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Who knows what a 導師 is?

「グル」の訳語としてよく使われる「導師」という語について。


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律藏にみる「導師」(破僧事)

CBETA の 「根本説一切有部毘奈耶破僧事」(大正No.1451)のテキストを 使っています。ただし CBETA で配布されている テキストの文字コードは Big-5 なのでそのままでは使えず、 ここでは東大の金さんに文字コードを JIS に変換していただいた データを用いています。金さんに感謝 (_ _) [1999]

サンスクリット語のテキストが手元にあるということで 『根本説一切有部毘奈耶破僧事』(Taisho n.1451) (以下「破僧事」)を見てみることにしませう。 ちなみにこのテキストは「三蔵法師義浄奉 制訳」と書かれている ものです。唐代(7c 後半?)の訳ですね。

まずは「最初の弟子になりそこねた男」 Upagu との出会いのシーン。

T24n1450_p0127a24; 既無有人類於我  所以自然覚一切
T24n1450_p0127a25; 如来天人大導師  已証一切智力具
kam uddiśeyam asamo hy atulyaḥ
  svayaṃ pravaktā adhigamya bodhim /
tathāgato devamanuṣyaśāstā
  sarvaiś ca sarvajñabalair upetaḥ // (Gnoli, p.132,l.11)
誰に説くべきか。同じ者なく、同等の者なく、
  自分を先生としてボダイに到達した、
如来であり、天や人の導師であり、
  一切の一切智力を具備する私は。(拙訳)

「導師」は(guruではなくて) śāstṛ の訳語として用いられてるみたいですね。 (じゃあguruにどういう訳語を当ててるのかは、ここにguruという語が出てこないので不明。) ただ、ここで注意すべきなのは、この部分が韻律になっており、 上の漢文の各行を漢字7文字x2に揃えるため、 śāstṛ の訳語は漢字二文字にしないといけなくなり、それゆえ 「導師」という2文字の単語が使われた可能性があることです。 訳語の文字数を気にしなくてよい場合はどう訳してるんでしょうね?

ということでśāstṛは他の箇所でどう訳されているか見てみました。

T24n1450_p0134c18;       尓時摩掲陀主頻毘娑羅。昇
T24n1450_p0134c19;楼閣上乞五種願。願我国出大教導師。如来
T24n1450_p0134c20;応正等覚明行円満善逝世間解無上丈夫調
T24n1450_p0134c21;御士天人師仏薄伽梵。令我於彼敬事瞻仰。
atha rājā māgadhaḥ śraiṇyo biṃbasāra upari prāsādatalagataḥ pañcāyācanavastūny āyācate: aho batāyaṃ mama vijite tathāgata udpadyetārhan samyaksaṃbuddho vidyācaraṇasampannaḥ sugato lokavid anuttaraḥ puruṣadamyasārathiḥ śāstā devamanuṣyāṇāṃ buddho bhagavān; taṃ cāhaṃ darśanāyopasaṅkramayeyam; (Gnoli, p.232, l.10)
śāstā devamanuṣyāṇāṃ が「天人師」と訳されてますね。 devamanuṣyāṇāṃ の部分が「神々と人々」、つまり訳語中の「天人」の部分に 相当しますので、残る śāstā は「師」ということになります。 やはり先ほどの例ではこれを「師」と訳したかったけれど文字数の関係で 「導師」という訳語を当てたってことですね。

でもそれより。ここの引用部分の上のほう、「大教導師」とありますよ! 本ページのキモとなる「導師」なんてすけど‥‥あれ? ここに出したサンスクリット文の中には、この 「大教導師」に相当する単語、なくない?! ‥‥えええええ(@_@;

「破僧事」に見られる、まだ未整理の「導師」

1450.txt:T24n1450_p0141c27;遶。猶如大将衆勇囲遶。如大導師行旅囲遶。
1450.txt:T24n1450_p0202a13;為汝説。乃往昔時有二導師。各有五百車乗
1450.txt:T24n1450_p0202b29; 此諸痴&C0-F46E;猴  為彼愚導師
1450.txt:T24n1450_p0205a29;子。慈悲普覆。為世導師最上福田。在我園中
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