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餓鬼について

[佛説救抜焔口餓鬼陀羅尼經]に 端を発して作成している「めも」です。


[前] 餓鬼の二種

[中国] 薛茘多

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薛茘多(プレータ)

ところで。「プレータ」と関連して 「薛茘多」(へいれいた = preta)という、なかなか難しい漢字を使った単語があるようです。

 「薛茘多」で検索するとすぐ出てくるのが以下:

四天王の配下とされる八部衆がある。(1)乾闥婆,(2)毘舎闍(ぴしやじや)(ピシャーチャPiśāca),(3)鳩槃荼(くはんだ)(クンバーンダKumbhāṇḍa),(4)薛茘多(へいれいた)(プレータPreta),(5)竜,(6)富単那(ふたんな)(プータナーPūtanā),(7)夜叉,(8)羅刹(ラークシャサRākṣasa)。このうち(2)と(8)は食人鬼の一種。 [ 世界大百科事典内の薛茘多の言及 ]
ここでは「八部衆(八部鬼衆)」というやつの4番目にプレータ(薛茘多)が入ってるのがわかります。 四天王配下、とくに「南方を守護する増長天の眷属」とか書かれてますけど。んー。

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仁王経疏に書かれてる!

本当かよ?! というのもあって、ちょっと出典を調べてみました。 Wikipedia によれば『仁王経合疏』上 に書かれてるらしいんですけど、

佛說仁王護國般若波羅蜜經疏卷上 (卍続513)
姚秦三藏法師鳩摩羅什 譯
陳隋 天台 智者大師 疏
閩建州後學沙門 道霈 合
こんな感じの文書が『大日本続蔵経 26』に入っていて、 これがその『仁王経合疏』のようです。「智者大師」と書いてありますから、 かの天台智顗による注釈ということですよね。6世紀。

 探してみると、これですね:

有無量菩薩比丘八部大衆。各各坐寶蓮華。 [ 佛説仁王般若波羅蜜經 (大正245) p.8:825b. ]
ここでまず紹介するのが『佛説仁王般若波羅蜜經』(大正245;鳩摩羅什訳)という「お経」の 経文なんですけど。 「薛茘多」などの記述は、この経文に対する注釈を述べるところに出てきます。 経文の中にある「八部」に対するところ。以下のような感じ:
八部者乾闥婆毗舍闍二眾東方提頭賴吒天王領鳩槃茶薜茘多二眾南方毗留勒叉天王領龍富單那二眾西方毗留博叉天王領夜叉羅剎二眾北方毗沙門天王領(云云) [ 佛說仁王護國般若波羅蜜經疏卷上 (卍続513) p.151c06 ]
[大雑把訳] 「八部」とは。(1)乾闥婆、(2)毗舍闍の2種の者らは東方提頭賴吒天王(持国天)領にある。 (3)鳩槃茶、(4)薜茘多の2種は南方毗留勒叉天王(増長天)領に。 (5)龍、(6)富單那の2種は西方毗留博叉天王(広目天)領に。 (7)夜叉、(8)羅剎の2種は北方毗沙門天王(多聞天)領に。

 お、探すと、他の仁王経疏にも同じような説明がありますね。 吉藏撰とありますので、 これもやはり6〜7世紀か。

後明八部者 一刹利衆二沙門衆三婆羅門四四天王衆五 三十三天衆六六欲天衆七魔衆八梵衆。又 言龍鬼八部者一乾闥婆二毘舍闍此二屬提 頭頼吒天王。三名鳩盤荼四名薛茘多此二 屬毘留勒叉天王。五龍六富單那此二屬毘 留博叉天王。七名夜叉八名羅刹此二屬毘 沙門天王 [ 仁王般若經疏 (大正1707; 吉藏撰) p.33:320c. ]
[大雑把訳] 「八部」とは。(1)刹利衆 (2)沙門衆 (3)婆羅門 (4)四天王衆 (5)三十三天衆 (6)六欲天衆 (7)魔衆 (8)梵衆。 龍鬼八部の場合は (1)乾闥婆 (2)毘舍闍、この2つは提頭頼吒天王(持国天)に従う。 (3)鳩盤荼 (4)薛茘多、この2つは毘留勒叉天王(増長天)に従う。 (5)龍 (6)富單那、この2つは毘留博叉天王(広目天)に従う。 (7)夜叉 (8)羅刹、この2つは毘沙門天王(多聞天)に従う。

 ‥んー。たしかに仁王経に対する中国産の注釈文献(6〜7世紀)では 「薛茘多は増長天に従う」と書かれてることは確認できましたけど。でもなー。 単に列挙されてるだけ、という感じですから。 なんか「そういう設定になってます」レベル以上のものが感じられないのはちょっと 物足りないなー。

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亡者でなく怪物

それと ちょっと気になるのは、龍鬼八部衆として列挙されてる他の項目です。 ガンダルバ、ピシャーチャ、龍、夜叉、羅刹‥完全に「人間以外の何か、な者たち」 ばっかりですよね。つまりここでの「薛茘多」も同じように「人間以外の何か」として ここに列挙されてる可能性が高そうですよね。 昔の中国はやはり親とか祖先に対する孝の意識は高そうですから 「薛茘多は preta で人(祖先)の死後だ」ともし知っていたら、 そんなピシャーチャとか夜叉・羅刹とpretaを一緒の扱いにはしないんじゃないかなー、 つまり中国人は 「薛茘多」と「餓鬼」と「祖先」は別物と考えてたんじゃないかなー。‥なんて ことを思ったりするんですけど、どうなんでしょう?

 まとめると。ここで「薛茘多」を龍鬼八部衆に割り振った人たちが、 「薛茘多」が餓鬼や祖先と同じと認識していたかどうかは不明ですけど。いずれにせよ、 ここで餓鬼が「人の死後」をはなれて「人となんかちがう化物」に、ついに なったんですね! それが遅くとも6〜7世紀(南北朝〜隋)の中国!

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