聖霊の時代をひらく「導師」
12c末に活躍したフィオレのヨアキムという人[Wikipedia]に関する記述で「導師」を見つけましたので、紹介させてください。
ヨアキムはかの有名な霊感を受けて、歴史を父と子と聖霊の三時代に分けたが‥(略)‥
子の時代が終わりに近づいても、いきなり聖霊の時代に道を譲るわけではない。
アダムからキリストまでは四二世代だったので、ヨアキムはキリストから新しい時代までも
四二世代になると計算した。すると四〇世代で西暦一二〇〇年となり、第三の時代は
一二六〇年に始まることになる。だが、始まりがはっきりしているわけではない。
困難な過渡期があって、反キリストと戦わなければならず、その戦いには
まったく新しい「導師」と隠者と説教師が善の軍勢の救援にくる。
その後でやっと、新しい時代が始まるのだ。ヨアキムは、聖霊の時代は生まれ変わった教会が
生活のすべての面を統制する至福の時代になると考えていた。まったくのカトリック的な
考え方である。
(ダミアン・トンプソン(渡会和子訳)(1999)『終末思想に夢中な人たち』翔泳社.p.68)
(「導師」の強調は私、カッコ付けは原文ママです。)
ちなみにこの「聖霊の時代」「第三の時代」というアイデアは、後代になると拡大解釈され
曲解され、「多くの革命家が、自分の地上の楽園を人類史の第三段階と考えていた」(p.69)、
たとえばナチスの第三帝国‥という感じで話は続いていくようなのですが、それはさておき。
文中に強調で示したところ、「導師」・隠者・説教師と
並んでる中、「導師」だけがカッコ付けで書かれてます。
原文では何となっているのか不明ですが、いずれにせよ、カッコ付けということは、
なにか特別な意味を持たされているということですよね。何だろう?
この後に出てくる「霊的な人」のことかな? この後にところに、こんな:
「重要視していたのは、第三の時代に教会を変えるために尽力する
「霊的な人」だった。彼らは博識だが、「雲のように軽やかで霊的な」会話をする。
彼らの役割を強調することで、ヨアキムは預言という媒体をとおして、教会組織の
俗臭を批判する自分の主張の正しいことを示したのである。預言は、あからさまな
批判よりも安全な方法だった」(p.70)。
こんな記述があるんですけど、これを指してるんですかね。
‥‥「雲のように軽やかで霊的な会話」だと?! ‥‥全然イメージできない(^_^;;;
けど、教会を批判するダシになり得る存在という位置付けですから、何というか、たぶん、
普通の人間とは異なる、もうちょっと上の、神に近い感じなんでしょうかね。
そのへんを「霊的」という単語が表してるのかな?
なお、フィオレのヨアキムについて調べてみたところ、
[ フィオーレのヨアキムが語る千年王国 ] [URL]というページを見つけました。
このページの本文部分のいちばん下のあたりに、こんな記述が。
■ヨアキムの語る千年王国とその終わり
さて、反キリストの支配の時代が終わることでついに千年王国がやってくるわけだが、それはただ待っていればやって来るという種類のものではない。当然、そこには闘争がある。
この闘争を指導するのは、この時代に出現した〈新しい
導師〉であり、彼と共に〈霊的な人々〉も戦いに加わるとヨアキムはいっている。古い時代のキリスト教黙示論と同じく、この戦いが勝利のうちに終わることで、千年王国が到来するのである。戦いの勝利は、キリストが悪の勢力を掃討し、獣を火の湖に投げ込み、サタンを冥府につないだときにもたらされるという。ただし、ヨアキムにとっては、この王国は単純にキリストの再臨に結びつくのではなく、あくまでも聖霊の業だと考えられている。
(
草野巧. [ フィオーレのヨアキムが語る千年王国 ])
(「導師」の
強調は私です。)
こちらも「新しい導師」がカッコ付けで書かれてますね。ということは、
元の文にカッコ付きで「導師」と書かれてるんでしょうか。
この「導師」の中身が気になるけど、やっぱり、わからない‥。
すみません。キリスト教文化について、まったく詳しくないですので、今のところ、
これ以上何かを語ることができません(>_<)
律蔵と導師 [guru is *not* glue!]