[Top]

仏説観弥勒下生経(一部)

大石凝真素美「仏説観弥勒下生経」から、そのごく一部を書き起こしてみました。

[前] 予言された毘提村は日本

弥勒の時を待つ、とは

[Table of Contents]

弥勒の時を待つ、とは

「又彌勒如來將無數千人衆。[422b23]前後圍遶往至此山中。遂蒙佛恩。諸鬼神 [422b24]當與開門。使得見迦葉禪窟。」 (大雑把訳: また弥勒如来は無数の千人衆を伴い、周囲を囲まれてこの山中に至る。 ついに仏恩を蒙る。鬼神たちが門を開け、迦葉禪窟を見せた。)への注釈部分。 [原文ここから]

[p.14] 又弥勒如来が無数千人に将として[422b23]前後圍繞し往て此の山中に至り、遂に仏恩を蒙り。 諸鬼神と共に[422b24]当に門を開くべし、便ち迦葉の禅窟を見る事を得るなり。

弘法大師の入定致し居る秘密の極意は大金剛真定に入りたる者にして。虚空法界 に至誠の大精神を鎮定し極乎として。歴々祭祀し弥勒龍華三会の暁に達するの謂 ひ也。肉身を蟄して弥勒の出現の期を待ち燕蛙然として啓発するの義にはあらざ るなり。

○疇昔。一休和尚が高野山奥の院の廟前にて寂然と景况を視めて

 「弘法は虚空の定もある者を
        心せまくも穴に居るかな」
と詠みたる時に忽ち一休の胸が騒ぎて何か叱かられたる心地が致したる故に暫く 観じて居ると一首の歌が浮み出でたり。
 「入りぬれば虚空も定も無き者を [p.15]
        心せまくも穴と見るかな」
と浮み出でたり、是に於て一休和尚は大いに辱ぢて此の浮み出でたる歌は弘法大 師の精神が機臨したる者なりと知り大いに智恵を増長したりと云なり。

迦曩に釈迦文仏が弥勒当来下生出顕の景況を順序判然と明細に説き示し玉ひて釈 迦の大志願は其の弥勒に一達して真至治極安楽を開くを待つのみの精神なり。故 に警言を費さす、唯々法を相続して後嗣者に与へたる上は必ず般涅槃に入りて精 神を法界固有の本府に極定し浩々湛々霊々昭々億々万々年々一純にして以て。弥 勒出顕の期に一達すべき也と遺命し玉びたる矣。其の至精赫々依然として今猶ほ 爰に現存する者なり。かくの如く證明確乎たるが故に釈迦氏の遺弟にして釈氏の 真法を修むる者は必ず先ず此の遺言を守るべき者なり。苟も此の遺言を守るもの は必ず釈氏の遺法を相続しつつ期満ちて龍華三会の暁となり大陽誠に東出ずる時 は必ず精神を弥勒に帰して般涅槃に予定したる所の真実を顕はし弥勒に一達しつ [p.16] つ猶ほ無窮永世至治太平を楽むべき者なり。

故れ其部類の至精神は皆前後を貫き約を定めて爰に会す之を都て称して或は迦葉 といひ或は鬼神といひ或は人頭虫といひ或は葉華と云矣。

○かれ人頭虫が出顕して高野山の禅窟を開き大迦葉位を卜めたる弘法大師が覚出 して釈迦伝来の僧迦黎を弥勒如来に献上するその大儀式を明解記載するを照し合 し見て威信すべき者なり。

○此の時に十識十住心三地の薩陀叡敏達徳なる智恵精神は大金剛現存依然として 此の虚空法界に遍照し大いに天朝を守り至誠同仁の人に有る事を顕はす大儀式あ る矣。其事詳に高野山奥院開定の章に明註ある矣。具読して以て三明六通の確乎 として的中せる事を證すべきなり。

[Table of Contents]

概要

弘法大師(空海)も釈迦仏と同じく、大金剛真定に入ることにより法界に大精神を鎮め、それで 弥勒説法の時を待つのである。肉身を埋めて弥勒出現を待ち、時がきたら蛙のように 土から出てくるわけではない。

昔話。一休和尚が高野山奥の院でこう詠んだ:

弘法は 虚空の禅定 できるのに 穴に入るとは 心せまいな
すると突然胸騒ぎがして、叱られたような気分になり、こんな歌が浮んできた:
禅定に 入ってしまえば 別世界 穴が気になる 心せまいな
一休は、この歌が弘法大師の精神によるものと気付き、さらに智慧を増したという。

[Table of Contents]

つぶやき

[Table of Contents]

弘法大師は待っている

 弘法大師の入定についての話になっちゃっています。つまり高野山奥の院で 弥勒仏をじっと待っておられるという弘法大師伝説と、 涅槃せず弥勒を待てと命ぜられた大迦葉とを同一視してるんですね (この同一視は、すぐ次のページで明示されます)。なるほど。 それをキーにして、いろいろと強引に結びつけてるのか‥。

 弘法大師は (おそらく当時の多くの人たちが考えていたように) 埋葬された状態で「弥勒下生」というこの世の春をじっと待ってる‥なんてことではないよ、と。 それじゃまるで蛙じゃん、と。そうでなくて、「至誠の大精神」があり、それが 弥勒龍華三会の暁まで残っていくのだ、と。 平田篤胤的な霊魂観が念頭にあるんでしょうか。 「神様的なものになった」というか何というか (でも篤胤説を採用すると、弘法大師のみならず 昔の人たちの魂はほとんど 弥勒下生の時まで地上にいる感じになっちゃいますから、そうすると議論が収拾つかなくなるか)。 そして、あの有名な一休禅師が 「なんで弘法大師は穴の中にいるのか」と言ったら、 一休の心中に「穴があるように見えるとは‥」という言葉が浮んできて、 これはきっと弘法大師の精神が答えてきたのかと知って恥じた、という昔話もあるし、と。

 ちなみに、この弘法大師と一休禅師の話は 加藤咄堂(1911(明44))『維摩経講話 上』森江書店. p.242 [URL]でも 「昔譚」として紹介されています。 元ネタはどこなんだろう? Webで調べてみると、 「歌で反撃」 [URL] というサイトには「弘法大師VS伝教大師」と、 弘法大師の相手が伝教大師(最澄)になっています。 昔から、あれこれ設定を替えながら伝えられてきたエピソードみたいですね。

[Table of Contents]

弘法大師と弥勒信仰

弘法大師空海が弥勒信仰を持っていたのは割と有名な話のようですけど。 なんでそこで弥勒信仰?! もっとポピュラーな阿弥陀浄土信仰じゃないのは何故??‥なんて ことがちょっと不思議になってしまいますけど。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

死後の世界 [ 田中純男 ]
価格:3024円(税込、送料無料) (2017/2/17時点)


 この理由は割と簡単なようです。つまり時代的なもので、 弥勒信仰は比較的古くからあったのに対し、 阿弥陀信仰はちょっと遅れて広まったということ。 また弥勒信仰の上生信仰と阿弥陀信仰はよく似た構図を持っているため、 阿弥陀信仰が広まると、阿弥陀信仰は弥勒上生信仰の上位互換のように人々には見えたんでしょうか。 阿弥陀信仰に吸収されるような感じで 弥勒信仰の存在感がなくなってしまうんですよね。

 このへんの変遷は日本だけという訳ではないみたいです。すでに中国で以下:

中国仏教の歴史 においては、漢訳仏典に説かれた未来の仏陀としての弥勒に対する崇拝から始まって、中国撰述の偽 経に説かれた救世主としての弥勒へと信仰のありかたが変容し、さらにその後は、弥勒に代わって阿 弥陀如来が帰依の対象として浮上し、やがて唐代に及んで熱狂的な阿弥陀浄土信仰を生むに至るので ある。 (菊地章太(2000)「「あの世」の到来--『法滅尽経』とその周辺--」『死後の世界 --インド・中国・日本の冥界信仰--』東洋書林, p.135)
このような信仰の変遷があって、日本もそれに追従したんですよね。

[次] 迦葉は弘法大師なり