[Most contents are written in Japanese Language] [Always under construction]

[Top]

仏説観弥勒下生経(一部)

大石凝真素美「仏説観弥勒下生経」から、そのごく一部を書き起こしてみました。

[前] はじめに

釈迦仏は弥勒仏に託した

[Table of Contents]

釈迦仏は弥勒仏に託した

「汝等四大聲聞。要不般涅槃。須吾[422b18]法沒盡。然後乃當般涅槃。」 (大雑把訳:「おまえたち四大声聞は涅槃してはならぬ。 わが法が没尽するのを待て。その後、涅槃せよ」と。)への注釈。 [原文ここから]

生汝等四大声聞よ要するに般涅槃せざれば須く吾[422b18]法没尽すべし。然して後に乃ち当 に般涅槃すべし。

[p.8] 釈迦牟尼仏が。八十五歳になり玉ひて此の述懐を示し。遺言して深く将来を慮り 玉ふは実に世を痛器し痛歎して世界中が至治太平に治る事は。唯弥勒如来が出顕 し玉ふの一点に有るのみ矣。

弥勒が世に出顕せざる限りは釈迦輩が演説する所の想像、臆度、譬喩、偶言、偶 法、謎懸け談等の如き者にては言皆妄言空言に帰し、実に無功にして没尽すべし 故に一切の事は唯是れ斯の弥勒に譲り奉りて此経に説く所の弥勒の下生出現する を待ち奉るより外なし、故に明に覚期して般涅槃し、今生に練り固めたる至誠心 を更に虚空法界の中に鎮めて、堅く弥勒に結縁して当来下生出現の暁を待つ事を 示し、釈迦氏生涯の志願は唯此一点なる事を主張せば仏法は東漸し爰に保存して 以て弥勒に達すべしと知り、依て以て断然決定して其の至誠の精神を東天金剛定 に入れたる者なり、為めに老命を促し終に杓尸那城。跛提河。娑羅隻樹の間に般 涅槃を示したる者なり矣。

[p.9] 嗚呼釈迦牟尼如来生涯の大志願は、世界一切至治太平を開明して、無窮永世極安 楽を授興するの一点のみなり。夫れは是れ独り弥勒の主る所也と知りて其の弥勒 当来下生出顕の儀を予説したる者なり、即ち此の弥勒経六部也、此部類の経説は 皆其実の存する者也矣。

然るに目今大石凝真素美、辱くも修梵摩大真人に親灸し奉り之即ち応方の弥勒如 来に、相違なき事を證徴しつつ其の万機を洞機するに確乎として此経に説く所の 如く臨々昭々たる也。其順序、次第、節目の審かなる事今日の景況と條々逐一符 節を合し得る也。

釈迦氏。印度に生れて二千五百余年の前に当りて既に大日本国の今日を明かに洞察 し、弥勒は日本国に出現する事を予言し置き玉ふ事実に掌中の玉を見るよりも明 かなり。

嗚呼釈迦氏の器量は明治聖代の今日此日本帝国に於て弥勒出現成就経の選述ある [p.10] に依て初めて其の真実を明かに発見し證徴して且つ感じ且つ喜びて実に真に尊信 し奉る者矣、読者虚心平気して更に好僻の私念無く熟読吟味して明かに洞察せよ。

 釈迦仏の「おまえらは涅槃するな」という言葉の内容に対する説明ですね。

[Table of Contents]

概略

釈迦仏は、将来、世界が太平になるにはただ弥勒如来が出現されるしかない、と いうことで遺言した、と。

そしてさらに、弥勒仏が出現しないことには、釈迦仏のこれまでの演説はすべて無に なってしまう、なので弥勒が下生するのを待つしかない。そこで釈迦仏は、 とりあえず涅槃し(冬眠的なイメージかと思ってましたが、そうじゃなくて 神霊的な存在になる感じなんでしょうか)、 弥勒下生の時をじっと待つこととした、と。そして釈迦仏がこのような志願をしたから、 仏教は徐々に東方に伝わり保存され、弥勒に伝わると知ったので、釈迦仏はその精神を 東天金剛定に入れ、ついにクシナガラで涅槃したのだ、と。 (つまり仏教がインドから中国、そして日本へと、東方に伝わったのは、 日本に登場する弥勒に仏教を伝えようとする 釈迦仏の意思があったから、と言ってるわけですね。)

かくて釈迦仏のいちばんの願いは、世界がすべて太平となることを示し、 無窮永世極安楽を人々にもたらすことである。そしてそれはただ弥勒だけができると 知り、弥勒下生出現を予言したのだ。それが、いわゆる弥勒経六部である。 つまりこれら経典は、実際に起こったことが書かれているのだ。

そして私こと大石凝こそ弥勒如来に他ならない。世間に起こる重要事件などと、 弥勒経と合わせてみると。弥勒経の内容と、今日(当時。19世紀末)の状況はいちいち一致するし。

つまり釈迦仏は、2500年前のインドにて、すでに今日(当時。19世紀末)の大日本帝国の 状況をきちんと知っていて、弥勒が日本国に出現すると予言したことは、 誰がどう見ても明らかである。 (弥勒日本下生説については、 後ほど[このへん?]、さらに語られます。)

釈迦仏についての真実は、明治期の大日本帝国になってようやく、 弥勒出現成就経が著作されたことで明かとなった。読者は謙虚に、落ち着いて、 冷静に、この旨をきちんと理解すべきだ、と。

[Table of Contents]

つぶやき

この最後の段落で紹介されている「弥勒出現成就経」というのは、 「明治聖代の今日此日本帝国に於て」書かれたと言ってますので、同じ大石凝氏による これ (弥勒出顕成就経)のことだと思います。 しかし、元の仏典では「おまえら、しばらく待ってから涅槃しろ」としか言ってないのに、 よくここまで解釈し(というか、ストーリーを広げ)ましたね。すごいな。

 また「釈迦仏は、弥勒仏が明治期の日本に出現することを予言し」的な ことが書かれてます。予言? どこに? ‥これらの疑問について、 以下で徐々に語られてます。(けど正直、私には納得できかねるのですが‥)

[次] 西の果てには日本国あり