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「肥前国有馬古老物語」(1682(天和2)年)という書物にこんな記述があるのを見つけました。
「彼次兵衛」というのは 金鍔次兵衛 [Wikipedia] のこと (ただ、文脈を見るとこれは次兵衛じゃなくて梶野次郎兵衛の書き間違いじゃないか? という 気もしていて、そこはちょっとわからない)。この人が天草四郎の噂を聞いて、 そういえば昔 --- 1611(慶長16)年、 「異国のいるまん導師」が一人残らず追放された時に、 (そのとき、上津浦村の ままこす という名の いるまん が予言していたが‥と、 天草四郎の出現が予言されていたという話につながる)‥という感じの内容です。
[Table of Contents]同じ「肥前国有馬古老物語」の中に、こんな表現があるのも見つけました:
「肥前国有馬古老物語」というのは、キリシタン迫害の歴史を、 迫害する側から描いたものですからね。だからキリシタンのことを「外道」とか 「外道宗門」と表現しているみたいで、 それは「導師」よりも頻繁に、あちこち出てきます。 [ 「外道」については、こちら ]
[Table of Contents]まずここで気になるのが「いるまん導師」。 「いるまん」て何?? ‥ということで、まずは広辞苑を引いてみました。
しかも宣教師のことを「導師」という語で呼ぶのが、ここで紹介した 「肥前国有馬古老物語」だけの特殊な用例というわけではなく、 「ヒイデスの導師」なる書物もあるみたいです。へー。 ‥ただ「ヒイデスの導師」なる邦題が、いつ付けられたかというのは不明です。 「グラナーダ著「信仰要義序説」を宣教師ラモンが日本語(ローマ字)にしたもの」 [ヒイデスの導師]とありますが、当時(16c末?)からそのタイトルだったかというのがわからない‥
[Table of Contents]もし、当時から「ヒイデスの導師」というタイトルの書物があったとすれば、 つまり「肥前国有馬古老物語」における「導師」の語は、 当時の宣教師たちが自称して言った言葉を そのまま使ったものだろうという 可能性が出てきます。他方、もし宣教師たちの自称でなかったとすれば、 キリシタンを迫害する側の人たちが「導師」と名付けていたことになります。 そうすると、ひょっとして「導師」には 肯定的じゃないニュアンスも、実は含まれていたりする可能性が出てくるわけですけど。 どうなんですかね。
「ヒイデスの導師」の「ヒイデス」というのはどうやら「信仰(lat:fides; en:faith,truth)」のことの ようです。「ヒイデス」というのは今風な言い方ではないですから、ということはつまり 「ヒイデス」も「導師」も戦国時代に宣教師たちの間で使われた言葉じゃないかという 気もしますし、つまり当時やっぱり 宣教師たちが「導師」と 自称していたんじゃないかという可能性が高そうな気もしてきました。
ただ「導師」という言い方は、どうなんですかね? あまり見かけない気もしますので、ひょっとして 島原とか その周辺の地域のみで使われていた表現かもしれない、という 気もしています。そのへんはどうなんでしょうか。
でも「宣教師」という単語からは「何だか頼まれもしないのに
ムリムリにそっちの方に引っ張っていこうとする人たち」という
イメージを(私は)感じてしまいますので、「導師」という単語は
かなりピッタリきてるように思います (^_^)
しかし。残念ながら guru のイメージと宣教師のイメージって合わないですけどね。 もうちょっと秘密めいた雰囲気は欲しいですから‥
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