[前] それでも謎は残る |
本書を刊行した直後、1982(昭和57)年に新たな展開がありました。
[Table of Contents]それが同書末尾についている「補遺」(pp.33-36)で示されていますが、 そこで、ついに! すべての謎が解かれることとなったのです。
「塩付」というのが出てきます。たぶん、
処刑を執行する前に亡くなってしまった人が一人いたんですね。だから処刑の時まで
遺体を腐敗させないよう塩漬けにして、それで刑を執行したということなんですね。
なるほど。‥‥‥‥南無南無。(-人-)
かくて、やはり罪人(一揆の扱いになるんですかね?)として処刑されていたこと、 斬殺の場所は大野村の川原のへん、 『俗称やぶれの地点』という地元の言い伝えで合っていたことが確認されて 本書は終わりとなります。 これまで伝説としてしか知られていなかった事件における 事実関係がかなり明らかになったものの、その事実関係は期待していたものとは 違っていて、あんまり良いものではなかった --- 信太郎氏の胸中は複雑であったろうと推察されますが、とりあえず、 事実関係を明らかにできたことは良かったのではないかと思います。
[Table of Contents]大野のあゆみ編集委員会編(2003,平成15)『秋田蕗の里 大野のあゆみ』に、 ビックリするようなことが書かれてましたので紹介させていただきます。
上で紹介した目撃証言についてなんですけど‥
(^o^;;
‥まあ、公刊された書籍とはちがって、
個人蔵の古文書を、個人的なツテで たまたま運よく相場信太郎さんが見つけたという
感じのものみたいですからねー。んー。
個人蔵の古文書であれば、そういうのは あり得る話ではありますし、
まあ、この証言の内容は信太郎さんにとっては
自らの信念・期待を裏切る感じの内容のものですから、まさか捏造なんてことは
ありえないとは思いますけど‥。
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