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仏説観弥勒下生経(一部)

大石凝真素美「仏説観弥勒下生経」から、そのごく一部を書き起こしてみました。

[前] 釈迦仏は弥勒仏に託した

西の果てには日本国あり

[Table of Contents]

西の果てには日本国あり

「大迦葉。亦不應[422b19]般涅槃。要須彌勒出現世間。所以然者。 [422b20]彌勒所化弟子。盡是釋迦文弟子。由我遺[422b21]化得盡有漏。」 (大雑把訳: 大迦葉よ。涅槃してはならぬ。弥勒が世間に出現するまで待て。なぜなら。 弥勒が教化する弟子は。みな釈迦牟尼の弟子であり。私が遺した教えにより、 煩悩(有漏)を尽くし得るのだから。)についての注釈。 [原文ここから]

大迦葉も亦応に般涅槃せざれば[422b19]弥勒世間に出現するを待ち得むや。然る所以の者は [422b20]弥勒所化の弟子は尽く是れ釈迦文仏の弟子也。我が遺化に由りて[422b21]有漏を尽す事を得 たり。

釈迦氏将来を熟考し掌中玉を見るよりも慥かに見定めて日本国に弥勒が出現する 事は、殆三千年に向りなむと知り、然らば有志者たる者は真実に弥勒を賛成し三 会の暁に陪従すべしと云ふ。一心を定め決約して老耄せざるに先き立ち浩々空々 寂々として心魂を虚空、法界に安鎮じ本坐然として大金剛に帰着し真定に極乎た るべしと決定し、優樓螺迦葉等にも其の旨を示し。且つ教へ且つ促し何れも老耄 せざるに先んじて各皆精神を弥勒に一達せしむる事を極念し信念愈々結定しつつ 東北方に帰着入定せしめ玉へり。

[p.11] 但し此の大往生事件は一心不二の願力にして甚深妙々の由縁ある事也。

此の日本国の人民は之に反対して、徒に方便説を信じ、西方阿弥陀の浄土を臆 念し西方に往生すべしと念じ居る者多し、蓋し九品の浄土に在て弥勒の出世を待 つと云者は即ち此の日本国になる九品の浄土を云矣。

秘密真実の道場に入りて観る時は此の法界は一円相なるが故に循還輪廻して同気 相集り同類相寄るなり。故れ釈迦文仏は東北方に往生し。摩竭の国界毘提村即ち 大日本村に在て弥勒に会せむと欲し日本の人民は初歩を西に執りて印度地方を経 過し幾たびか循還しつつ逐に十万億土に達する己には此の九品の浄土(即ち日 本国の事矣證跡確乎たる者ある也)に乗り運り帰り居る也。故に至心に弥陀を信 る者は必ず弥勒三会の暁に輪廻する事を得る也。

故れ弥勒出現の時に三会に臨席する者は皆釈迦の教法に依て多少菩提心を有つ 者也初歩或は東し或は西する者も右旋左旋の理を以て同気相感じて終に一場に会 [p.12] する事実に深理ある也。

○貪瞋痴の万般に染着する者を有漏の客と云也。

○法界心相を徹知する者を無漏の客と云ふ也。

故れ釈迦文仏の教法興有るが故に上下人民が其沢を蒙りて、有漏無明の暗を破 り尽して五十六億七千万稔三会の暁には。必ず弥勒菩薩が出現して、木に餅が就り 木に衣服が就りて、至治太平極安楽の御世となる焉。其時には石が物を言ふげな といふ事を皆々が骨髄に覚に居る矣。かかる幸福を上下人民皆悉くが予感致し居 ると云は実に徒事にあらず。全く釈迦文仏の功徳を蒙りて然る者也。此事を弥勒 所化の弟子は尽く釈迦文仏の弟子也。我が遺化に由りて有漏を尽す事を得たりと 云也。

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概略

釈迦仏は、3000年後の日本国に弥勒が出現するのをハッキリと知り、 志あるものは弥勒を信じ、弥勒の説法(弥勒三会)につき従うべきと言った。 そして若者たちに先立ち(弥勒の時を待つため)涅槃しようと決意し、 優樓螺迦葉らにもそう指示した。みな弥勒に届くことをひたすら念じ、 東北の方角に向かって入定した。

この大往生には、かような深い理由があったのだ。

しかし、この日本国の人たちは、釈迦仏の真意とは逆を目指す。方便説なぞを信じ、 阿弥陀仏の西方極楽浄土を信じ、西方に往生したいと願う人が多い。しかし彼らが 弥勒の出世を待つ場所としてイメージする極楽浄土というのは、じつは日本国のことだ。

世界のありかたは円環状である。だから輪廻を続けるうちに同類が集まってくる。 釈迦仏は東方、摩竭の国界毘提村、即ち大日本村にて弥勒に会おうと往生した。 そして日本人は西方を目指すが、インドを通り過ぎ、何度もグルグル回ったのち、 最終的には日本にたどり着くのだ。だから心から阿弥陀を信じる者は、 弥勒の説法を受けることができるのだ。

釈迦仏の教えを多少なりとも受けたものは、弥勒の説法に臨席できる。だから 最初に東へ行こうと西へ行こうと循環するうち同類呼び合い、最終的には 一場に会することができるのだ。深いね。

○貪瞋痴に染まっているものを有漏の客という。

○法界心相をよく知るものを無漏の客という。

釈迦仏の教えがあるから、人々はその恩恵を得て、無明の闇を破ることができた。 そしてその56億7千万後には、弥勒菩薩がきっと出現し、 木には餅がなり、衣服もなって、至治太平極安楽の世界になるのだ。 そんな時代になったら石が話しだす、というのはよく言われる。そんな幸福の到来を 人々が皆、予感しているというのはつまり、それはデラタメじゃないのだ。経文に 「彌勒所化弟子。盡是釋迦文弟子。由我遺化得盡有漏」と あるのは、そういう意味なのだ、と。

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つぶやき

「『釈迦仏は、弥勒仏は日本に出現すると予見した』というのは変じゃないか、 じゃあ何で、日本の人たちは西方極楽浄土に往生したがるのか。方向が逆じゃん」という 疑問を、誰かにぶつけられたことでもあったんでしょうか。それに対し「大丈夫。 西に向かっても、結局はグルグル回ってるうちに日本に戻ってくるから」というのは、 なんか答えになってるのか、なってないのか、よくわかりませんが。 でも浄土思想を持ってる人たちを、こちらに振り向かすことができるようになる、というのは 結構重要かもしれないですね。

 あとここでちょっと「おお」と来るのは「56億7千万稔」ですね。 この「稔」の解釈については、同じ大石凝の手による 弥勒出顕成就経 [URL]をどうぞ。 ちなみに、大石凝によると「56億7千万稔」というのは 「3000年」と解釈されます。なので「弥勒下生、それは今!!」という話になるわけですが‥

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