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宮城三拾三番札所

The 33 Kannons of Miyagi.


[前] Nos.01-05 名取柴田

Nos.06-11 岩切福室多賀城

札所(守氏控書) 札所(異説) Link
06 岩切村案内 槙島屋敷 [1]
入相の波路も遠きまきしまの 塩屋のけむりいつもたへせぬ /
「案内」という地名は、ちょっと検索システム泣かせな地名ですね(^_^; この「案内」は まだ踏切の名前などに残っているようです[Link]
07岩切村余目 神明堂
奥ふかくその名はよそにあまるめの 末はるはるとひびく川波 /
「歴史をひもとく1」[URL]の「寺・神社」の 「八坂神社」の項に「明治43年(1910)岩切村内の大小の神社を合祀した」とあり、その合祀した神社の一覧の中に 「神明社(余目)」とあります。それゆえ、その時期まで余目には神明社があったことは確認できます。 「仙台寺社巡り」[URL]では 「神明社」[URL]が余目の神明社の跡と推測していますが、そういうことなんでしょうか。 あるいは。この札所は 田野山(四野山)不動院観音堂である可能性もあったかもしれません。安永風土記は、 田野山を「奥州三十三の七番」と書いています。しかし奥州三十三の七番だったら 松島石巻方面にあるのが自然な流れのように見えますので、 たぶん「宮城」の間違いじゃないかと‥[写真]。 でもご詠歌は「あまるめ」なんですよね
08 高砂村田子 二本木山 [1]
遥々と田子の二本木来て見れば よつやが原に枝ぞさかえる /
安永風土記を見ても、ここに札所があった気配すら感じません。別当本山派修験明宝院のご本尊は不動明王とありますし。どういうことなのか‥
09多賀城村南宮 三井寺 観音堂(曹洞宗祝陽山慈雲寺内) [1]
いにしゑのなごりも今に三井寺の 鐘のひびきに罪は消えゆく /
封内風土記(1772)に「本尊江州三井寺之観音也」(本尊は近江の三井寺の観音である)と 紹介されている「観音堂」がこれに相当すると思われます。しかし安永風土記(1780)には、 慈雲寺の項に「江州三井寺之観音之由申伝候」(近江の三井寺の観音と聞いております)と 書いていて、その観音堂が慈雲寺の一部だったのか別物だったのかは よくわかりません。 どちらにせよ「三井寺」とはつまり「(近江(滋賀県)の)三井寺=園城寺(西国33-14)(より将来した観音像を安置している観音堂、もしくは慈雲寺)」の略称ということですね。‥‥これで慈雲寺にたどり着くのは大変かも(^_^;
10 福室村 松堂 [1]
にごるよもすむよもここにまつ堂の その名は広きみやぎ野の原 /
最もわかりやすい場所の一つだと思われます。
11多賀城村新田 安楽寺
作りおく罪も消えゆく安楽寺 とほき歩みをはこぶ身なれば /
安永風土記(1780年)の段階ですでに「旧跡」、しかも廃寺時期不明と書いてあります。 よっぽど昔に廃寺ですよね。となると明治期の「守氏覚書」を見た人たちは、いったいどこに お詣りしたんでしょうか。「南安楽寺古碑群」[URL][Map]かな? どうやら古碑群のある場所が 「おかねだから」と呼ばれ、ありし日の安楽寺山門があった場所と言われてるらしいですから。 (『多賀城町誌』p.287)
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