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秋田県における「相場」姓についての概略を、ここで紹介させていただきます。
相場・相庭 (あいば)
アイバの地名から起こる。全国的には江戸時代の 村落名に饗場(愛知)・饗庭(滋賀)・合場(奈良) ・合波(福井)・相羽(岐阜)・相場(三重)ほか がみえる。地名語源説の一つに「アエ」は客に御馳 走でもてなす、「バ」は場所で、後に神社や朝廷に 食料品を捧げる御料地を意味するという。他説に疫 病をもたらす悪霊を鎮める道饗祭にちなむともいう。 いずれにしても民俗信仰の饗場が地名になり、アエ バが訛ってアイバとされ相場・相庭ほかの漢字をあ てた。相場・相庭は相通じる。
戦国期の安東実季家臣に相庭宗右衛門、作右衛門、 新助の名がみえる。次に由利郡矢島町に中世の相庭 館があり城主は相庭氏、江戸時代には矢島藩士の相 庭氏もある。その他富山県に古代大伴氏の子孫とい う愛場氏も起こった。
相場姓は県内314世帯で秋田市286(91%)、 ほか県内少数分布。秋田市では仁井田地区に集中し、 同地の特色的な名字。相庭姓は51世帯で仁賀保町 19、矢島町15が主体
(紋) 相場--笹竜胆、丸に井桁。相庭--片喰、丸に片 喰、丸に違い鷹羽
(丸山浩一(1999)『あきた 名字と家紋』秋田魁新報社, p.2)
家紋が笹竜胆(りんどう) [Wikipedia]‥えっ?! 下り藤[Wikipedia]じゃないの?! これってやっぱ矢島の相場さんが笹竜胆ということですかね。 (後日談: 秋田市仁井田の墓地で見渡してみると、同じ墓地にある同じ「相場」さんでも家紋は意外と バラバラであることが判明しました。これらの家紋、誰がいつ決めたんだろう?? たぶん明治期以降とは思うんですけど‥)
「アイバ」が「民俗信仰の饗場(アエバ)」が訛った結果、というのは ちょっと私の気を引きました。なぜかといえば、秋田における「アイバの巣」とされる 大野邑は、江戸時代から二井田(仁井田)村の支村という位置付けだったわけなんですけど。 その二井田という地名もまた元をたどると「贄田(ニエダ)」ではないか? という 説もあるからです(菅江真澄による)。たぶん偶然とは思いますが 「贄田(ニエダ)」と「饗場(アエバ)」の組み合わせ、というのは何かちょっと面白いですね。
私個人の勝手な妄想では、相場たちは由利郡からやって来たのでは? と思っていますので、 由利郡の相庭氏は案外少ないんだなあ‥と思います。 だって 秋田市仁井田大野における「相場」さんの電話帳掲載項目数が123ある訳ですから、 仁賀保の相庭さんが19件、矢島が15件という話になると、 相庭館なるものがあったのに、それしかいないのか?! と正直思ってしまいました。 無論、傍流の人たちが他地域に移住した結果、本流の人たちより大繁殖(?)してしまった、 というのは往々にして起こりえることではあるんですけどね。 (注意。この段落で書いてることは、すべて私の妄想です。為念)
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