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現代日本における外道ども

現代日本における「外道」の用例で、気付いたものを集めてみました。

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Comic::デビルマン(1973)

週刊少年マガジンに1972〜1973の期間に連載していた 永井豪さんの『デビルマン』という マンガの中に「外道」が出てきます。

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情報源

このネタは「人間城の主」さんという方から1999年頃にお寄せいただいた、

「デビルマン」で不動明が美樹ちゃんを殺した人間どもに「外道!!」と叫んで
いたのを思い出しました。悪魔に外道呼ばわりされるかあ。
この情報に基づくものです。

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用例

調査してみましたところ、ヒロインの美樹ちゃんを殺した人間どもではなく、 美樹ちゃんのご両親を拷問死させた人たちに対して発しているようです。

外道!
きさまらこそ悪魔だ!

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文脈

‥ただ、これだけだと何がなんだかよくわからないかもしれませんので、一応ストーリーを 追ってみます。

 主人公の不動明が実は悪魔であることがバレてしまいます。

 すると、不動明を 自宅に住ませていた牧村家(ヒロインの美樹ちゃん一家)も自然と「あいつらも、実は悪魔じゃね?」 という疑いを持たれるようになります。美樹ちゃんの両親は捕えられ、 拷問にかけられます。

 それを知った不動明はデビルマンとなって両親を救出に向かうのですが、 駆けつけたときにはすでにお母さんは拷問死、お父さんも「明くん、子供らを‥」とだけ 言い残して息絶えます。ここでデビルマンは、自分が来るまで拷問していた者どもを見つけます。

 デビルマンの怒りを鎮めて何とか助かりたい彼らは、デビルマンにこう言うのです:

「待ってくれー おれたちは / こ 殺していない」
‥‥さらに続けて

「そうなんだ おまえたちの仲間を 殺して いないんだ!」
「お・・・おれたちの やった やつらは みんな 人間 だったよ」
「あはは そうなんだ // しめあげたけど けっきょく 人間ばっかり だったんだ」

 しかし。当然のことながら、彼らの言葉は逆にデビルマンの怒りをさらに増幅させるだけです。

 そして。ついにデビルマンがこう叫ぶ訳です:

外道! / きさまらこそ悪魔だ!」
さらに続けて
「おれは からだは 悪魔になった・・・ だが / 人間の心を うしなわなかった! // きさまらは 人間の からだを もちながら 悪魔に! / 悪魔になったんだぞ! / これが! これが! おれが身をすてて まもろうとした 人間の正体か!」

 そしてデビルマンは「地獄へおちろ 人間ども!」と彼らを焼き殺してしまうのでした。

 一方の牧村家。デビルマンが悲しき叫び声をあげていた その時、 美樹ちゃんたちが近所の人たちの襲撃を受け、抵抗むなしく皆 惨殺されてしまいます。 一歩遅れて牧村家にやってきた不動明は、 美樹ちゃんの変わり果てた姿を目にしてしまうんですけど。 そのときはもう、あまりの感情の昂りにただ「うおおおおお」と吠えるのが精一杯。 悠長に「外道」なんていう単語を使う余裕もなかったみたいです。

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分析

 ‥さて。ここでの「外道」についてですが。 このときの不動明(デビルマン)の心境としては、以下の二つの要素があったと思われます:

  • 「外道!」と叫んだ後に「きさまらは 人間の からだを もちながら‥悪魔になったんだぞ!」 と言っているところから考えると、 人間の心がなくなってしまい、人を拷問死させても平気でヘラヘラ笑っているような 者を 「悪魔」と呼び、そのような状態になってる者に対する 罵倒の言葉として「外道」と叫んでいる
  • 自分は「からだは悪魔になったが、人間の心を失わず、身をすてて人間を守ろうとした」 ‥つまりデビルマンは自分は人間である、だから人間を守って悪魔と戦うのだ、と ずっと思っていたのですが。しかし自分が生命をかけて守ってきた人間どもは 自分にこう言うわけですよ。 「おまえたちの仲間を殺してない、やつらは皆人間だった」と。 ‥そうか、これほど尽くしてもヤツらは自分を自分たち仲間と認めることは絶対ないのか、と。 このとき、相手(人間ども)と自分は永遠にわかりあえない関係であることに気付いてしまった 不動明がきっと感じたであろう絶望感・疎外感が「外道」という言葉に出ているのかも。 (この後「地獄へおちろ 人間ども!」と、「人間ども」呼ばわりしている ことから、おそらく、このときの不動の怒りの中心はこちらですよね。)

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仏教的な悪魔=外道(異教徒)の可能性は

 「悪魔」だから「外道」なんだろうか、とちょっと考えましたけど、ここでいう「悪魔」とは 仏典とかに出てくる悪魔とはちょっと性質が異なるんじゃないかという気がします。 その理由としてまず以下:

「われらは ヒンズー教 の僧侶 きびしき 戒律で 精神を きたえし者」

「デーモンの 合体を うけたとき // すべての 僧が デビルマンと なった //  すべて 精神力を きたえし おかげと いえよう」
きびしき戒律を保ち、修行にはげむ僧侶たちが「デビル」ですから。 仏典の外道とか悪魔と、ここでのデビルは別‥‥はっ。 「ヒンズー教の僧侶」かッッッ! ヒンドゥー教だと本来的な意味での「外道」になりますからね、 仏教的な意味での「外道」の枠組みに入ってもおかしくないのか?? ‥いやいや、 まさか永井豪先生はそこまで考えてないとは思いますけどね。 『激マン!』みると
「僧侶だ! 精神や肉体を 極限まで 鍛えた者が全部 デビルマンになる」(p.5:204)
とあり、僧侶たちがヒンドゥー教に属していたことに特別な意味はないように見えますし (つまり仏教の出家者=修行、というイメージがなかったから それっぽい他のものにした、といった程度ですよね)。

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聖書の黙示録「ぽい」イメージ

ここでの「悪魔」などの描写は仏教とは関係ないという点について、他のページでも‥

「フフ 黙示録の 世界だな まるで‥‥」
「黙示録」
「聖書にある ヨハネの 黙示録だ // バドモス島にいる ヨハネに 神が  未来を見せ それを書き示す ことを命じた 神の 予言書って わけだ」
「魔女狩り だ! // 十六世紀ヨーロッパの 暗黒時代が また はじまる!」
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こんな感じに書かれてますから、聖書とか中世ヨーロッパとか、仏教よりもキリスト教的な 終末感のほうが中心なんだろうなという気はしてましたけど。

 さらに2010年頃? (コミックスは2011年)に出た 『激マン! (5)』を見ると、デビルマンの終末のイメージについて以下:

「ウーン ヨハネの黙示録と 少し違うような… イヤ部分的には いいんですけど」「いいんだよー オレは黙示録 読んでないし ……… // テキトーなの!」「ハアー」「「デビルマン」は 別に 聖書の紹介マンガじゃねーし… // なんとなく それらしさが 出てれば いいんだよ」(p.5:88)
こんな感じに描いてる箇所を見つけました。 なんか身もフタもない感じで「聖書の終末っぽさ」を 出したかった的なことを書いてますけど、まあ、そういうことなんでしょうね。

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まとめ

 ということで。「デビルマン」における用例については、 まあ、単に、ひどい人に対する罵倒の言葉、 また絶対に自分とは相容れない存在であることに気付いてしまった相手(もう敵ですよね)に 対する罵倒・あきらめの言葉としての「外道」という感じに解釈できそうです。

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