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久保田三十三所 (札打)

The 33 Kannons of Kubota (Akita City) and "Fuda-uchi".


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巡礼札の歴史

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歴史的なこと

ここでちょっと歴史を遡ってみて、江戸時代における「観音札所」における 札の書式についてです。東北ではなく本家(?)の西国、そして有名どころの坂東、秩父の 場合ではありますが‥

江戸時代の案内書には菅笠、笈摺とともに納札の書法が必ず記されている。札の表には 「奉納西国三十三所為二世安楽」として年月、同行何人、国所を記し、裏には 「南無大慈大悲観世音菩薩」と書く形式になっている。 (佐藤久光(2006)『遍路と巡礼の民俗』.p.57)
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‥だそうです。仙台とか最上に貼ってあった札は、当初は裏にあったはずの 観世音菩薩への帰依文が表になってるなど、多少の違いはありますが、 江戸時代以来の、いわば正当な観音巡礼札のフォーマットを用いていると言えましょう。

なお「札打ち」の「打ち」について。現在では文化財保護・美観を損ねるなどの理由で お堂などへの木札の釘打ち・紙札の貼付け等はマナー違反、一部霊場では札貼りのための掲示板を 用意してるのでそこに貼ってね、というのが普通になっていますが。昔はそうじゃなかった みたいですね。中世期、霊場への納骨が非常に盛んだった時代には、 巡礼者が勝手に故人の髪とか歯を入れた納骨容器(木製の五輪塔)を持ち込み、それを お堂の柱や壁にクギ打ちするのが一般的だったみたいです。何故そんなことをするかというと、 御本尊などの「垂迹」の地が彼岸世界への通路であり そこに遺骨などを納めれば極楽往生間違いなし、と考えられていたかららしいです (佐藤弘夫(2008)『死者のゆくえ』,岩田書院. pp.97--104 のあたり)。 ‥‥わざわざクギで打たなくても、とも思うのですが。何があっても垂迹の近くから離れないように、 という遺族の精一杯の気持ち、ということなんでしょうか。

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ちょっと妄想

さて、それでは再度、久保田三十三観音のお札に戻ってみましょう。

かんのんさま巡礼に貼る札が、 「亡くなってから数年しか経過していない(‥のに限定している訳でもなさそうですね) 親近者の戒名」しか書かれていないわけですが、これはどう解釈すべきでしょうか。 これはつまり、こういうことかもしれません。代理。 ‥‥つまり、不幸にも亡くなってしまった身内に変わって、ご利益が期待できる 巡礼・札打ちを代行してさしあげる、それを供養とする、ということではないでしょうか。

あるいは、位牌(的なもの)。 おそらくこの行事は「お盆(的なもの)」行事 [URL]と して始まったんじゃないかと思っています(身内の没後「三年」というあたり、 お盆などと同じく 完全な先祖供養の儀式ですよね) ので、 ひょっとして 「せっかく久保田さ帰ってくるんだからよ、ちょっと観音様でも廻ってけば、すこしは冥福の 足しになるんでねが? そう思ってよ、依代の札を観音様のどごさ貼って来たがらよ」的な意味あい?

‥‥いずれにせよ、 いつの頃からか できあがっていた札にまつわる意味が、 いつのまにか忘れられていって、 単に「そういうものだから」ということで 身内の戒名を書いた札を貼って巡るという行動様式だけが残っている、と。 そんな風に考えてみると、巡礼者自身の 現世利益的な所願はまったく眼中にない、ひたすら追善供養の儀式に特化された形で 行われている 久保田三十三箇所札所巡礼が理解できるような気がしてくるんですけど、 どんなものでしょうか。いや無論、現状では 根拠のない妄想レベルの与太話に すぎないんですけど‥

んで、たぶん、その「自分のためではなく、亡くなった人のため」という点、 その暗いところが、久保田三十三観音巡礼を 今もってなお 活きた民俗行事にしている最大の要因ではないかと思います。

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まとめ(?)

「最上三十三観音」は 右図(21:五十沢)のような感じで、お堂にとにかく ものすごく大量のお札が無造作に貼られていて かなりのインパクトがあり、 「『信仰』なるものの本当の姿」を考えたくなるものではあるのですが。 でもお札をじっくり見てみると上記のとおり「家内安全」「諸願成就」ですから、 実際のところ そんな重苦しいムードはなくて、 正直な感想としては「ああ、実態は軽いなー」という感じになっちゃうんですけどね。 それと比べると、お札に戒名しか書かない 久保田三十三観音のほうが、見た目以上に ズッシリと重いものを感じますね。というか逆に重すぎですよね。何なんですかねこの重さ。

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