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仏説地蔵菩薩発心因縁十王経

成都府大聖慈恩寺沙門蔵川述『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』
(発心因縁十王経、地蔵十王経)の大雑把訳です。

底本は 石田瑞麿(1986)『民衆経典』筑摩書房(仏教経典選12). です。
ページ番号は、この石田1986における対応箇所です。
石田1986 は『大日本続蔵経』(2-乙23-4)を用いているようです[CBETA]


[前] 5:閻魔王

5:地蔵菩薩の誓願

 [10] 「善名称院についても説明しておく。 すばらしい場所であるが、これは仏様のおられない場所に作った浄土である。 金砂銀玉宝玉あふれ、四つの門開き、樹木は金で金銀の宝に満ち、 枝にはきれいな花であふれ、果実あふれ、花も実もなかなか散らない。 池には色とりどりの金銀の宝でできた蓮であふれ、 六種の鳥がさまざまな声で鳴く。たとえようのないその素晴らしさは、 兜卒天にあるという殊勝殿のようである。 そこに五宝で作られた座が安置されている。 これこそ地蔵菩薩が禅定に入る、尊き場所である。 その周囲にも座がある。これは破悪趣菩薩、悲旋潤菩薩、金剛笑菩薩、除憂闇菩薩の 四大菩薩の場所である。

 そして。無仏世界の能化の導師、悲願金剛地蔵菩薩は中央の座につき、 毎朝、恒沙定に入ったのち、十方の国を遍り、人々の家に立ち寄るのだ。 清き信仰をもち仏を念じていれば両手を開き微笑んで「智笑士」(金剛笑菩薩)となり、 不浄を行うと聞けば、左手中指を胸にあてて泣いて立ち去り、悲旋潤菩薩となる。 または地獄に入り、人々から苦をとり除く。地獄以外の悪趣(餓鬼・畜生)にも赴いて、 救いの手を差し伸べる。誓願どおりの働き、一日の怠りもなし」 (pp.233--236)

 [11] 「私はむかし修行している時に大願を発した。 はるか遠い大昔のこと、覚華定自在王仏という仏様が出現されたことがあった。 その仏世尊が涅槃された後、像法の時代となって仏像だけあった、そんな時代。 私は聖近士女であり、信心あつく、供養礼拝を欠かさなかった。 やさしき母が地獄に堕ちていると知り、助けたいと思い、七日断食してひたすら祈願した。 すると七日目の夜中、明け方近く、室内に仏様が現れ、こう仰せられたのだ。 『いいぞいいぞ聖近士女。やさしき母の苦しみを導かんと欲するなら、 このうえなき大菩提心を起こして、過去現在未来すべての父母を救い、 仏なき世界の衆生を導くべし。 地獄にいる 汝のやさしき母親のような者どもを救うのだから、地蔵と名付けよう。 地獄に堕ちた衆生どもを、かばい守るゆえ、今後は極苦から救われよう』と。 このような仏の教えにより初めて善心を起こし、このうえなき大菩提心を起こし、 仏様と同じ行い・願いを持ち、母の苦しみを救い、解脱させることができたことは、 あの仏様が仰せられたとおり。

 その後私は、もっと詳細な誓いを立てた。この頌のように。

もし我が さとりを開く その後は 地獄の衆生の かわりに苦受く
地獄苦を 我がかわりに 受けぬなら 誓って正覚 さとりを取らず
もし我が さとりを開く その後は 餓鬼の衆生に 食事を与えん
食べ物を 与えることが できぬなら 誓って正覚 さとりを取らず
もし我が さとりを開く その後は 畜生衆生に ガツガツ食わす
畜生を 助けることが できぬなら 誓って正覚 さとりを取らず
もし我が さとりを開く その後は 修羅の衆生に 苦しみ教える
争いを なくして平和 知らせねば 誓って正覚 さとりを取らず
もし我が さとりを開く その後は 仏と縁ある 衆生と交わる
三昧の 境地に彼らが 達さねば 誓って正覚 さとりを取らず
もし我が さとりを開く その後は 短命おそれ 我に祈る人
その者の 寿命をのばす それまでは 誓って正覚 さとりを取らず
もし我が さとりを開く その後は 病苦をおそれ 我に祈る人
その者の 病気をなくす それまでは 誓って正覚 さとりを取らず
もし我が さとりを開く その後は 王難おそれ 我に祈る人
その者の 恩赦勝ち取る それまでは 誓って正覚 さとりを取らず
もし我が さとりを開く その後は 強盗おそれ 我に祈る人
強盗を はるか遠ざけ それまでは 誓って正覚 さとりを取らず
もし我が さとりを開く その後は 貧困おそれ 我に祈る人
衣食住 十分になる それまでは 誓って正覚 さとりを取らず
もし我が さとりを開く その後は 出世ねがい 我に祈る人
その者が 出世を果たす それまでは 誓って正覚 さとりを取らず
もし我が さとりを開く その後は 臨終の際に 我に祈る人
その時に 地蔵出現 それまでは 誓って正覚 さとりを取らず
もし我が さとりを開く その後は 六道にいる 衆生のため
我が言葉 しっかり受け入れ 得度せよ 甘露で不死の 教えを説こう
六道の すべてで我の 分身が 縁ある者に 手をさしのべる
それぞれが 名前を持ちたる 六地蔵 その名前ごと 姿あらわす。
(pp.237--248)

 [12] すると覚華定自在王仏はクシティガルバ菩薩、すなわち地蔵菩薩にこう仰せ。 『いいぞいいぞ。よく聞け。かような因縁ゆえ、地蔵菩薩は出現することになる。 六種の名前を私は授けよう』と。そして頌で仰せられる。

左手に 預天賀地蔵 如意珠持ち 右、説法印 天人導く
放光王 手に錫杖と 与願印 雨を降らせて 五穀成育
金剛幢 左に握る 金剛幢 右手は施無畏 修羅を導く
左手に 錫杖握る 金剛悲 右、引摂印 畜生助ける
金剛宝 両手に宝珠と 甘露印 餓鬼に施し 満足与え
金剛願 閻魔幢もつ 地蔵さま 成弁印もち 地獄から救う」
(pp.248--253)

 [13] すると地蔵菩薩は喜びいさんで立ち上がり、合掌して覚華定自在王仏に申し上げる。 『いま仏様の予告をいただき、いまだかつてない心地であります。 将来、もし悪趣に堕ちた衆生を救うことできるのでしたら、この身のまま、 偉大な存在となりたく存じます』 世尊のお答え。『よしよし。汝の願いどおりとなろう』 ‥すると大地は震動し、花の雨降り、僧形をした偉大な存在へと姿が変わり、 私こと地蔵菩薩は大乗の第三果の位に達したのだ。

 さらに覚華定自在王仏は仰せだ。 『今は無仏の世、人々を導く者たちも我慢の時なり。 将来、釈迦牟尼という仏が現れるが、今まだ忉利天にあり。 かれより先に汝が来たゆえ、わが滅後の弟子たちは皆、汝に託す。 娑婆世界の者どもは、悪人多し。 汝のごとき願なくば、教え導くは難し。 しかし、もし地獄に堕ちた者どもに五戒八戒を授ければ、 悪趣に堕ちた者どもを救うことができる。 これが無数に存在する菩薩たちの中にて、汝の最もすぐれたる点なり。 汝が将来行う教化の功徳を、簡単に説こう。』 そして以下の偈を述べられた:

もし母の 教えに従う 者あらば その人ら皆 これ地蔵身
慇懃に やさしき母親 救済す 願うとおりに 思うとおりに
ある人が 毎日欠かさず 日に百度 我が名を念じ 唱え続ければ
地獄餓鬼 畜生阿修羅の 苦しみも すぐになくなり 解脱に向かう
王臣で ただしき心 持つものは 帝釈天が きっと擁護し
王臣で 邪悪な心 持つものは 閻魔法王 これを罰する
極悪の 罪人あふれる 海泳ぎ 彼岸に渡る 人ひとりもなし
お地蔵の 願いの船に 乗るだけで 海の向こうに 着くは確実
この偈を述べたのち、空中におられた覚華定自在王仏は忽然として姿を消された。 私はこの偈を聞いたとき善現色身三昧を得たのだ。これ以降、今まで、 私は毎日禅定を行い、衆生を救済し続けてきた。これは一瞬たりとも怠ったことがない」

 そのとき、そこに居合わせた閻魔王や羅刹婆たちは、クシティガルバ菩薩、 すなわち地蔵菩薩の過去の因縁を聞き、因果の道理、そして彼の量りしれない功徳に感服し、 みなその配下となって地蔵の大願をサポートすることとなった。
善名称院における、地蔵菩薩のむかしの願いに関する略説おわり。 (pp.254--260)

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