広辞苑 第4版
『広辞苑』を見てみましょう。
ぐる
(悪だくみなどの)仲間。共謀者。浄、手習鑑「百姓共も―になつて」
これを見ると
『浄瑠璃菅原伝授手習鑑』に「ぐる」の用例があると書かれてますね。
『菅原伝授手習鏡』は以下の URL で参照できることが判明 :
[ http://village.infoweb.or.jp/~fwgf7170/yukahon/sugawara.html ]
. . . うーん。つくづく、すごい時代になったものだと実感 (^_^;
さて。このページによると、以下のような文脈の中で出てくることがわかります。
(四段目/寺子屋の段 の真中よりちょっと前のへん)
後
には大勢村の者、付き従ふて、「ハイ」「ハイ」「ハイ」「ハイ」「ハイ/\/\/\」
姓「申し上げます。皆これにをる者の子供が、手習ひに参つてをります。もし取違へ首討
たれては、ヤモ取り返しがなりませぬ」「ハイ/\/\/\/\/\どふぞお戻し下され
」と願へば玄蕃、「ヤアかしましい蠅虫めら。うぬらが餓鬼の事まで身どもが知つたこと
かい。勝手次第に連れ失せふ」と叱り付くれば松王丸、『ヤレお待ちなされ、暫く』と、
駕篭より出づるも刀を杖、「憚りながら、彼等とても油断はならぬ。病中ながら拙者めが
、検分の役勤むるも、ほかに菅秀才の顔見知りし者なき故、今日の役目仕終すれば、病身
の願ひ御暇下さるべしと、ありがたき御意の趣き、おろそかには致されず。菅丞相の所縁
の者、この村に置くからは、百姓共もぐるになつて、銘々が伜に仕立て、
助けて帰る、サ手もあること。
コリヤヤイ百姓めら、ざは/\と抜かさずとも、一人づゝ呼出だせ。面改
めて戻してくりよ」と、退引きさせぬ釘鎹、打てば響けと内には夫婦、兼ねて覚悟も今更
に、胸轟かすばかりなり。
うむ。
『広辞苑』に書いてあるとおりに取って間違いナシですね
(^o^)
なお『菅原伝授手習鏡』という本については
[この URL]
に以下のように書かれています。
[解 説]延享三年(一七四六)八月竹本座初演。竹田出雲・三好松洛・
並木千柳による合作。近松門左衛門の「天神記」を基本とし、当時の
ニュースである三つ子誕生などを取り入れ書き下ろしたもの。二段目に
菅丞相と苅屋姫の別れ、三段目に白太夫と桜丸の別れ、四段目に松王丸と
小太郎の別れと、それぞれの段の切に親子の別れを描いており、「義経千本桜」
「仮名手本忠臣蔵」とともに時代物の三大名作として親しまれている。
1746 年か。近松晩年よりも20-30年程度遅い時代のものみたいですね。