[前] イスラム教 |
読んでで「ん?」と気になってしまう「導師」を見つけました。
けど、実際のところ、この文からそんなことを考えてもムダなわけで。なぜなら 上の「導師」は、よくある「グルを訳したらそうなりました」的な用例でしかない からです。ということで以下に対応部分の原文を:
「こう読むべき」というザ・規範的な理解のしかたを強制? 矯正? 押し付けてくる教師的な 意味合いで guru-like figure という単語を使ってますね。そして時代背景的には limited literacy となってますので、文字を読める人が限られた社会、そしてその場合、 文字を読める人・知識階級といえばほぼイコール宗教者(か官僚)という感じになるはずです。 そのへんを考え合わせてみると guru-like figure という表現はピッタリな感じがしてきますし、 その訳語も「導師のような人物」‥‥んー。気持ちはわかりますけど。導師かー。 気持ちはわかりますし、私も訳をつけるとなると「グルのような人」なんて訳文は 却下されるでしょうから、するとやっぱ「導師」という訳語を使わざるを得ないかなー、 なんて思ってしまうんですけど。でも私個人の感覚では、やっぱ 「導師」は「グル」の訳語になりきれてないと感じてしまいました。 まあ「グル」ってのは英語にとっての外来語なわけで、まあ元の英語が外来語使って表現してる ものを、昔からある いわば「手垢がベットリ付いた」訳語で表現するというのが、やっぱ、 そもそもムチャだよなー、と改めてしみじみ感じてしまいました。 そのへん、どうなんでしょうかね。
[次] 非仏教系の「導師」 |