いろんな本などを読んでいると、ときどき、 「おい、そんなこと、どこに書いてあったよ!」と 思えるような記述に出くわすことがあります。 これがたとえば、詐欺まがいの人たちとか、どこかの新興宗教団体とかが 言ったり書いたりしてることであれば、まあ、そんなに驚かないんですけど。 たまに大学の大先生らしき人が書いた文書の中に「え?」と思うようなことが 書かれてたりするとビックリしますよね。‥というのはさておき。
そんな感じで、本当は全然そんなことないのに、 権威ありそうな人や文献などの名前をテキトーに出してきて、あの人がこう言っていた、 こう書かれてた‥という感じで相手を黙らせる方法、 じつはかなり昔からあるんだなと感じさせられる事例を見つけましたので、 ここにメモしておきます。
地獄めぐり |
『宝物集』は12〜13世紀の日本で成立した仏教説話集です。その中に 「権威ある経典の『涅槃経』に、女はまことに恐ろしいと書いてある」とあるが、 実のところ『涅槃経』にはそんな記述ないじゃん! 嘘つき!! ‥という話です。 (「嘘つき」というより、どっかから仕入れた あやふやな知識を、ちゃんと 確認もせずにそのまま書いてしまったんだと思います。それが後代の人たちに、 ちゃんと確認もされずに安直に典拠として使われてしまったんですね。)
[Table of Contents]へー、と思いましたので、ちょっとSATで「女人地獄使」で検索かけてみました。 ヒットしたのが『禪戒鈔』(大正2601;82巻)の一例で、 これ [SAT]です。
さらに。日蓮(1265)『女人成仏抄』にも「華厳経(けごんぎょう)に云はく」として同じ文面が紹介されている ようです[URL]。しかし、やはり華厳経(SAT:[T278][T279][T293])を見ても、それっぽい文は見当たりません。 これも書写誤りでしょうか‥。 ただ『宝物集』と時代がかなり近いですから、本作が『宝物集』を典拠としたのではなく、 本作でも『宝物集』でもない、それ以外の情報源があったんだろうと思います。
[Table of Contents]でもこれは「昔の人は、今の人と違ってアレだから」で済む話でもないみたいです。 Wikipedia見たら「おお!」と思う記述がありました:
(^_^;
(なお、この「女人地獄使が唯識論にある」説の典拠は
存覚(1324)『女人往生聞書』[NDL; p5b; コマ7] のようです。これまで紹介してきた資料より100年くらい時代が下がってます。
たぶん該当の記述が『宝物集』にも『華厳経』にも見当たらないことに気付いた人が、
「それじゃなくて、たぶんこっちだろう」と別の出典に変えてきたら、それもやっぱりハズレだった。
‥そういうノリなんでしょうか。)
ただ「唯識論」に、以下の記述があるのは見つけました。
夢に出る 女はまぼろし それゆえに 身を重ねても 不浄漏らさぬ /
そなたらを 追い込み悩ます 地獄主も それと同じよ 実在などせぬ // (T1588;vol.31-p.65b) [SAT]
いつのまにか「女人は地獄の使い」の出典探しの旅に話題が変わってますけど、しかし、 そのネタ元に当たりそうなものはまだ発見できていません。
それとあと気になるのは「地獄の使い」という表現です。
地獄はいったい何の目的があって「使い」を出してると考えられたんでしょうか。
(商売敵である)仏の出現などにより地獄への来客者が減ってしまって、
経費削減のため地獄が経営規模縮小される可能性が出てきた、
あせった獄卒たちがバイトを雇ってこの世に来客者のリクルートを始めた
‥そんな世知辛いストーリーが頭に浮かびました(^_^;