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仏説地蔵菩薩発心因縁十王経

成都府大聖慈恩寺沙門蔵川述『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』
(発心因縁十王経、地蔵十王経)の大雑把訳です。

底本は 石田瑞麿(1986)『民衆経典』筑摩書房(仏教経典選12). です。
ページ番号は、この石田1986における対応箇所です。
石田1986 は『大日本続蔵経』(2-乙23-4)を用いているようです[CBETA][NIJL]


[前] 5:地蔵菩薩の誓願

6:変成王から10:五道転輪王

 [14] 「六番目は変成王庁、弥勒菩薩である

 前の二人の王が、秤と鏡によってすでに諸事明白にしているので。 もし亡者に罪あれば悪を問いつめ、福あれば善を勧める」

 ある神様の偈。

亡者たち 冥途に入って 六七日 恐怖がせまり 愚を諭される
日々願う ほとけの功徳 その力 ゴールは天界 それとも地獄か
(pp.260--261)

 [15] 「七番目は太山王庁、薬師如来である

前の三人の王たちにより、二枚舌の罪の判決が出る。 善因悪縁によって、転生に関する諸条件が調べられる」

 ある神様の偈。

中陰や 冥途に入りて 七七日 父母情を 通わすを待つ
善行の 判決まだまだ 未確定 亡者にもたらす 追善あるなら

 苦しみ嘆く亡者、頌して言う。

待ちかねた 七七日が やって来た 飲まず食わずで 寒くてたまらん
我々の 遺した財産 けちらずに 追善作善 我を助けろ
亡き親が 禁められて 地獄堕ち 知らぬ子どもは 静かに暮らすか
何よりも 恐ろしいのは 閻獄苦 頭燃それさえ 譬喩にはあらず
(pp.261--264)

 [16] 「八番目は平等王観世音菩薩である

 内心は慈悲に満ちているが、外見は憤怒の表情である。 布施する者は教え導き、貪欲者に罰を与える」

 ある神様の偈。

亡き人は 百日たっても 苦は止まぬ 手枷足枷 ムチで血だらけ
汝等が 追善作善 なすならば その善行により 生天するかも
(pp.265--266)

 [17] 「九番目は都市王阿閦如来である

 亡者を哀れんで言う。 『いろんなお経のなか法花経は、竜女が海を出て無垢成道するを語る。 いろんな仏様のなか阿弥陀仏は、光明あまねく熱寒苦を除く。 亡者の助けとなりたい者たちは、今日、追善のため八斎戒をうければ福力抜群。 怒りを捨てて亡者を救えよ』」

 ある神様の偈。

一年が 過ぎるこの日も 辛苦たり 男女もともに 福業積めよ
六道の 輪廻の行き先 まだ未定 造経造仏で 迷津を脱出

極悪と 極善そこまで いかずとも ささいな善悪 亡者のために
仏経の 力をかりて つぎの生 追善あれば 仏なるかも
(pp.266--270)

 [18] 「十番目は五道転輪王庁、阿弥陀仏である

 ある神様の偈。

三度目の 関所を越えて ここに来た 悪人どもは 追善たよれ
不善なす 者ども、生まれ 替わっても 千日もたず すぐに落命

放逸と 邪見それこそ 過ちで 愚痴無智それは 許されぬ罪
過と罪が 車輪のごとくに 回転し 我らは向かう 三途の地獄
(pp.270--272)

 [19] そのとき。十王、羅刹婆、冥官、司候どもが立ち上がり、合掌して仏に申し上げる。 「世尊。われら諸王は、化身だったり本物だったりする訳ですが、 亡者ども同様、そこにいる苦しみに我慢できません。 何とかこの苦しみの場所を離れ、おだやかな場所に帰るわけにはいきませんでしょうか」 世尊は仰せ。 「汝らの過去生に問題あり。他人が苦しむのを見て喜び楽しみとなし、 他人をそそのかして悪事をさせ、善人がいれば憎む。 誰か死んだと聞けば喜ぶ。 貪欲でケチ、すぐ怒って理性を失う。‥こんなヤツらは閻魔国に生まれることとなるのだ。 さっき説いた涅槃経にもあったが、仏性は常住である。 心あるものは皆、仏性をすでに具えているので、 すべての者は「このうえなきさとり」を得ることができる。 覚えておけ。その仏性により、三熱の大苦から逃れることができる、と。

世のなかの すべてのものは 常ならむ 生まれて消える これが法則
生滅の 法則こそを 滅すれば 寂滅のこる これこそ安楽
はるか遠い昔を思い返してみると。あれは私が雪山童子のとき。そのときはじめて この言葉を知り、そこから生死を離れた涅槃の境地に到達したのである」

 王たちは世尊の言葉を拝聴して喜び、まるで甘露(不死)の膳を味わったような心地となった。 そして熱悩から解放されて不退転の境地を得た。そして、その場に居合わせた者たちは 仏説を聞き、みな大喜びし、世尊に挨拶をして涅槃処を後にした。 彼らは閻魔王国に帰り、信仰を深め つとめ励んだ。 (pp.272--277完)

[次] めも