[前] 5:地蔵菩薩の誓願 |
前の二人の王が、秤と鏡によってすでに諸事明白にしているので。 もし亡者に罪あれば悪を問いつめ、福あれば善を勧める」
ある神様の偈。
亡者たち 冥途に入って 六七日 恐怖がせまり 愚を諭される(pp.260--261)
日々願う ほとけの功徳 その力 ゴールは天界 それとも地獄か
前の三人の王たちにより、二枚舌の罪の判決が出る。 善因悪縁によって、転生に関する諸条件が調べられる」
ある神様の偈。
中陰や 冥途に入りて 七七日 父母情を 通わすを待つ
善行の 判決まだまだ 未確定 亡者にもたらす 追善あるなら
苦しみ嘆く亡者、頌して言う。
待ちかねた 七七日が やって来た 飲まず食わずで 寒くてたまらん(pp.261--264)
我々の 遺した財産 けちらずに 追善作善 我を助けろ
亡き親が 禁められて 地獄堕ち 知らぬ子どもは 静かに暮らすか
何よりも 恐ろしいのは 閻獄苦 頭燃それさえ 譬喩にはあらず
内心は慈悲に満ちているが、外見は憤怒の表情である。 布施する者は教え導き、貪欲者に罰を与える」
ある神様の偈。
亡き人は 百日たっても 苦は止まぬ 手枷足枷 ムチで血だらけ(pp.265--266)
汝等が 追善作善 なすならば その善行により 生天するかも
亡者を哀れんで言う。 『いろんなお経のなか法花経は、竜女が海を出て無垢成道するを語る。 いろんな仏様のなか阿弥陀仏は、光明あまねく熱寒苦を除く。 亡者の助けとなりたい者たちは、今日、追善のため八斎戒をうければ福力抜群。 怒りを捨てて亡者を救えよ』」
ある神様の偈。
一年が 過ぎるこの日も 辛苦たり 男女もともに 福業積めよ(pp.266--270)
六道の 輪廻の行き先 まだ未定 造経造仏で 迷津を脱出
極悪と 極善そこまで いかずとも ささいな善悪 亡者のために
仏経の 力をかりて つぎの生 追善あれば 仏なるかも
ある神様の偈。
三度目の 関所を越えて ここに来た 悪人どもは 追善たよれ(pp.270--272)
不善なす 者ども、生まれ 替わっても 千日もたず すぐに落命
放逸と 邪見それこそ 過ちで 愚痴無智それは 許されぬ罪
過と罪が 車輪のごとくに 回転し 我らは向かう 三途の地獄
[19] そのとき。十王、羅刹婆、冥官、司候どもが立ち上がり、合掌して仏に申し上げる。 「世尊。われら諸王は、化身だったり本物だったりする訳ですが、 亡者ども同様、そこにいる苦しみに我慢できません。 何とかこの苦しみの場所を離れ、おだやかな場所に帰るわけにはいきませんでしょうか」 世尊は仰せ。 「汝らの過去生に問題あり。他人が苦しむのを見て喜び楽しみとなし、 他人をそそのかして悪事をさせ、善人がいれば憎む。 誰か死んだと聞けば喜ぶ。 貪欲でケチ、すぐ怒って理性を失う。‥こんなヤツらは閻魔国に生まれることとなるのだ。 さっき説いた涅槃経にもあったが、仏性は常住である。 心あるものは皆、仏性をすでに具えているので、 すべての者は「このうえなきさとり」を得ることができる。 覚えておけ。その仏性により、三熱の大苦から逃れることができる、と。
世のなかの すべてのものは 常ならむ 生まれて消える これが法則はるか遠い昔を思い返してみると。あれは私が雪山童子のとき。そのときはじめて この言葉を知り、そこから生死を離れた涅槃の境地に到達したのである」
生滅の 法則こそを 滅すれば 寂滅のこる これこそ安楽
王たちは世尊の言葉を拝聴して喜び、まるで甘露(不死)の膳を味わったような心地となった。 そして熱悩から解放されて不退転の境地を得た。そして、その場に居合わせた者たちは 仏説を聞き、みな大喜びし、世尊に挨拶をして涅槃処を後にした。 彼らは閻魔王国に帰り、信仰を深め つとめ励んだ。 (pp.272--277完)
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