[ ぐるTOP :: 導師 ]

Who knows what a 導師 is?

「グル」の訳語としてよく使われる「導師」という語について。


[前] イスラム教

読み手とテクストとを仲介する「導師」

読んでで「ん?」と気になってしまう「導師」を見つけました。

読み書きが限られている社会[つまり、少数の人間だけが読み書きできる社会]では、 書かれたものは、不用意な読み手にとっては危険であり、読み手とテクストとを 仲介する導師のような人物が必要であると考えられている (Goody and Watt 1968, p.13)。 (W-J・オング(桜井・林・糟谷訳)(1991)『声の文化と文字の文化』, p.194)
「導師」って何だろう?‥読み手とテクストとを仲介する役割を果たすような、 そんな「導師」って過去の日本においていたんだろうか?? ‥などと、つい、 深く考えそうになってしまいました。

 けど、実際のところ、この文からそんなことを考えてもムダなわけで。なぜなら 上の「導師」は、よくある「グルを訳したらそうなりました」的な用例でしかない からです。ということで以下に対応部分の原文を:

Some societies of limited literacy have regarded writing as dangerous to the unwary reader, demanding a guru-like figure to mediate between reader and text (Goody and Watt 1968, p. 13). (Ong, W.J. (1982) "Orality and Literacy", Routledge., p.93.; paperback なのでハードカバーとページ数が違う気がする‥)

 「こう読むべき」というザ・規範的な理解のしかたを強制? 矯正? 押し付けてくる教師的な 意味合いで guru-like figure という単語を使ってますね。そして時代背景的には limited literacy となってますので、文字を読める人が限られた社会、そしてその場合、 文字を読める人・知識階級といえばほぼイコール宗教者(か官僚)という感じになるはずです。 そのへんを考え合わせてみると guru-like figure という表現はピッタリな感じがしてきますし、 その訳語も「導師のような人物」‥‥んー。気持ちはわかりますけど。導師かー。 気持ちはわかりますし、私も訳をつけるとなると「グルのような人」なんて訳文は 却下されるでしょうから、するとやっぱ「導師」という訳語を使わざるを得ないかなー、 なんて思ってしまうんですけど。でも私個人の感覚では、やっぱ 「導師」は「グル」の訳語になりきれてないと感じてしまいました。 まあ「グル」ってのは英語にとっての外来語なわけで、まあ元の英語が外来語使って表現してる ものを、昔からある いわば「手垢がベットリ付いた」訳語で表現するというのが、やっぱ、 そもそもムチャだよなー、と改めてしみじみ感じてしまいました。 そのへん、どうなんでしょうかね。

[次] 非仏教系の「導師」