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久保田三十三所 (札打)

The 33 Kannons of Kubota (Akita City) and "Fuda-uchi".


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ご詠歌の起源

久保田三十三のご詠歌は、本家「西国三十三」のご詠歌をほぼそのまま流用したものです。 そしてその本家「西国三十三」のご詠歌は、「花山法皇ご謹製」(10世紀末?)とされています。 しかし近代的な学問の枠組みから検証してみた場合、 その花山法皇起源説は非現実的と考えられています。この点について、 速水侑(1980)「観音信仰と民俗 観音巡礼の発達を中心に」 (五来重 他編『講座 日本の民俗宗教2 仏教民俗学』弘文堂,1980.) に西国三十三のご詠歌の起源に関する記述を見つけましたので、ここで紹介させて いただきます。

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「西国三十三」は東日本向け

 速水1980は、(関西地方に存在する、「三十三番札所」の総本家とされる) 「西国三十三所霊場」の巡礼コースに注目します。この巡礼コースというのが‥

伊勢神宮に参詣したのち熊野に入り、那智青岸渡寺を 出発し、紀伊・河内・和泉・奈良から醍醐・石山・三井寺を経て京に入り、丹波・摂津・ 播磨・丹後・若狭から近江に出て美濃谷汲寺(華厳寺)に至り (p.270)
このようなルートになっています。つまり、伊勢(名古屋の南)から紀伊半島の海岸沿いを進み、 熊野に行き、そこから和歌山、奈良、大阪と北上して京都に入り、そこからさらに 兵庫、そして日本海に出てから琵琶湖に行き、岐阜(名古屋の北)でゴール。つまり、 名古屋のへんから始めて、琵琶湖のあたりを中心とした時計回りコースを進んだのち、 名古屋のへんにゴールしている、と。‥‥このルート、どう考えても 京都や近畿地方の人たちよりも、東国、つまり関東地方の人にとって 便利なルートであると指摘しています。

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ご詠歌は東日本製?

 またご詠歌の内容を見てみても、たとえば 二番「故郷をはるばるここに紀三井寺、花の都も近くなるらん」、 卅二番「あなとうと、導きたまえ観音寺、遠き国より運ぶ歩みを」などの歌を見るかぎりでは

京や畿内の人よりも、遠い東国からはるばる巡礼にきた人の歌とみて実感がわく。 巡礼歌の歌体は、十六世紀はじめの『閑吟集』に似ており、この前後に成立したと 考えられるから、おそらく三十三所が東国人に便利な現在の順序に改められて遠からぬころ、 東国人によって歌われたのであろう (p.270)
速水1980は、このような指摘をしています。

 ‥‥たしかに。 「花の都」というのはどう考えても「京のみやこ」、京都のことでしょうから、 京都や大阪の人が和歌山の紀三井寺に行って「花の都も近くなるらん」なんて思うわけないですよね。 逆に京都から遠くなってるじゃん! という感じで (もちろん、その前に一番札所・那智青岸渡寺に行っていた場合は「いやー、ようやく ここまで帰ってきたよ!」という意味にも解釈は可能ですけど。でもそうすると今度は歌の前半 「故郷をはるばるここに‥」と矛盾しそうですけどね)。 また一旦京や大阪に入ってから紀三井寺に行くことになるだろう中国地方の人たちも、 たぶん紀三井寺に行く途中で京都や大阪を通過してくる可能性が高いでしょうから、 これもやはり紀三井寺に行って「花の都も近い」とは思わないでしょう。 それを考えると この歌は関東、あるいはさらに遠くの東北地方の人たちの感覚と非常に近いものと 言えそうです。 また「遠き国より」という表現も同様に、近畿やその周辺の人の中には和歌山を遠く感じる 人もいるとは思いますが、でも「遠き国」と「国」という語は使わないだろう、 とも思いますよね。それと上記のとおり西国三十三所が東国人にとって巡礼しやすいルートに なっている点も、その推測、つまり「御詠歌は東から」説を 強化する材料になっているように思われます。 歌体については、よくわからないのでパスです。 (なお。観音信仰の歴史と絡めた「西国三十三」の成立に関する概略については、 [こちら]をどうぞ。)

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つまり久保田のはオリジナルに近い?

 さて。先ほど「久保田と近畿はちょっと違う」「久保田は江戸と近い」という話を しましたけど、それとこの「御詠歌は東から説」を合わせると、いったい何が言えるか。 無論これは妄想レベルの与太話ではあるんですけど、 「東から」説が正しければ、ひょっとしたら、江戸の伝承と近畿の伝承に異なりが あった場合、江戸のほうが実はオリジナルを伝えていて、近畿のほうには 多少間違った形のものが伝わっている可能性があるかも、 という話になってくる訳じゃないですか。ということはつまり、久保田の伝承は 江戸の伝承に近いということと考え合わせると、久保田と近畿との間で歌詞に相違があるとき、 実は久保田のほうがオリジナルに近くて、近畿のほうがオリジナルじゃない伝承を 伝えている可能性がある、ってことになるわけですよね。何という どんでん返し! ‥‥なんてことを思いついて、 速水氏の文章を読んでる最中に、なんかニヤニヤしてしまいました(^_^)

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