[Most contents are written in Japanese Language] [Always under construction]

[チラシの裏]

[Budh][memo] ありがたい仏教

題 [Budh][memo] ありがたい仏教
日付 2016.10



[Table of Contents]

はじめに

どうでもいいことですけど。

 たとえば「西遊記」では、三蔵法師ご一行が「ありがたいお経」を取りに、 わざわざ天竺まで大冒険していきますし、また日本でも 当時の東アジアにおける 圧倒的な先進国・中国までお経を取りに行ったりとか、 僧侶を派遣したりして仏法伝来に力を注いでいたのは周知のとおりです。

 でも。ちょっと思いませんか? 「お経」って、何でそこまでして 取りに行きたくなるものなのか?? って。

[Table of Contents]

日本

[Table of Contents]

飛鳥時代

日本はなぜ積極的に仏教を入れようとしたか。

 いろいろ見てみると、どうやら当時の日本の人たちは仏教の教義とかは どうでも良かったみたいですね。基本的に 「先進国でトレンドの、最新鋭の『呪』の技術」的なところで 仏教を捉えていたような感じです。

すなわち、言葉をかえれば、天武朝における国家的悔 過の成立とは、呪術仏教への国家的期待の増大の下で、同時代の国家的神道祭儀としての大祓 が仏教的変装をしたところに求められるのではあるまいか。それは、国家神道・国家仏教を確 立し、両者を護国的呪術として同一視した天武朝において、はじめて成立すべき性格のものだ っだともいえよう。 (速水侑(1970)『観音信仰』塙選書72, p.83)
護国仏教の発達は、一面、在来の神祇に対する呪術的期待が、 新しい蕃神である仏教の密教的呪術性への期待に移行したところにも求められるのではあるま いか。そこにおいて、大祓をはじめとする、呪術宗教的儀礼としての神道の国家的祭儀は、仏 教の密教的国家行事のうちに、再生したのであった。 (速水1970, p.84)
かように九世紀中葉に至って顕著となる霊験寺院の進出は、‥(略)‥ また一つには、霊験寺院の多く が山岳寺院であることから推察し得ることく、天台・真言両宗の展開に伴なって、山林霊窟の 霊験、山林仏教修行者の験力などに対する期待が高まったことにも起因するのであろう。 (速水1970, pp.224--225)
「呪術仏教への国家的期待」「験力などに対する期待」‥つまり、 既存の「呪」がイマイチ効かない気がするから、それに替わるものとして、 当時世界最先端の先進国における最新鋭の呪術である「密教」を持ち込めば もっと効果的な「呪」が可能になるのでは? ‥と、そんなノリが想像できますね。

[Table of Contents]

中世期

日本において仏教が浸透・展開してきた中世。仏教は「浄土往生」への 最も確実な手段として重要視されてきます。 仏典の内容に関する理解は、エキスパートな人たちの間ではかなり 進んでいることは間違いないですけど、一般人だと やはりそこは怪しそうです。 そんな中、お経とか仏像とかがもつ呪力についてですけど‥

仏は、遠い世界から人々を手招きするだけでなく、 衆生救済のために、だれもがその実在を認識できるような 姿をとってこの世に出現し、賞罰の生々しい力を行使する ことによって、人々の関心を浄土に向けさせようとした。 それが「垂迹」だった。したがって、衆生は垂迹と縁を結 ぶことによって、浄土への確実な往生が約束されるのであ る。
 その垂迹を代表する存在が神だった。‥(略)‥ 聖徳太子や伝教大師、 弘法大師などの聖人・祖師もそうだった。‥(略)‥ 寺堂に安置された仏像も、また本仏の垂迹だった。なかでも「生身」仏とよばれるタイプの仏像は、ことさら衆生 を浄土に誘うことを目的として化現したものとされ、人々の厚い信仰を集めた。彼岸の仏が直々に姿を現したもので あることを強調するため、生身仏の制作にあたっては、生々しい存在感と強力な効験が強調された。 (佐藤弘夫(2008)『死者のゆくえ』岩田書院, pp.102--103)
このような記述を見つけました。

 モノとしての「お経」の位置づけはちょっと不明ではありますけど。そのかわり仏像、 とくに ときどき見かける かなりリアルに作成された仏像や尊像など。これらは 「垂迹」として極楽浄土への入口としての役割を担っていたとの指摘です。 モノとしての仏像‥。はっ。そういえば霊異記に、 仏像にヒモつけて引っ張るとかいう話あったよな‥ (書きかけ)

[Table of Contents]

チベット

チベットでも同様で、多くの人たちは密教に悟りの道ではなく、 実際的な神通力を期待していたようです:

もし、その僧院が専門的な分野をもたないなら、各僧院に伝わっている方法にしたがっ て、密教の修行に進む。この場合の密教の修行は、信者たちの要望にこたえるための、い わば密教呪術マニュアルの修得であって、後述するような最高度の密教修行とはいささか 異なる。チベットのような過酷極まりない自然環境や歴史を生き抜くためには、密教のも つ呪術的側面の行使が不可欠であり、多くの人々は密教に、悟りへの道ではなく、実際的 な神通力を期待しているのである。 (ツルティムケサン・正木晃(2000)『チベット密教』ちくま新書, pp.109--110)
日本とかなり似てますね。

 でもそれも当然といえば当然か。たとえ懸命に修行にはげんでいたとしても、 信仰なき人にとって僧侶は「仕事もせずフラフラしてる奴」にすぎないですからね。 そういう人が何故に存在を許されるか、何故 皆から喜捨を集めて生きていけるか。‥ なんて考えてみると、 やっぱり「他人にはできない、その人だけがもつ役に立つ特殊技能」が ないと話にならなさそうですからね。それが「呪術」ということなんでしょうか。

[Table of Contents]

中国

[Table of Contents]

仏教伝来前

そしてやはり、中国でも かなり古い頃から「経典がもつ特殊な力」というのは 意識されていたようです。

 中国で『妙法蓮華経』などが翻訳される前の話(3世紀頃かも?)らしいんですけど、 道教初期の天師道によって作成された『女青鬼律』について:

病気をもたらす悪鬼の撃退法につづいて、選ばれた人々の種民名簿への登録、経典の受持と書写と 読誦のすすめが説かれている。経典をつねにたずさえ、つねにとなえよという。これは経典自体に強 烈な呪力があると考えるからである。経典そのものに対する信仰がすでにはじまっている。 (菊地章太(2012)『道教の世界』講談社選書メチエ520, p.64)
経文を唱えるとか、修行するとか、そういうのと関係ないレベルで経典というモノ自体が そもそも強烈な呪力をもつ、という考え方があったようです。

[Table of Contents]

般若心経は護符

 そしてそれは中国に仏教が本格的に流入する前の時点ですでに中国にはあった、という 感じですね。

これは西域における仏教でも同様だったようです:

敦煌出土の非常に短い経典に『勧善経』という名の文献がある。この経は、敦煌で三十点近く発見 されており、かなり流行した経典であったことが知られる。教理を説くものでも、儀礼について述べ るものでもなく、実際は一種の厄除けの護符であったようである。 (田中文雄(2000)「泰山と冥界」『死後の世界』東洋書林, p.166)
敦煌写本のなかに『勧善経』という仏教経典がある。 七つもの疫病がはやるなか、阿弥陀仏を念ずれば救われると説いた経典である。‥(略)‥ お経というのは一行十七字で写される。これは十五行あ る。十七行の『般若心経』より短い。厄除けの護符のような ものであった(じつは『般若心経』も本来の用途は同じだった と今では考えられている)。 (菊地章太(2012)『道教の世界』講談社選書メチエ520, p.71)
なんと、あの「般若心経」も本来は「般若経」の呪力を持ち運ぶための コンパクト版というかモバイル版というか、そんな感じのもので、 一種の護符、「お守り」であったと。

[Table of Contents]

写経の功徳

多少とも生前の罪業を 負う者が、地獄の刑罰を受けずに放免されようとするには、次のような工作が必要である。第一は誦 経(または写経)の功徳---生前に誦経したことがあるか、冥府にいってから急いで誦経するか、も しくは陽界に還ってから誦経しますと約束するか、とにかく経典読誦によって危機を切り抜ける方法。 ‥(略)‥ 第一の誦経の功徳というのは、信仰とか宗教心とかいう高尚なものではなく、呪文を唱えると同じく、 要するに誦経の呪術的効果によって災難を避けるという原始的な、そして功利的な方法である。どん な偉大な経典でも、冥界物語においては、すべて教理以前の呪語に還元されている。仏典では『法華 経』、『金剛経』、『金光明経』、『般若経』、『首楞厳経』、『維摩経』、『高王観世音経』、 『梁皇懺』など、道経では『度人経』の名があげられることが多い。 (澤田瑞穂(1991)『修訂 地獄変』平河出版社, pp.91--92.)
日本だとどうなんですかね?

 諸経典のなか『法華経』だけは『法華経』写経の功徳をあれこれ述べていて、 その言説に従って『法華経』を写経するのであれば、それはまあ法華信仰の一部かなー、とは 思うんですけど。それ以外のお経については、ひょっとして、中国のこういう「呪」の レベルの行為が起源だったりするんでしょうか。とくに般若心経とか。んー。

[Table of Contents]

清代(18世紀)

袁枚『子不語』(18世紀後半)の「鬼送湯円」(巻二十二)にあったこんな表現:

家中持経放焔口、毫無効験。一女鬼呼曰、汝家該延老僧宏道来、我輩便去。如其言往請宏道。 甫到門、衆鬼轟然散矣。病亦漸安。 // (現代語訳) 家中のものが読経して施餓鬼をしても、全く効果がない。女の幽鬼が大声で言った。 「お前の家の者が宏道という老僧を呼んできたら、帰ってやっていいわ。」 言うとおりに宏道を招いた。門に着くや否や、幽鬼の群れはざあっという音を立てて 飛び去った。王の病も次第に快方に向かった。 (黒田真美子・福田素子(2008)『閲微草堂筆記・子不語・続子不語<清代III>』(中国古典小説選11), 明治書院. p.342)
袁子曰、同是念経放焔口、而有験有不験、此之謂有治人無治法也。 // (現代語訳) 私はこう思う。同じように読経したり施餓鬼をしたりしても、効験があったりなかったりする。 これは人によるのであって、経や供養に功があるのではない。(黒田福田2008p.343)
袁枚がわざわざ「袁子曰(私はこう思う)」と断ったうえで、呪術の呪力の源泉は 経文ではなく、その経を唱える者がもつパワーである、と私見を述べています。

 普通こういった場合、袁枚の周囲における「常識」としてやはり「経文そのものに 呪力あり」があり、それに対して袁枚が「そうでない。経に呪力があるなら、 つねに効験あるだろ。効験があったりなかったりするというのは、つまり、呪力は 経そのものにあるんじゃなく、呪をおこなう人にあるとしか考えられない」と 一般常識に異議を唱えていると考えるのが妥当だと思います。

 つまり。清末、18世紀後半においてもなお中国では「経」というモノ自体に 呪力あり、という考えが根強く定着していた、ってことですよね。

[Table of Contents]

というか世界共通?

「お経」というモノ自体に呪力アリ、という考えは東洋独自の迷信めいたもの。‥という 訳ではないみたいです。Ong1982 で、たまたま見つけました。孫引きで申し訳ないのですが‥

Writing is often regarded at first as an instrument of secret and magic power (Goody 1968b, p.236). (Walter J. Ong(1982), “Orality and Literacy”, p.???; ページ番号メモなくした! ^^;) // [和訳] 書かれたものは、最初はし ばしば、秘められた魔術的な力をもつ道具として考えられる(Goody 1968b, p.236)。 (W-Jオング(桜井、林、糟谷訳)(1991)『声の文化と文字の文化』藤原書店, p.194)
もとの Goody1968b の中身を確認してないのでアレですけど。 和訳によると「書かれたものは、秘められた魔術的な力をもつ道具」となっており、つまり、 この傾向は洋の東西を問わない 世界でよくある話だし、そして日本を含む東洋でもそうだよね、と、 そういう話なんですね?

 あと。以下のようなのも:

 声の文化のなかで生きる人びとがふつう、そしておそらく、まず例外なしに、ことばには魔術的 な力があると見なしている事実は、かれらのことばにたいするつぎのような感覚と、少なくとも無 意識下では明らかに結びついている。つまり、ことばとは、かならず話されるものであり、音とし てひびくものであり、それゆえ力によって発せられるものだ、という感覚である。活字に深く毒さ れている人びとは、ことばとは、まず第一に声であり、できごとであり、それゆえ必然的に力に よって生みだされるものだ、ということを忘れている。 (オング(桜井訳)1991, p.75; こちらは原文をメモってないので和訳だけ)
知らず知らずのうち「文字で読むこと」に慣れすぎた我々は、「声の文化」における 言葉の力を忘れている。‥んー。忘れている、というより、そもそも最初から 知らないといった方が適切な気がしますね(^_^;

 だからつまり、このオングの指摘が妥当なものであるなら、つまり お経や呪文のうちには魔術的なパワーが込められているというのは、 文字の洪水の中で日々を送ってる我々にとってはピンと来ないかもしれなくても、 「声の文化」な人たちにとってそれは至極当然のこと。‥ということなんでしょうか。


関連(?)情報

[Total pages] [Prev][Next]