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久保田三十三所 (札打)

The 33 Kannons of Kubota (Akita City) and "Fuda-uchi".


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[ふろく]先祖祭は深夜に

五来重(2007)『石の宗教』は、庚申講について説明しているところで以下のように述べています:

先祖祭は真夜中におこなうものなので、徹夜の祭や講になるのである。(p.209)
理由はよくわからないですが、 日本で実際に行われている先祖祭の多くは深夜に、夜通し行われるのが一般的なようです。

 とりあえず死者は生者の反対にする、というのがあるじゃないですか。 死装束 [URL]とか。 その流れで、生者は昼に活動するから死者--ご先祖様は夜に活動する、 という考えがあったりするんでしょうか。

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17世紀中国の「あの世」--- この世と違わない?

ちなみに中国でも「死者は夜来て、朝に帰る」という世界観があるみたいで、 蒲松齢『聊斎志異』(17世紀. 清初) (和訳)によると‥

「あの世にも町があるのかい」「同じです。あの世の町はここにではなく、三、四里離れた ところにあります。違うところと言えば、この世の夜を昼としていることだけです」 (5-27伍秋月) (立間祥介 編訳(2010)『蒲松齢作 聊斎志異』(ワイド版岩波文庫), p.下98.)
そして地獄には官吏もムカつく捕吏もいて、つい主人公は あの世の捕吏に腹を立てて 斬り殺してしまうんですけど。この場合、死後の世界で斬り殺された捕吏はどこに行くのか‥ というのは正直よくわかりません。そしてこの後、主人公は「あなたの罪業はまことに深いのですから、 徳を積みお経を詠んで懺悔なさらなければいけませんわ。さもないと長くは生きていられませんよ」(p.下103) と言われ、つまり長生きするため、深く仏法に帰依し謹んで暮らしたみたいです。 この「長生きするため」というのが 何というか非常に中国らしい気がするのですが、それはさておき。

 たぶん日本でも あまり明文化されていないような 気がするんですけど、この中国の例と同様な設定、すなわち 「死後の世界も、なんか今の世界と同じような感じのものじゃないの?」的に、 何だかんだ言いながら思ってるんじゃないの?? ‥という気がしています。 というか、そんな感じの世界になってると勝手に想像したがってる? と。 んで両者、生者と死者を分けるポイントとしてあるのが「いろいろ逆」なこと、 それで両者を区別する感じにしてるんじゃないかと。 根拠ないですけど。

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日付の問題

あるいは。先祖祭は重要なので、一日の最初から始めたいという気持ちもあるんでしょうか。 たとえば「一月十六日」に行う「くぼたふだらく(秋田市の札打ち)」など、 具体的にいつ行われるかといえば16日未明(日付が変わる午前0時スタート)、 すなわち(別の言い方をすれば)15日深夜に巡礼、となっています。

 「16日未明って、16日夜じゃなくて、15日夜じゃね? 一日ズレてね?」と思うかもしれません。 でも、現代的感覚ではそうなんですけど、昔はそれとは違う感覚だったようです。

我々日本人の一昼夜は、 もとは夜昼という順序になっていて、朝の日の出に始まるのではなく、真夜中の零時を起点 とするのではなおさらなく、今いう前日の日没時、いわゆる夕日のくだちをもって境として いた (柳田國男(1946)「先祖の話」『柳田國男全集13』(ちくま文庫) (Repr.1990;p.45))
なお、古風では一日のはじめを日没においたので、昭和五十五年のように二月十七日が 初庚申の日とするならば、二月十六日の日没から十七日の日没までが庚申の当日で、 十六日の日没から十七日の日の出までが庚申の夜にあたり、この間寝ずに おこもりするものであった。 (岩井宏實(1989)『暮しの中の神さん仏さん』,河出文庫.,p.36)
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つまり江戸時代の「16日」とは、 今の感覚でいえば「15日の日暮れ」から「16日の日暮れまで」ということですね。

 この話をふまえると、「くぼたふだらく(札打ち)」が なぜ16日に日付が変わってからのスタートなのかが、うっすらと見えてきますよね。 江戸時代は「日が暮れてから」と「日付が変わってから」は 同じ意味だったのが、明治以降は両者がズレちゃったため「日が暮れてから」が 切り捨てられちゃって、(現代的な時刻による)「日付が変わってから」となっちゃった、と。 なので現在のところ「深夜にスタートして、クルマで回っても夜明け前に何とか終了」という、 とてつもない苦行化して現在に至っている、と。 ですので個人的には「15日、日が暮れたらもうスタートしちゃおうぜ」と 広く訴えたいところですけど、誰にどう訴えるべきか よくわかりませんので(苦笑)、 まあそれは余談ですね。

 なお「一日は日没にはじまる」のは、陰暦を用いる文化一般の傾向のようです。

月の満ち欠けによって暦を判断する太陰暦的世界(例えば現在のイスラム諸国)においては、新月を確認する(新月は月齢三日程度の時に日没後三〇分くら.いの間西の地平線上に糸のように細く観測されすぐに沈む)必要上から一日は日没から始まる。 (インドにおける「とき」---劫・輪廻・業---)
なるほど。新月を確認したときが「月」のスタートだから、だから日没から一日が始まるんですね。へー。

 それと陰暦かどうかは不明ですけど、東欧などでも同様に以下:

正教会では、ユダヤ教と同じように、夕方から一日を数えます。 創世記第一章に、「夕となり朝となった」とあるからです。 (時課と一週間 || 第五章 正教会の祈り || ルーマニア観光・商務局)
このように夕方から一日を数える、とあります。つまり昔はユーラシア全体で「一日は夜から」が一般的だったんですかねー。

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たそがれどき

何故 先祖祭は夜なのか。

 別の理由としては、 「参籠」というやつと同根かな? というのもありそうです。参籠というのは以下:

人間が寺社を訪れ、その本尊や祭神の前で一夜を明かすことである。平安時代の中ごろ から、人が決断に迷ったりなにか願い事がある場合、神仏の指示を求めて寺社に参籠することがしだ いに普及していった (佐藤弘夫(2002)『偽書の精神史』,講談社. p.91)
寺社の縁の下に籠もることは、『北野社参詣曼荼羅』に描かれているように、中世のか なりありふれた光景であった。それは、祈願、また神仏の夢告・霊告を受けるための参籠 にほかならない (川村邦光(2000)『地獄めぐり』筑摩書房(ちくま新書246). p.161)
‥というものなんですけど。

 では何故彼らは寺社に泊まり込むのでしょうか。同じ佐藤2002は以下のように述べています:

神仏が祈りに応えて示現するのは、夜がしらじらと開けようとするまさにその時分だった。
 昼と夜の境界にあたる明け方や夕暮れどきが、現世と異界との通路の開かれる時間であるという観 念は、広く全国各地にみられるものだった。そうした時間帯は、地域によって「かはたれ時」「たそか れ時」「まじまじごろ」「めそめそ気分」などと呼ばれる。いずれも人の姿がはっきりせず、目を凝ら さなければだれか確認できないような状況を表現した言葉である。何もかもがあいまいにみえる光と 闇の境目に、この世ならぬ存在がひょっこりとその姿を現すと考えられていた。「逢魔が時」などとい った表現も、そうした観念を背景にしたものだった。
 平安から鎌倉期にかけては、神仏もまた明け方に示現すると信じられていた。 (佐藤2002, p.96)
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昼と夜の境目に「この世ならぬ存在がひょっこりとその姿を現す」、だからその瞬間を逃さないため、 この世ならぬ存在、この場合は神仏に他ならないと思いますけど、それらの前に夜通し ピッタリと張り付いていたということですね。んで、「この世ならぬ存在」というのはたぶん 神仏に限ったことではなく、亡くなった身内の人もそれに該当すると考えるのが普通ですよね。 だから先祖祭もやっぱり夜、夜通しやるものなのかな。そんな推測で、たぶん合ってますよね?

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[余談]たそかれどき 2011

ところで。東日本大震災(2011.3.11)のとき、東北地方はほぼ全域が停電、 とくに宮城県は仙台市の市街地であっても停電復旧まで一週間以上かかった地域も けっこうありました。上で引用した文を読んだとき、私はあの停電していた時期の、 夕暮れ時のことを思い出しました。

 日暮れとともに周囲がだんだん見えなくなってくる‥というのは、 近くに民家のない郊外などでは そりゃ経験ありますけど、町中、住宅街の真ん中で‥ というのは、現代日本ではほとんど経験することないですけど。 停電が続いていたため街灯も家の明かりもなく、 それゆえ日暮れとともに街がゆっくり暗くなっていくんですけど、すると 近くの民家は見えるけど遠くは見えなくて、でも並んだ家並みのどこまで見えてどこからが見えないのかが 目をこらしてみてもよくわからない感じになっていくんですよね。

 それに大地震の直後、避難所に逃げていた人も多かったんでしょうか、 政令指定都市(仙台)の街中の午後7時前だというのに音ひとつせず人影もほとんどない、 ここには自分しかいないような感じ‥‥ あのときの街自体が幻のような、いやそんな幻のような街の中を歩いてる自分自身が幻のような、 そんな気分になってしまったあんな感じが、 昔の人たちにとっても特別な何かを感じさせる時間帯だったんでしょうね。まさに twilight zone

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