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人は冥途に行かない説 [平田篤胤]

平田篤胤翁における死後世界観を紹介


 

はじめに

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はじめに

人は死後、六道のどれかに行く‥。という仏教的な発想が、いつのまにか 日本では「人は死後、(なんかわからんけど過去世の因縁により) 地獄に行く。 極楽浄土に行った人を除けば」という感じで ある種の定着をみます。

 また、それとは別枠なのか繋がってるのか、正直よくわからないんですけど。 同じ仏教系の 「賽の河原地蔵和讃」とか、あとは 「地蔵十王経」などに出てくる 「死出の山路」「賽の河原」のような、いまいちよくわからないながらも、 かなり暗くて寒くてゴツゴツ岩と砂ばかりっぽい場所をウロウロと移動させられる 死後世界もあるみたいです。

 これら、どっちにしても我々がそういう話を聞くと「やだなー、死にたくないなー」と、 たぶん誰でも思ってしまいそうな死後世界の話に対し、いや、そうではない、と 力強く宣言した人がいます。それがここで紹介する平田篤胤翁であります。

 秋田県立秋田高等学校の卒業生であれば、校歌 [YouTube]にある「♪篤胤信淵、ふたつの巨霊ィ」 で名前だけはよく知っている、あの人です。

 そこで本ページでは、平田篤胤翁が「死後の安心」を力強く説いたとされる 『霊能真柱』(1812年)について、簡単に紹介したいと思います。 (簡単じゃないかも。自分用のメモも兼ねてますので、引用かなり多めです。)

(左写真は「平田篤胤大人終焉之地」石碑です。秋田市南通)

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参考文献

 ところで。本ページで使っているテキストは以下です:

  • 子安宣邦校注(1998)『平田篤胤著 霊の真柱』岩波文庫. (p.)
  • 相良亨訳(1984)「霊能真柱」『日本の名著24平田篤胤』中央公論社(中公バックス). (tr.)
テキストを紹介する際のページ番号については、この両者を区別するため 岩波文庫のほうについては「p.」もしくは「pp.」で表記し、 日本の名著のほうを「tr.」で表記します。




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