法華経よりはじまる
[Table of Contents]観音経は現世利益
法華経の「かんのんさまの章」、
よく見てみると
「もし大きな炎に包まれても」「川で流されたとしても」「処刑される人が」
「欲深い者が」「息子を望む女性が」‥という感じで、なんか現世利益的なことしか
述べられてない感じです。しかも以下:
「罪人か否かを問わず」枷に隙間ができて、助かる。‥こんな感じですからね。
もう現世利益以外の何物でもない感じです。
[Table of Contents]観音さまと往生信仰
しかし一方では、死後についてのお願いを観音様に
託す人も昔から結構いるようです。
其の信仰の盛なるに従ひて形像の造立も行はれ、‥(略)‥
北魏以後其の風益盛にして、現に大同、龍門、駝山等に其の遺品の存するもの多く、
銘記あるものに依れば、概ね皆補陀落浄土に往生せんことを願じたるが如し。
(望月仏教大辞典, p.806)
北魏とあるので5世紀くらいか。その時期の中国ですでに観音信仰は盛んで、その内容は
「概ね皆補陀落浄土に往生せんことを願じたる」ものだったようですね。
つまり、上記「かんのんさまの章」ではその気配は全然ないのですが、たぶんその後
観音様に対する多くの人たちの関心が高まって
観音様に人気が集中しすぎた結果、
次ページ以降で紹介するように
-
「観音様は南方にあるはずの補陀落におられる」(華厳経)、あるいは
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「いやいや、西方の極楽浄土におられる」(浄土系)など、
あちこちで ひっぱりだこ になってしまって
ダブルブッキングしちゃったような感じになったようです。
(以下、鎌田茂雄(1997)『観音のきた道』講談社現代新書. をかなり参照してます。)