[Table of Contents]はじめに
よく知られていることではありますけど。
オウム真理教が「地下鉄サリン事件」などの事件を起こした際、その背景にあったのは
「アメリカ軍がオウムに攻撃を仕掛けている」などといった感じの陰謀論でした。
疑いなく正
しいはずの自分たちが一向に社会に認められない事実を説明するには、因果応報のオウム
的解釈である「カルマの法則」、あるいは大衆の愚かさでは足りなかった。それは何者か
の悪意を感じざるをえないものであり、また偉大な存在である自分たちを妨害するに足る
ものは、やはり強大でなくてはならない。陰謀論は自らの正当性と現状の不遇、自分たち
を陥れる「敵」の存在、社会との闘争の必要性を説明するものとして機能したのである。
(辻隆太朗(2012)『世界の陰謀論を読み解く ---ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ』講談社現代新書2146, p.26)
「自分たちは正しい。でも、正しいはずの自分たちが社会から全く認められないのは何故か。
‥どう考えても、自分たちの存在をジャマに感じている人たちがいて、自分たちを陥れようとしてるんだ。
それしか考えつかない」‥と、そんな考えがあの「地下鉄サリン事件」の引金を引いてしまった、と。
そんな彼らと陰謀論の関係について、ちょっと備忘録的にメモっておきます。
(現在のところ、ネタ元が非常に限定されていますけど、
徐々に追記していく予定です)
[Table of Contents]陰謀論の内容について
彼らの陰謀論のほとんどは、
一般社会にすでに流布している言説から採られたものであり、独自の主張は乏しい。つま
りオウムの主張は際立って「異常」なものではなく、陰謀論言説の平凡な一例にすぎない
のだ。 (辻2012, p.25)
個人的に非常に怖いこととして、彼らの陰謀論の中身が、言ってみればかなり陳腐で、
非常に「ありがち」なものであったことです。
オウム真理教はかなり「ムー」的なオカルト寄りの信者たちが多いみたいで、だから
その手の人たちが いかにも考えそうな陰謀論をオウム真理教でも考えていて、
その陰謀に立ち向かうため「サリンによる大量殺人」まで行ってしまったというのは、
何といってよいのか‥。
[Table of Contents]時期的なこと
世界全体
を操る巨大な陰謀についての主張は、初期にはあまり見られなかったものである。
麻原がはっきりと陰謀論への言及をはじめたのは、一九九〇年の衆議院議員選挙の後か
らだ。 ‥(略)‥
一九九二年九月以降、麻原の説法ではハルマゲドン予言が強調されるようになるが、そ
れと同時に陰謀論への言及も増加した。とくに、九三年三月〜四月と一年後の九四年三月
〜四月に、陰謀論をテーマにした説法が集中している。前者はオウムが毒ガス研究を開始
した時期だ。後者の時期には、九四年二月にサリン生成が本格化、自動小銃製造が指示さ
れ、四月にはロシアで軍事訓練がおこなわれている。この時期には危機感を煽り、戦闘的
姿勢を示す説法がめだっている。
(辻2012, pp.22--23)
ここで言及されている1990年を遡ること2年前、1988年10月頃。
このようなことがあって、この健康不安が「奴らが俺らを殺そうと毒を撒いている」と
思ってしまったことも大きいみたいですよね。
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