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まずヨミについての話からしていきます。
先にも紹介したとおり篤胤翁に が師と仰ぐ本居宣長師は死んだら人は皆ヨミに往く、と仰せです。 宣長師が古典などを手がかりにした結果、ヨミは以下のようなもののようです (本居宣長『古事記傳』, 六之巻. 日本名著刊行会(1930), pp.274--275.より):
違いがあるとしたら「ただ死人の往て住む国」、つまり閻魔様や地獄などがあって 亡者どもはその責め苦に喘ぐ‥なんて世界観は仏教による捏造である、 という考えみたいですね。
[Table of Contents]篤胤翁は、基本的なところでは上記のような宣長師の説を受け継ぎます。
篤胤翁は、日本に古来から伝えられてきた「ヨミ」と、 中国の伝統である「黄泉(こうせん)」を混ぜてしまったせいで 「ヨミ」が訳わからなくなった。‥そんな感じに述べています。曰:
それはそうと。中国では 人は死ぬと魂・亡骸ともに「黄泉」に行くと書かれているみたいです。そして、 この黄泉とはそもそも何か? と遡っていくと、篤胤翁も仰せのとおり 「地下の冥界というよりは地下の黄濁した水を指す」という感じのようです。 しかし前述のように、篤胤翁は日本に古来から伝わる「ヨミ」が そんな「黄泉」などという「地下にある何か」とは全然違うだろ?! そんなものと 混同するのがそもそも間違いである! と主張します。
そして。中国人がいう「黄泉」を日本古来のヨミと混同してしまったせいで、 日本でも「死者の魂はヨミへ行く」と、そういう誤解をされてしまった、と。 このへん、どこがどう違っているかについてなんですけど。それを語るにはまず (仏教とか儒教などの外来の文化・伝説に染まって歪められて語られるようになって しまう以前の、本当の意味での) 日本古来のヨミ とはどんなものであったかを篤胤翁がどのように考えていたか? という話が必要だと思われますので、 その話を以下で紹介していきたいと思います。
(つづく)
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