 また人をののしる語ともなった。また日本では、災難をもたらす厄神を 指して悪魔外道と言い、それら厄神の姿形や邪悪の相の仮面をも 外道と呼んでいる。仏典では「インドにおける異教」に限定されている。そして 「この言葉はひろく .. 蔑称となり、また人をののしる語ともなった」と。 そしてこのあとに「また日本では..」と続くことを考えると、 だいたい以下のようなことが言えそうだ。
中村『仏教語大辞典』は、さすが!! 出典がこれでもかと列挙されているけど、 ここには蔑称としての記述がないので、この文脈ではあまり役に立たない。 (しかし、これにより仏典では蔑称として用いられることは滅多になさそう、 という確信に近い思いができあがる)
うーん。
でも「屁理屈家や邪説を述べる者への蔑称」から「人をののしる語」、
さらに「人でないものを指す語」へと、そんな簡単に変遷しちゃえる
もんなのかなあ?? 中国に仏教が伝わったのが後漢の後期(?)とすると
100-200 年頃で、奈良の景戒が 800 年頃。つーことは 600-700 年
くらいの幅があるか。... けっこうデカい幅だなあ。可能かも (^_^;
でも人間を指す蔑称が、のちに人間以外を指すような変遷をたどった
単語なんてそんなにあるのかなあ?? 逆ならありそうだけどね。
人間以外に対する呼称を、人間に対する蔑称として使用したのが定着とか
いうやつなら。(「このブタ野郎!!」「政府の犬が!!」とか)
まあ、いずれにせよ中国古典の世界に入っていかないとこれ以上は 埓が明かないような感じ。げろげろ。
ちなみに日本の場合、平安時代の頃はこんな感じ。
. . . というのはともかく。 具体的にどのように人間と思われていなかったかについて、 以下の本:
海保嶺夫,『エゾの歴史 -- 北の人びとと「日本」』(講談社選書メチエ 69),講談社,1996この本から関連部分を紹介しておくことにしよう。
14世紀初期の津軽での戦乱に参戦した武士が書いた 『諏訪大明神絵詞』という本に記述があるそうで、その記述が示されている。 その本は...
エゾのありさまを具体的に記した最古の史料とされていた。 エゾには「三種」あり、皆「夜叉」のごとくであり、穀食をとらず 肉食のみで、農耕を知らず、言語はほとんど不通で、多毛である……。 これが十四世紀初期のエゾの現実の姿(=同時にアイヌ民族のこととする)と されていた。(p.80)それに続いて、『平家物語』における鬼界が島の様子をあげたうえで..
住民はとても人とは思われない。言語不通、肉食、多毛、穀類もない云々とある。 この描写は先の史料の「蝦夷が千嶋」の描写とおどろくほど一致している。 この事実を最初に取り上げた大石直正氏は「東西のちがいはあっても、 国の境の外に住む人びとは共通の特色をもっているものと受けとられていた」 と指摘している。(p.82)つまり「とても人間とはいえず、農耕・穀物を知らず、肉食で、言語が通じない」 という「野蛮」「辺境の民」のステレオタイプなイメージを蝦夷(そして東北人) に対して持っていたということだ。この『諏訪大明神絵詞』が書かれたのは 14世紀のことらしいけど、きっと平安の頃から--すくなくとも鎌倉期から そういうイメージは持たれていたことは確かだよね。 だって『平家物語』に類似の記録があるわけだから (-_-)
で、たぶんこれと似たような「野蛮」「辺境の民」的なイメージの押しつけを、 当時の中国の人たちが「外道」に対して持ってしまった可能性はないのか? と。 だって彼らは実際にその人たちを見たことがなくて、 ネガティブなイメージで空想してみることしかできないわけだから、 そういうイメージを持ってしまっても無理はないよねー。
根が揃ってないものは出家できなかった。(うろおぼえ)とか書かれてある!! がーん。晴天の霹靂ッッ!!! (^o^;;
今まではこんな妄想を持っていた:
仏典が漢訳されだした頃(後漢から六朝時代にかけて)に、 道教における「道」からの連想で「外道」に 「人間でないもの」という意味がついた。何故? については、 いろいろ妄想できるけど、今のところどれもイマイチだなあ。しかし。「身体障碍者は出家できない」 --> 「身体障碍者は道に入ることができない」 --> 「身体障碍者は外道である」 . . . という線を引いてみると、 じつにスッキリした展開に!! (^o^) しかも説得力がある!!! (^O^) (^O^) 目からウロコが落ちた10月20日は「外道記念日」.. これは暴走かも (^_^;
あっ。ちなみに「根」というのはサンスクリット語の indriya に 漢字を当てたもので、基本的には「感覚器官」のことね。 具体的には眼耳鼻舌身の5つのこと。つまり「根が揃っていない」 (うろおぼえ)というのは今で言うところの身体障碍者に当たると 考えてよさそうだ。
さて。ではその身体障碍者は仏教においてどのような扱いを受けていたか。 これについては東北大の谷山が「古代インドにおけるハンディキャップを もつ人々」というタイトルの研究をしていたことがあって(今もやっているか どうかは不明) そこでいくつか言及されているので、 どのへんを探せばそのテの記述があるかについては割と簡単に知ることが できる。ここでは谷山があげている事例のうち、たまたま手元にあった 『根本説一切有部毘奈耶出家事』(Taisho 1444)のラスト近くにある 記述を紹介しよう。(Mithila 107-5,デルゲ 130a6)
(p.1040c,l.L8) 後於異時。ウパナンダは一人の無手(hastacchinnaka,lag rdum)を見かけて、 声をかけました。 「きみきみ。きみは今なんで出家しとらんの?」 「儂のような無手之人(hastavikala,lag pa ma tsha^n ba)を誰も 度してくれんからです」 ウパナンダは言いました。 「世尊教法は慈悲寛恕だ。この私が度してやろう」 そして彼は戒律を授かったのです。要するに(先天的・後天的を問わず) 身体障碍者は出家を禁止されていた、と。 ただし、この決まりがいつから制度化されたのかは不明ね。 あちこちの律文献に出てくるみたいなんで、 けっこー昔からあったような気はするけど。 (佛言とされていることは教団成立当初からあったことの理由にはならない。為念)数日が経過し、所是威儀たん(口敢)食等事を全部教えおわりました。 「汝可不聞。鹿不養鹿。 シュラーヴァスティーはバカでっかい。 そこに行って、乞食自供しなさい」 「そうしたいんですけど、どやって乞食しませう??」(p.1041a,l.1) 「具寿よ。教えてやろう」
かくて、3つの衣を縄で結んで身に着け、また鉢袋盛は左のヒジに、 錫杖を右のヒジに結んだ彼はシュラーヴァスティー城に入ったのです。 すると一人の女が胸をたたいて言いました。 「誰がこのような非法毒害をおこなったのです?! 出家の方の 双手を切るなんてことを!!」 「姉妹よ。私がまだパンピーだった頃に切られたのです。出家の後では ありません」 「度したのは誰です?」 「私を度したのはウパナンダにござる」 「かの悪行無知な六衆以外にも、こんなヤツを出家させる人が いるなんて!! (@_@;」
そのとき出家者たちはこのことを佛に告げました。佛は仰せです。 「ビクたちよ。かような不完具者を度するのには過失がある。 不完具者とゆーのはこういう者たちだ。無手。無指。無足。 欠唇。無唇。それと諸根不具なのは全部ダメね。 もし此類を度したら得越法罪」(p.1041a,l.11)
では、なぜ身体障碍者は出家してはいけないのか? いろいろコジツケは 可能だとは思うんだけど、ここでは『仏説温室洗浴衆僧経』(Taisho 701) というやつを使ってみよう。この経典によると、 出家の者が沐浴すれば、以上のような7つの《福》があるという。
四大無病,所生常安などで人々に尊敬される/ 所生清浄,面目端正などで人々に尊敬される/ 身体常香,衣服清浄などで見る人を歓喜させる/ 肌体濡沢により威光徳大/ 垢を落とせば自然と《福》を受け、宿命を見分ける/ 口歯香好/ 自然に衣装がひかり輝くここでは「人々に尊敬される」「見る人を歓喜させる」「威光増大」 という表現が目をひく。どうも以下のようなことが言いたいらしい。
パンピーは出家者に布施をすることで、その福徳の分け前をいただいている。 仏教ほどすぐれた宗教はないので、同じ布施をするなら仏教の出家者に 布施をした方がパンピーはハッピーになれる。そのためには、 パンピーが異教に走ってしまわないよう、仏教側の出家者たちも 気を遣ってやる必要がある。具体的には、 面目端正・衣服清淨に気をつけることによって、パンピーが仏教の出家者を ひと目見るだけで尊敬の念を持ってしまうようにすればいいじゃないか!! (実際、仏伝とかを見ると「すがすがしい表情をしている」みたいな 表現はよく出てくるよね)まー、筋は通っているとは思うんだけど「面目端正・衣服清淨」を 出家者自身が気をつけるとゆーのは、ちょっとグレーゾーンな気が しないこともないよね (^_^;
で、たぶんそれと同様の理由で、一般の人たちに見下されがちな 身体障碍者の人たちの出家は歓迎されず、結果としては「出家しては いけない」とされてしまったのではないか?? という気がしてくるッスね。 谷山は「在家信者からの”見た目”を基準にして、出家できるかどうかが 左右されていたことになる」(引用符はママ) 「パトロンである在家者から 要請されたことは、出家者にとっては本筋からはずれるようなことでも、 多少は従わざるを得ない状況にあった」(「平成8年度第一回印度学研究会 発表資料」と書かれたレジュメからの引用) と指摘しているわけだけど、オレも やっぱり在家信者との関係でこーなっ たんだろうなあ、という気は ものすごくする。ただそれが在家者からの 要請によるものなのかについては よくわからない。でも 『仏説温室洗浴衆僧経』は在家信者の医者がやってきて 沐浴を勧めるところから話が始まってたりする (そして仏が沐浴の利点について語るという展開になる)ので、 「出家の方は、尊敬しやすいような外見であってほしい」という 信者側からの暗黙の要請があったと考えても そんなに的外れという ほどでもなさそうだなあ。でもまあ『出家事』とかを見てると、 「親の了解を得てないとダメ」とか「負債を抱えてるのはダメ」とか 「親殺しはダメ」とか、「社会とのかかわり」によって制定されたと おぼしき記述があちこちに見られることは確かだよね。
谷山 (or 谷山1995) // 谷山洋三,『律文献に見られる「社会的弱者」について -- ハンディキャップをもつ人々 -- 』,修士論文,1995.
この修論を読んでみたところ、いろいろ思うところがあったので、 それを以下に列挙してみる。 ただし谷山が論文で述べたいことと、アイバがここで関心を持っている ことは合致していないため、論文の内容にはほとんど立ち入れない (-_-;
animittaa 無相女 (パーリ) // 女根具足 (五分) // 無道 (有部)(「有部」とは「根本説一切有部百一羯磨」のこと。らしい) ここにあげられてるパーリ語の意味がわからない (『さまんたぱーさーでぃかー』だっけ?? を見ればわかりそうだけど、 これを見るためだけに文学部に行く気はしない^^;) ことは忘れる。で、 この谷山の表を信用すると (間違っていないように思えるが)、 「有部(根本説一切有部百一羯磨)」の用法を見た限りでは、 「道」は「お○んこ」のことを指しているらしいことがわかる。 また「二道合」「二道合道」などの用法もそれを裏付ける。 つまり「道」とは肛門とお○んこの両方を指す単語として 使われることがあるのだ。とくに律文献では。
nimittamattaa 小相女 (パーリ) // 女根不小 (十誦) // 小道 (有部)
二道合 (五分,十誦) // 二道通 (僧祇) // 二道合道 (四分,有部)
また肉体の一部としての「道」に関しては、おそらく maarga のほうの 単語が使われているんじゃないかと思う。そういえば 「出家事」のサンスクリット文 (ただし Mithila のやつ。ちょっと 危ないかも^^;) を見てみると、すでに紹介した「両腕が切り落とされた 人間を出家させてはいけない」という話に続いて「(略).. 跛とか足が 膨れ上がってる人を出家させました / 世尊は仰せです / そのような 種類の者も出家させてはいけない / 出家させたら saatisaara と なる / 」そして以下のような文がくる。
bhik.sava.h striicchinnaan bhaaracchinnaan maargacchinnaan kandaliicchinnaka-taalamuktakaan pravraajayanti / (p.107,l.26-7)この maarga-cchinna を直訳すると「道(が|で)切られた者」。うーん。 これを最初に目にしたとき、上の谷山情報との絡みで「maarga == 肉体的な何か」と 取れればなあと思った。でも、この部分の漢訳は「渉路而損」である。 (『梵和大辞典』,『出家事』p.1041a,l.16) . . . 読み下すと 「路を渉りて而りて損ずる」か。うーん。
この部分のチベット語訳を見てみる。東北大なので迷わずデルゲを見る (^_^;
# ペキン版はコピーすると手が真っ黒になるしー
/ dge slo^n dag bud med kyis dub pa da^n / khur gyis dub pa da^n / lam gyis dub pa da^n / ya zam lug da^n / gta.h gam ba dag rab tu .hbyin par byed nas .. (デルゲ 131a2-3)直訳してみる。 「ビクたちよ。女によって消耗した者、重荷によって消耗した者、 道によって消耗した者、ターラムクタと カンダリーチンナ(そのまま Lokesh Chandra の辞書に取ってある^^;) な者どもを出家させたら」 . . . ふむ。 cchinna を「体力的に 切られた」「切りとられてそっち側に持っていかれた」と取ったわけね。 (解釈しすぎかも) でも「女・重荷(あるいは義務?)によって消耗した」とゆーのはわかるけど、 それと同じように「道によって消耗した」というのが謎。 歩きすぎってこと?! あるいは別の意味の「道」なのか?! うー、わからない〜〜〜
そこで。サンスクリット語・チベット語訳では maarga-cchinna の直後に 並べられている kandalii-chinna に注目する。『梵和大辞典』によると、 Mvyut. に「負債者」という漢訳が書いてあるらしく、またチベット語訳も その解釈に沿っている(らしい。正直言ってよくわからない訳語だ)。でも 残念なことに手元には Skt-Tib の Mvyut. (東洋文庫 1989 のやつ。東北大のインド学研究室から持ち出したやつ^^;) しかない。いちおう 8737, S.8797 のところに kandalii-chinna がある ことだけは確認できた。でも kandalii-chinna って何だろう? Apte を見てみると kandalii: 1. the plantain (or the banana) tree, 2. a kind of deer と書いてある。なお kandalii の同義語に kadalii というのがあるらしいんだけど、これを PED で見てみると「虚しさ等の 象徴」とか書いてある。ということは「虚しさが切られる」「虚しさに よって切られる」... うーん。わかったような、わからないような。 そこでいよいよ Edgerton である。 意味としては one who is in debt. と書かれてるんだけど、 説明文の最後にニヤリとしてしまいそうなことが書かれてある。 引用してみよう。
seems possibility to correspond to Pali ka.n.dara-chinna, Vin.i.91.10, interpreted as one the tendons of whose feet are cut.「『足の腱が切られた者』かも」だって!! ということは、『出家事』で kandalii-chinna の直前にある maarga-chinna も「肉体の一部である maarga が切られた者」と解釈 できてくるじゃないか!! おおっ!!! (^o^) . . . と喜ぶのも じつは一瞬のあいだだけ。その前後に来てる striicchinna bhaaracchinna taalamuktaka はどーするわけ?! と なったところで何も言えなくなってしまう (-_-)
ということで「渉路而損」のあたりがイマイチよくわからない 状況なんだけど、少なくとも ここでの「道」が「肉体的な何か」であると 解釈するのは漢訳・チベット語訳のいずれを見ても無理っぽい印象だけは 受けてしまった。うーん。ということで『四分律』で「道」となっている 単語がサンスクリット語の maarga なのかは不明 (-_-)
そこで ACIP のオンラインデータを使って『出家事』における該当箇所を 検索してみた。 . . . すごい。 こーいう用途で使うには grep 検索って何て便利なんだろう と改めて実感。 コンピュータ万歳!! と叫びたい気分だよ :D . . . というのはサテオキ。 検索結果はこんな感じ。
lam gyi dub pa .. 105a4このうち 105-7 のはすべて同じ文脈で出てくる。 105 の gyi は gyis が正しいような気がする。 前後の文も合わせて、いーかげんに訳を付けてみよう。まずはチベット文から。
lam gyis dub pa .. 106a3, 107a3, 130a2, 131a3
dge .hdun .htsho byon pa legs so byon pa legs so khyod da gzod ga las byon / des ji ltar gyur pa thams cad brjod pa da^n / de nas de dag gis ^nal sor bcug ste / lam gyis dub pa bsal nas gtsug lag kha^n du khrid do /「サンガラクシタよ。善来善来。どっから来たの? / 彼はどうやって来たかを 全部話した / 彼らは留めて / 道による消耗を取ってから 寺院に入れた」 . . . チベット語における「道による消耗」の内容が だいたいわかりますね (^_^;;
漢訳は「時彼比丘令憩定已」(比丘は「ひっすう」だけど漢字が出せない^^;) (Taisho 1035c6) とあるので「令憩定已」の中に対応箇所が含まれていることになる。 うーん。ピッタリ対応してないからよくわかんないね。 そうそう、 Skt. の対応部分はこんな感じ。
sa tair-vi^sraamita.h / vi^sraamayitvaa vihaara.m prave^sito (Mithila,p.90-17)「休憩した。休憩してから、寺院に入った」 . . . がーん。maarga なんて 単語はカゲもカタチもない!! (@_@;
ところで。あともう一箇所ある lam gyis dub pa (デルゲ 130a2) についても ここで簡単に紹介しておこう。
/ rten .hphyi da^n ni rka^n .hbam da^n / / bud med kyis dub khur gyis dub / / mi ga^n lam gyis dub rnams da^n / / ya za ma lug gta.h gam da^n / / de lta bu yi mi rnams ni / / dra^n sro^n chen pos dgag pa mdsad /「跛・足病 / 被女所傷。因重所傷 // 道によって消耗した人間ども / ターラムクタとカンダリーチンナ // そんな者どもは / 偉大なムニが obstruct なさる 」 (偈。サンスクリット・漢訳の対応箇所は見当たらない) . . . ということで、新たな発見はナシ (-_-)
ということで、この節をまとめてみよう。
[「日本霊異記」にみる「外道」]: このページを振り返ってみるとわかるのだが、
国分寺の僧と、豊前国宇佐郡矢羽田の 大神宮寺の僧の二人は、 // 女陰がないので結婚はできず、ただ尿の出る穴だけがあった // 尼を憎んで、「おまえは外道者だ」といって、嘲笑し、あざけってからかうこうなっているのだ。なんと、かの尼は「女陰がなかった」ので 「道がない」-->「外道」となった可能性も否定できないのだ!! がーん。しかも、ちくま文庫版を立ち読み したところでは「嘲笑し、あざけってからかう」の原文には「嬲る」 という、非常に字形のアヤシイ文字が使われていたりする (^o^;;
でも。「道」がないのにどーやって「嬲」ったんだろう?? あ、そうか。
ここで「ほか(外)の道」を使ったのか!! (@_@;;
# ここで「女犯坊」というチープな劇画を思い出すアイバってバカ〜 (-_-;
それならなぜ「非道」「無道」と表現しなかったの? そっちの方が ピッタリなのに〜 ... という気もするけどね (^_^;
仏教徒でもないくせに、尼のふりをして民衆を悪しき道にひきこもうとしてる ●●め。いいかげん正体をあらわせ!!あ。これだと「異端」にならないなあ。そもそも「異端」て何なんだろう? さっそく 「広辞苑」を引いてみる。
正統からはずれていること。また、その時代において正統とは認められない思 想・信仰・学説など。「―の説」ふむふむ。「正統からはずれていること」か。これはこの尼が不具で出家できない はずだから、ということが前提となっているのだろうか??
でも「異端」という表現の中には、何だかんだ言って相手が仏教内部の人間である ことを認めているというニュアンスが入っちゃうような気がするんだよね。 そのへんのところはどうなんだろう?? よくわからない。(世の中、わからないことだらけだ)
ということは『日本霊異記』の記述はつまり尼が人でないから「外道」という 言葉を使ったというわけではなく (アイバはそう解釈してしまったのだが..) 、 僧どもが尼を罵倒したいという動機がまず先にあって、その罵倒の言葉として、 「出家もできない不具者のくせに!!」という意味で「外道のくせに!!」という 言葉が発せられた、と見るべきなんだろうなあ。
網野善彦,『異形の王権』(平凡社ライブラリー),平凡社,1993.この本によると『曾我物語』巻6には《「異類異形」の「外道」》なる 表現があるらしい。(p.47,l.2) . . . きたきた!! (^o^)
これで『曾我物語』のオンラインテキストでもあったら早速 . . と 思ってはみたんだけど、残念ながら見当たらないので、そのうち どっかから本を探してきて目で検索かけることにして。ここで 出てきた「異類異形」というのは何か? について、 上の網野から関連箇所を抜き出してみることにしよう。
「異類」あるいは「異形」という言葉は、 もとより古くから使われているが、鎌倉期以降、しばしば 「異類異形」とつらねられて用いられる場合をふくめ、一種の 妖怪、鬼、鬼神などについての形容にさいしての用例が多い。(*29) しかしとくに鎌倉後期以降、しばしば人間の服装、姿態などについて、 この語は否定的・差別的な意味で用いられるようになってくる。 そこに、鬼や妖怪に近い存在を具体的な人に即して見出そうとする 志向が入っていることは間違いないとはいえ、鎌倉後期から 南北朝期にかけて「異類異形」といわれた人々をその実態に即して 見るならば、決してこれを直ちに社会的に差別された人々とはいい難く、 むしろ恐れ、畏敬の目をもって見られる場合すら見出しうるのである。(p.23) (この (*29) のところの注を見てみると、上の「異類異形の外道」 の文に出くわす)「異類異形」は 南北朝期に流行した(?)悪党・婆娑羅との絡みで おおいに流行した、と いうのは常識レベルの話かもしれませんね。(本当か?) しかし時代の推移とともに、その意味内容も変化していき、15世紀頃には 「こうした人々を「異類異形」として差別する社会の空気が、このころ 次第に固まりつつある」(p.21)状態になっていった、と。
さて。 . . . ちょっと待てよ。先にあげた「異類異形の外道」が 出てくる箇所を、今度はちゃんと抜き出してみよう。
*29 -- 例えば『今昔物語集』巻第六第六話の「異形の鬼ども」、同上巻第十三 第一話の「さまざまの異類の形なる鬼神ども」からはじまり『太平記』 巻第五の「異類異形ノ媚者」、同上巻第二十七に現われる「異類異形」の 「夭怪」、さらに『曾我物語』巻第六 の「異類異形」の「外道」など。で。ここで言うところの「外道」というのは、上の引用によると 「一種の妖怪、鬼、鬼神など」を示すもので、 「鬼ども」「鬼神ども」「媚者」「夭怪」などと類似の存在である、 ということになるよね。つーことはつまり『曾我物語』の時代では 今度こそ確実に?「外道==人間ならぬもの」という図式ができあがる かもしれないわけね (^o^)
ちなみに『曾我物語』について『広辞苑』を引いてみよう。
--------------------------------------------------. . . ふむふむ。鎌倉時代あたりね φ(.. )
そがものがたり【曾我物語】
軍記物語。一二巻(真字本一○巻)。作者は僧か。原作は鎌倉時代に成るか。曾
我兄弟の生い立ちから敵討に至る次第を叙したもの。愛読され後代に大きな影
響を与えた。
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さて。この文は仏法がすたれるとどーいう災難が起こるかについて述べた いくつかの経典からの引用があって、それを受けての文なわけなんだけど、 この引用されている部分のどこにも「外道」は出てこない。 (上にあげた文以降の箇所には『悪比丘どもは私たちを外道と呼ぶ』という 文脈での法華経からの引用が出てくる。 see. Skt:12章の第8偈) ちょっとカスりそうなのは大集経にある「皆悉堕悪道」なんだけど、 ちょっとイマイチ。そこで「悪鬼」絡みで見てみると仁王経の 「国土乱時先鬼神乱。鬼神乱故万民乱」というのがある。で、この文は こう続いている。「賊来劫国 百姓亡喪 臣君太子王子百官共生是非。 天地怪異 二十八宿星道日月失時失度 多有賊起」 うーむ。 てことは日蓮言うところの「外道災」というのは、ここで言うところの 「多有賊起」、または別の箇所に出てくる「四方賊来侵国 内外賊起」、 あるいは金光明経の「多有他方怨賊侵掠国内」のことを指している と見てよさそうな気がしてきた。ふむふむ。ということは「外道」 ==「災難をおこす者ども」==「(具体的には)賊」==「社会秩序(道)を 乱すヤツら」と理解してよさそう。
あるいは。 「悪鬼外道」と記述されていることから、上の節で述べたような 『「外道」というのは、上の引用によると「一種の妖怪、鬼、鬼神などに」などを 示すもので、「鬼ども」「鬼神ども」「媚者」「夭怪」などと類似の存在である』 という見方の補強材料として考えることも可能なんだな。
いずれにせよ「すげー悪いやつら」という位置付けであったことは 間違いなさそう。だって「悪鬼」と並べてるわけだしねー。 まあ「正法の普及によって世間は平和に」ということが言われてる わけだから、当然といえば当然の成行きか (-_-;
[追伸]
よく見てみると『立正安国論(広本)』なるテキストもあるじゃないか (^o^;; URL: http://www.raidway.or.jp/~ben/data/ibun/g-279.html なおこの「広本」というのは「主人」と「客」の問答形式になっている。 たぶん上のやつの増補改訂版だな。 . . . というのはともかく。 これを調べてみると、もちっと余計に外道部分が出てきたりする (^_^;
さて上の『立正安国論』になく、こちらにだけある「外道」部分は以下のとおり。
「仏教徒のフリをしてるだけの人間がいると諸事マズいので 出家させない」というだけの話で、外道に関する優劣の話は一切ナシ。 まあ戒律だから当然といえば当然かも。
>外道邪見説苦行 因是能得無上樂「一切諸外道よりもすぐれている」とある。 外道は「如来所説」よりも劣っている。
>如來演説眞樂行 能令衆生受快樂
>如來世尊破邪道 開示衆生正眞路
>行是道者得安樂 是故稱佛爲導師
>非自非他之所作 亦非共作無因作
>如來所説苦受事 勝於一切諸外道
「ヤツはニセモノだ!!」という悪口なのは確か。
>仍て善神聖人国を捨て所を去る。是れを以て悪鬼外道災ここで「外道は災いを成す」と書かれている点に注意。 この時点では「絶対的な悪さ」という感じになってる。
>を成し難を致すなり矣。
ただし、この時代は「異類異形」をキーワードとして「外道」が 鬼・妖怪などと同列に扱われているらしい。これは日蓮が上の 『立正安国論』において「悪鬼外道」と書いていることと関連。
まあ、その暴走が楽しくてこのページを作ってる、という話も あるんだけどねー。(妄想は得意だし^^;)