すなわち平家物語にも語られますとおり、平家にかわって鎌倉右大将殿 と呼ばれました源頼朝公率います源氏が武家の頂点に立ちたります後は、 これまた平氏らしき北条氏の天下となり、それを今度は再び源氏一党の ご名門であられた足利・新田氏が覆しまして、その後、武家の棟梁に 君臨されたのは足利氏でしたが、それもまた15代で将軍の座を追われ、 かわりに再び(自称)平家の織田信長公が天下を牛耳るところまで こられました。その後、平家でも源氏でもない太閤様が一時天下に 君臨されましたが、その後に武家の頂点に立たれましたのは(自称) 源氏のご名家、新田氏の流れを汲まれた源氏の徳川様でございました。 このご公方様のご治世が過ぎましてのちは、武家の棟梁に君臨する ほどの者が現われませんで、まさに「混沌」なまま 100 年以上もの 月日を重ねている状態でございます。
よって今の日本に求められているのは、まさにこの混沌の世、すなわち 乱世に終止符を打てるほど強力な棟梁なのでございます。また、 源氏の棟梁たる徳川氏に変わる、平家の棟梁のご出現が待たれているので ございます。
この平家由来の人たちは、当然のことではございますが、 長門の国、現在の山口県にもおります。たとえば萩。長州の萩と 申しますと明治維新のときに源氏(徳川氏)を倒した明治維新のことが 思い出されるわけですが、じつはあれも平家由来の「反・源氏」感情 の結果であることは皆様ご理解しておられると思います。
しかしその後の状況を見ておりますと、源氏ゆかりの 細川氏が政権を取ったりなど、かならずしも「平家政権」が 樹立できたとは言えない状態にあります。
さて話を長門に戻させていただきます。長門の萩の地にも、 平家のご一党が逃げてこられ、定住されました。しかし、このとき、 ご自身たちが平家のご一門であられると名乗ってしまわれますと、 身に何らかのご災厄が降り掛かることを恐れられましたので、 「平」以外のお名前を名乗られることにされました。 ご一党の方がたは、そのときの源氏へのお怨みを決して お忘れにならないように、と
源氏への うらみはやまね とこしえに ..この歌(後半部分につきましては資料が現存しておりませんので、 不明でございます) から一部を取りまして、それをお名前として 名乗られたそうにござります。私めが夢で得た情報で 恐縮でございますが。
以後、東北は源氏の支配下に入ってしまうわけですが、
このときの源氏に対する東北の人々の、いや、東北という地域全体の
怨みは、現在に至りましても決して途切れることなく根付いております。
それはまさに、東北の冬の根雪の如くであります。
さて。上に述べました 奥州十二年合戦 におきまして、 源氏が壊滅的打撃をうけ、その後十年ちかくにわたる膠着状態に 陥った戦いとして「鳥海(とりのうみ)の戦い」なるものがあったそうに ございます。この戦いは、奥州勢を甘くみた源氏側が、強引に 冬に進軍してきましたのを、奥州側が見事撃退した戦でありましたが、 私が夢で得た知識によりますと、このとき奥州側が源氏一党を 襲撃するときの合図こそ、他ならぬ「敵衆闘!」だったそうにございます。
なぜ「敵衆闘!」だったのでしょうか? いや、そもそも「敵衆闘」 とは何なのでしょうか? . . . 私も詳しいことはわからないので ございますが、憶測いたしますに、 「かかれ!」では相手にすぐ理解できてしまい、襲撃がバレてしまい 自軍の不利になることを警戒したため、 耳で聞くと意味が通りにくいにもかかわらず、文字で書くと すぐに意味がわかる造語として「敵衆闘」というものを用意したのでは ないか、という気がするのでございます。
かくて「敵衆闘!」という合図によって東北勢は大勝利をおさめるわけ ですが、その後、これも矢張私めが夢によって得た知識でございますが、 東北一帯で「敵衆闘」という言葉が、勝利を呼ぶ呪文 として、 広く流行したとのことでございます。
また、後に東北地方が源氏の支配下に置かれることになりました時、 頼朝は 源氏にとって都合の悪い過去に直結します「敵衆闘」の 使用を禁止したそうにございますが、「この怨みは忘れるまい」 との思いから、人々は「敵衆闘」という言葉を使うことはありません でしたが、それを深く心の奥底に刻み込んだということにございます。
やがて時の経過とともに「敵衆闘」は忘れられていったようですが、 人々の心の無意識の領域にはシッカと刻み込まれたようでございました。
その最大の証拠こそ、我らが講座名の中に含まれております「敵衆闘」 の文字でございます。
かような訳ですので、平家の末裔であられる かの方によりまして 天下太平の世を迎えるのはそう遠くない日のように思っております。
敵衆闘!
[後日談]
番長にお聞きしましたところ「山根は源氏だ」そうです。 (X_X;
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