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仏説観弥勒下生経(一部)

大石凝真素美「仏説観弥勒下生経」から、そのごく一部を書き起こしてみました。

[前] 西の果てには日本国あり

予言された毘提村は日本

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予言された毘提村は日本

「摩竭國界毘提村中。大迦葉[422b22]於彼山中住。」 (大雑把訳: 摩竭国の毘提村に、大迦葉はそこにある山の中に住んでいた。) に対する注釈部分。 [原文ここから]

摩竭国界毘提村の中に。大迦葉が[422b22]彼の山中に於て住す。

今の韃靼。満州の辺を広く称して古昔は摩竭国と云ひし也。今の朝鮮を新羅高麗、 [p.13] 百済といひし時代の事なり。

其の摩竭の国界なる毘提村と云ふは即ち毘盧遮那といふ事にて大日本村といふ事 なり。釈迦氏は此大日本国を称して或は毘提といひ或は栗散国といひ或は優単越 国といひ或は鶏頭城と云矣。然れども彼はシベリャ地方の如き広荒不毛の地を好 みて日本の如き美約なる地を蔑視する義にはあらず。唯少さき国なりといふ心を 示すまでに称したる者なり。

○彼の山中に於て住すといふは深き心を配りて。毘盧遮那。菩提村といふ意をも こめたり。然る時は此の毘提村といふは紀伊国高野山をも指す者なり。即ち空海 氏が彼の山中に禅窟を卜めて弥勒如来の当来の下生を待ちつつ奥の院に入定致し 居るを指したる矣。

嗚呼釈迦如来の玄監は二千五百余年前に於て今日を照らし。明かに的中する事皆 かくの如くなり。誠に以て妙々也。

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概略

今の韃靼(モンゴルのあたり)。満州のあたり一帯を摩竭国と言っている。 今(当時。なので1900年頃)の朝鮮を新羅とか高句麗とか百済とか言った時代のことだ。

この摩竭の辺境にある毘提村、これは毘盧遮那(ビルシャナ=大日如来)を指し、つまり大日本村のこと。 釈迦仏はこの大日本国のことを毘提とか栗散国とか優単越国とか鶏頭城とか表現している。 辺境と言ってるが、まあ、面積が小さいということ。

さらに毘提村というのは「毘」盧遮那と菩「提村」という含みもある。なので 「於彼山中住」というのは実は紀伊国高野山をも指す。 つまり、かの空海が高野山奥の院で弥勒下生を待っているのを指しているのだ。

釈迦仏の視界はどこまで広いのか。今日のことをここまで予見するとは。すごい。

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つぶやき

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摩竭国界毘提村は日本?!

ここのポイントは、やはり「摩竭国界毘提村」の解釈でしょう。 もとの経文には「大迦葉はこの世に残り 弥勒出現を待ち続ける。摩竭国界毘提村の山中にて。弥勒はその山にやって来るだろう」 ‥‥とあります。じゃあこの「摩竭国界毘提村」はどこなんだ?というあたり、どうしても 興味出てきますよね?

 12ページ末から 13ページ最初までの箇所で、「摩竭国界毘提村」について 「今の韃靼(モンゴルのあたり)。 満州の辺を広く称して古昔は摩竭国と云ひし也」と大石凝は解釈してます。 「摩竭」といえば(仏典でお馴染みの)インドのマガダ国のことを指すのが普通かとも思うのですが、 それがなぜ満州のあたりを指すと解釈可能なのか。 そのへん、弥勒日本下生説を主張する人たちにとっては、彼らの主張の重要な論拠の 一つとして 非常に重要な箇所になるはずなのですが。 そのあたりのことについては何も語られておらず、ただ「満州のあたりだ」としか 書かれていないのが残念でなりません。どこか(私がまだ見つけてない)他のところで 述べてるんでしょうか。

 そして「摩竭国」が満州一帯を指すのだから、肝心の「摩竭国界毘提村」は 日本に他ならない、それに「毘提村と云ふは即ち毘盧遮那といふ事」だし‥と 述べています。ビルシャナ(大日如来)だから日本、というのもよくわからないですけど。 またさらに「毘提村は高野山を指すこともある。弘法大師が弥勒下生を待っているのを指す」 とも述べています。高野山と弘法大師と弥勒信仰の結びつきはいいとして、それと 「毘提村」との関係もやっぱよくわからないです。説明不足すぎ‥ [*1]

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鶏頭城も大日本国?!

 ここではサラッとしか言及されていませんが「鶏頭城」。 これが大日本国を称している、と大石凝は言ってます。 あまりに突然すぎて、しかもアッサリと言いきりすぎてて驚くんですけど。

 とりあえず、伝統的にはどう解釈されてるんでしょうか。 『三彌勒經疏』(大正1774;憬興撰)は、このように述べています:

鷄頭者。奘法師云。西方説 王舍城是香芳城。未來有王名飼佉。所都大 城名鷄頭末。此云慧幢。然即知鷄頭末即是 王舍城國界。一云閻浮提國界。義亦無失。成 佛經云翅頭末即是也。言城者王居義。人民 所居名爲郭也。城似鷄頭。故因爲名鷄頭末 也。 (『三彌勒經疏』(大正1774, p.38:320c6; 憬興撰; [SAT]))
(大雑把訳) 鶏頭というのは。玄奘法師によれば王舎城を西方では香芳城と言い、 鶏頭末、慧幢はその未来の名。翅頭末とも。つまり鶏頭末とは王舎城の近辺。 城は王宮を指すこともあるが、それが鶏頭に似ていたから 鷄頭末という名になったとの説も。

ここでは「鶏頭城」は「王舎城(ラージャグリハ)」の近辺であろう、と言ってます。 この王舎城はインドにあり、仏典などでも お馴染みの場所です。

 なお、この『三彌勒經疏』を書いた 憬興 という人ですけど。 この人 [Wikipedia]で あれば 7c後半の新羅(朝鮮)の人か‥。日本では天武天皇の頃ですね。 つまり、この『三彌勒經疏』が7世紀に朝鮮で書かれたという話であれば。 たぶんその頃の朝鮮(韓国)の人たちは 鶏頭城を日本とか朝鮮を指すとは、 まったく思ってなかったということですよね。たぶん日本もそうだと思うんですけど。

 いつからなんですかね、それを日本だと思う人たちが出てくるのって‥

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めも

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増一阿含が語る「鶏頭」

鶏頭について言及している、比較的古い文献として挙げられるのは たぶんこれ(増一阿含) [URL] だと思われます。年代的にはどれくらいかな? 紀元前になるのかな?? ‥そこには、こんな感じで書かれてます:

爾時 世尊告阿難曰。將來久遠於此國界。當有 城郭名曰雞頭。東西十二由旬。南北七由旬。 土地豐熟人民熾盛街巷成行。 (増一阿含經(大正125, p.2:787c15; [SAT]))
[大雑把訳] そのとき世尊は阿難に仰せです。「ムチャクチャ未来(将来久遠)、この世界に 鶏頭という名の城郭あり。かなりデカくて栄えてるところだ。」

 この「将来久遠」というのがどの程度の将来を指し得るのか、という話は置いておきますけど。 久遠将来、鶏頭という町があり、弥勒が出現する‥と、そんな話が書かれてます。

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法顕(5世紀)が語る「鶏足」

 また法顕(東晋,5世紀初頭)も迦葉菩薩がとどまる山について、こんな感じで言及しています:

從此南三里行到一山名雞足。大迦葉今 在此山中。擘山下入入處不容。人下入極遠 有旁孔。迦葉全身在此中住。孔外有迦葉 本洗手土。彼方人若頭痛者。以此土塗之即 差。此山中即日故有諸羅漢住彼。諸國道人 年年往供養迦葉。心濃至者夜即有羅漢來 共言。論釋其疑已忽然不現。此山榛木茂盛。 又多師子虎狼。不可妄行。 (高僧法顯傳(大正2085, pp.51:863c27--864a05; [SAT])(東洋文庫p.117))
[大雑把訳] これより南へ三里のところに鶏足という山あり。 大迦葉が今もその山中におられる。山の中、地中の奥深くにおられるが、 通じた穴があまりに長すぎて正確な所在はわからない。 穴の周囲には昔、迦葉が手を洗った土があり、地元民は頭痛のとき、 それを頭に塗って治すという。そこには今も羅漢らの姿あり。 諸国の者たちが毎年ここに集まって迦葉を供養する。 なかには夜にやって来る羅漢らと論議する者もあるが、 それで納得すると消えてしまうという(羅漢らというのはたぶん、神霊的な存在がイメージされてるんだろうな‥と勝手に仮定してます)。この山は ハシバミ(榛)の木が茂っており、ライオンとかトラとかオオカミが多く、 うかつに近づけない。

 法顕はどういう文脈でこれを言っているかというと。インドのブッダガヤに到着して、 そこでこの話をしています。つまり引用部分の冒頭の 「これより南へ三里のところに鶏足という山あり」の「これ」とは ブッダガヤのことです。「ブッダガヤのちょっと(1.2〜1.5km程度?) 南に鶏足(雞足)という山があって、 そこに大迦葉がまだ住んでいる」という伝説が、5世紀初頭のインドのブッダガヤには あったということ、そして 当時の中国人である法顕はそれに何も異論を挟んでないこと、それは確かなようです。


*註1
平岡1979は以下のように述べてます:
空海の高野山への隠棲は弥勒の出時を待つという思想に基づいている。また空海は高野山をもって弥勒浄土 に擬せんとする思想も存在したらしいが、確証は得難いと諸説に説くところである。 (平岡定海(1979)「平安時代における弥勒浄土思想の展開」,宮田登編(1984)『弥勒信仰』., pp.137--138. (オリジナルは『日本弥勒浄土思想展開史の研究』,大蔵出版.))
‥高野山と弥勒浄土と結びつけようとする考え方は、それが弘法大師まで遡れるかといえば 正直あやしいが、あることはある、ということですよね。つまりこれは 大石凝の突然の思いつきではない、ということのようです。
[次] 弥勒の時を待つ、とは