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以下の本にあった記述。
日本科学者会議編, 『オウム・超常信仰と科学 -- 青年たちはなぜ殺人集団に加担したのか』, 清風堂書店, 1997この「資料(1) 【信徒庁決意】」という箇所の中に。
「外道を導く」‥つまり、いちおう「導く」と言ってるわけですから、 外道、つまりオウム真理教の信者以外の人たちに対する敵意とか対立意識というのは、少なくとも この文書を作成する段階では、それほどなかったように思えます。
でも、ちょっと気になることもあって。「無明の凡夫外道」という表現は、 「凡夫と外道」なのか「凡夫、すなわち外道」なのかという点です。 つまり「外道」というのは異教徒、たぶん他の積極的な新興宗教団体の信者の人たち (ソーカとか)を指すのかと勝手に思いそうになりますけど。 いわゆる自称「無宗教」な人らも入れてるんですかね? そういうノンポリな人らは 「凡夫」枠なんでしょうか。 どっちも「教団外のひと」という点では同じなんでしょうけど、そのへん、 細かいところがちょっと気になりました。
[Table of Contents]でも。ある時点以降、状況は変わっていくようです。
よく言われているのが1990年2月、オウム真理教が「真理党」をつくって 衆議院選挙に立候補したものの、全員落選してしまったとき。この落選直後の 麻原の言葉によれば‥
未解決事件オウム真理教秘録 [ 日本放送協会 ] |
この時期すでに麻原は武力による麻原王国の建設の準備をすでに始めていた みたいですから、選挙の落選が武装化の直接の引き金ではないんですけど。 しかしこの時にハッキリとその野望を公言したというのはやはり一つの ポイントですよね。 (‥ただなあ‥。これ聞いただけだと、まさかその後に武装闘争路線に真っすぐに 進むなんてことまでは想像できないですよね‥)
そして武装闘争に対する、彼らなりの正当化の理論として用意されたのが 「ポア」というやつです(ポアについては [ [余談] 「ポア」とは] をどうぞ)。 もちろん言葉とか理屈では「ポア」を「悪者に対する最終手段的な救済」として 正当化していて、その論理にのれば「殺してやることこそ救済」となってますから、 その言葉だけ見ると「そこにあるのは外部の者らへの純粋な慈悲だけ」‥‥なわけ、 ないですよね。どう見ても「邪魔者は消せ」という動機を実行するための口実として 「やつらをポアしろ」という理屈をひねり出したようにしか見えませんよね。
ということでこの時期以降、オウム真理教にとっての「凡夫外道」とは。 麻原彰晃にとっては「麻原王国建設の障碍。敵」。 信者たちにとっては「更生不能と尊師が言うから、慈悲によって『ポア』してあげる相手」。 ‥‥と、こんな感じですかね。信者たちを美化しすぎてるかなー。でも信者の人らが 「凡夫外道」を敵視する理由って、あまり思いつかないんですよね。 せいぜい陰謀論くらいで、でも陰謀論ベースだとサリン散布のような無差別殺人には 行かないと思うんだよなー。どうなんでしょう?
[Table of Contents]ちなみにNHKでやってた「未解決事件 file.02 オウム真理教」(2012/5) という番組を見てたら、 オウム初期の頃、道場にアリが沸いてきたときに、そこにいた一同が なんとかアリを殺さずに逃がそうと四苦八苦して、 それで皆で苦笑してる感じのシーンがありました。 そこは強く印象に残りました。
たぶん麻原もその時期は、麻原王国の建設などという子供じみた欲望は 持ってなかったんじゃないかと思ったりしますので、そうだとしたら切ないなー。 たぶん「オウムの会」が割とうまいこといって、弟子がたくさん付いて、 それで大勢が「尊師!」みたいな感じで服従してくるから、たぶんそれで 子どもの頃に持ってて 成長とともに すっかり忘れていた欲望が 再びムクムクと持ち上がってきたんじゃないかと妄想したりするんですけど‥。つまり
ところで。オウム信者にとって「凡夫外道」と対極にある存在といえば、 いわゆる「麻原尊師」だと思うんですけど。そちらについては [ オウム真理教の「尊師」ことグル ] をどうぞ。
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