[ 外道TOP :: GEDO in 天竺 ]

インド系古典にみる外道ども

インド系古典仏教文献における「外道(tīrthika)」で、目についたものを集めてみました。

[前] 「インド系古典仏教文献の外道ども」の基礎知識

根本有部律『出家事』に見る「外道」 (1)

[Table of Contents]

まずは用例

根本有部律によると、外道の出家は禁止されていた。 該当部分に、いーかげんな訳をつけて紹介しよう。 (該当部分: Mithila p.99-100; デルゲ 119b1-120a7; 漢訳 p.23:1038bc [SAT])

仏世尊がシュラーバスティーのジェータ林のアナータピンダダ 園におられました。そのとき、ひとりの外道がジェータ林に やって来ました。そこで彼は目撃してしまったのです。 ナイスな座が設けられて、そこにお供えされた飲食物が用意 されているのを。彼は思いました。「すげー。シャーキヤプトラの 弟子たちはこんな飲食物を受けてるのか!! でもダルマについては ウチのほうがナイスだな。よし。こやつらの中に出家してやれ。 それで、ここで飲食物を受けて、あっちでダルマを受けよう。ひひひ」 そして彼はビクたちに近付き言いました。「神聖なる方よ。私は 出家いたしたいのです」こうして彼は出家し、戒を受けたのでした。

 さて。外道どものポーシャダは14日で、ビクたちは15日でした。 そこで彼は14日には外道どものところで、15日にはビクたちのところで ポーシャダを受けていました。でもある時、黒月のためにビクたちの ポーシャダが14日目に行われることになってしまいました。 彼は迷ってしまいました。「うーん。あっちに行こうか、それとも、 こっちのポーシャダを受けようか」 . . . ここで彼にヒラメキが。 「こやつら仏教系の出家者たちは穏やかで安楽に 暮らしている。でも我が梵行なセクトはハードな戒律で苦しんでる。 もし(あちらに)行かないで ここにいることがバレたら、chalākā を 投げつけられたり、phalaka をねじ曲げられたり、khora を曲げられて しまうにちがいない (@_@; ‥うーん。梵行なセクトのほうに 行くしかない」かくて彼は外道どものほうに行ってしまいました。

(ここは訳が非常に怪しいブロック^^;)
 かくて「守寺者」が bṛddhaanta になって ビクたちがいるかを確認したときに、彼の姿はありませんでした。 「その名前のビクは来るのか? 現われるのか?(?)」 「とにかく、いないんです」 世尊は仰せです。「四方を見回してからポーシャダをすべし」 ビクたちは四方を見回してからポーシャダをおこないました。

 そして翌日。そのビクがやって来るのが目撃されましたので、 ビクたちは彼に尋ねました。「どこ行ってたんだよ?!」 彼は言いました。「梵行者たちのところに行ってたんだよ」 「君が言う『梵行者』って何?」「外道のことさ。僕は君たちの ところで飲食物を受けて、彼らのところで指導(ダルマ)を受けてる、 ってワケさ」

 この言葉をビクたちは世尊に伝えました。世尊は仰せです。 「外道者はプドガラ (-_-# ビクでも意図せず外道者になったらプドガラ。(??) 外道者は、我々の法と律に沿って育っていかないのでプドガラにするのだ。 誰かが出家したいと言ってきたら『君は外道者じゃないよね?』と 聞くべし。聞かないで出家させたらサーティサーラだ」 ウパーリが世尊に尋ねました。「世尊は、外道者はプドガラで ナーシャナに値すると仰せですが、どーいう状態だと外道者で プドガラでナーシャナに値するものとすればよいのでしょう?」 「見た目が外道なもの。その見解を持ってるもの。 そっちで朝を迎えたもの(??)。 こーいう感じなら外道者でプドガラでナーシャナに値するものだ」

[Table of Contents]

分析

なぜ外道は出家させてもらえないか? 上の文では「外道者は、 我々の法と律に沿って育っていかないのでプドガラにするのだ」 と訳してます。念のため原文を載せておくと、こんな感じ:

apraroha.nadharmaa bhik.savas-tiirthikaavakraantaka.h pudgalo'smin dharmavinaye (Mithila p.99,l.27) // dge slo^n dag ga^n zag mu stegs can shugs pa ni chos .hdul ba .hdi la mi skye pa.hi chos can yin pas .. (デルゲ 120a4)
佛言。彼外道執邪。情樂彼法。耶見不捨。然於 我教。終無利益。不能増長法眼。應須滅擯。 (根本説一切有部毘奈耶出家事(大正1444)p.23:1038c, [SAT])
うーん。何かちょっとアレですね。物語を見てるとどうしても 「『仏教なんかには興味ねえや』なんて言ってるくせに、 出家したフリをして仏教のオイシイとこだけ持ってこうとするヤツは 許せない」という情念のようなものを感じてしまいますので、 これはちょっと言い訳くさいような気がしてしまいます。 ‥なーんて思ってしまうのは私だけ???

[Table of Contents]

まとめ

いずれにせよ、「外道」に対する敵対感情・反感はあるかもしれませんけど、 侮辱、まして差別的な感情を持っているとはいえませんね。

[ Last Updated: 1998; 2012 ちょっと手入れ ]

[次] Saddharmapuṇḍarīka // 法華経