[前] 注意 |
本書の著者である大石凝真素美という人については、 [Google]をどうぞ。 なかなかの大物思想家だと思います。
この人の著作の一つに「仏説観弥勒下生経」(本書. 以下「観弥勒下生経」、 区別しやすいよう新字で表記)というものがあります。
弥勒仏が遠い未来に出現して我々を救済される‥という伝説の典拠として 使われる仏教経典として 「佛説彌勒下生經」(大正453) [SAT](区別しやすいよう旧字で表記) など[*1]があります。あるんですけど、ここで紹介する 「観弥勒下生経」はそれとは違います。
どういうことか? 本書は、その古来より伝わる「佛説彌勒下生經」に基づき、 その「ほんとうの意味するところ」について 逐語的に大石凝氏が解説したものです。それを大石凝氏が 「観弥勒下生経」と名付けて刊行したのです。紛らわしい‥
そのようなわけで本書は、仏教の正統的な伝説に基づいた「弥勒仏による救済」を 語るものではなく、あくまで仏典である「佛説彌勒下生經」をダシにする形で、 大石凝氏が考える「弥勒仏による救済」のありかたを語ったもの、つまり (仏教の伝統的な思想ではなく) 大石凝氏自身の思想を表明したもの、と解釈できそうです[*2]。
そして。あちこちのオカルト系(?)情報を見てみると、どうやら 仏典である「佛説彌勒下生經」と、大石凝氏による「観弥勒下生経」(や、 それ以外のものもあったりするかも‥) が 混同されて語られているっぽいのを見かけます。その混同が意図的なものか、 あるいは語ってる人の調査不足なのかはよくわかりませんけど。 念のために言っておくと、この両者はちゃんと区別しないとダメです。 そうしないと、仏典に対しても、大石凝氏に対しても、失礼ではないでしょうか。
[Table of Contents]本書の構成は、昔からある「注釈文献」のスタイルで行われています。 つまり、まず「元となる文献」、ここでは仏典の「佛説彌勒下生經」ですけど、 その仏典から一文ずつ切り出し、その一文に対する注釈というか説明を 大石凝氏が行っていく、と。このスタイルはインド系仏教系の古典文献では 割とよくある形式です。
ただ、ここで注意すべき点としては、注釈者(今回の場合は、大石凝)の 注釈内容が、第三者的に見て、元の文献の意図を正しく伝えているか という点です。これは大石凝氏に限ったことではなく、 昔からよくある話ではあるのですが、 もとの文に書かれていないことまで注釈文献が語ってしまうことがあります。 とくに注釈者の人が「ここが大事だ」と思っている周辺など、 とくにその傾向は強まるのが普通です。それゆえ普通は、このような形の 注釈文献は もとの文献の思想を語るものではなく、 注釈者の思想を語るものと見なされるんですけど。本書もそのパターンだよなー。 と私も(全部見たわけではないですけど)感じます。
[Table of Contents]
そこで、(昔から伝わる)「佛説彌勒下生經」からの引用文(の読み下し文)を
太字(さらに、大正蔵における、だいたいの位置情報つき)とし、
大石凝による解釈部分(つまり大石凝「観弥勒下生経」の実際の本文)との
区別をわかりやすくしてみました。
たとえば[422b22]
は、
(昔から伝わる)「佛説彌勒下生經」の『大正大蔵経』における
422ページ中段22行目の記述、を指します。
日本語の読み下し文は 中国語とどうしても語順がズレて
しまいますので、語順の入れ替わった途中で行が変わっていた場合、
行番号表示を入れる位置は多少いい加減です。
念のため、もう一度書きます。 次ページ以降で紹介している内容のうち、仏教経典の「佛説彌勒下生經」 からの引用文は太字部分です。太字じゃない部分は 大石凝氏による解説部分となってます。
この大石凝「観弥勒下生経」の注釈(つまり大石凝が書いた部分)の中に、 「弥勒仏が日本国に下生」と書かれている箇所があるのですが、 それに関係してそうな箇所を本ページで紹介させていただきます。
佛説=観<宋><元><宮>,佛説観<明>つまり、この文献の校訂に使った写本のうち「宋」「元」「宮」の三本の表題が 「觀彌勒下生經」で、「明」の一本が「佛説觀彌勒下生經」だった、と。
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