歴史篇
「秋田三十三観音」には、歴史的にいくつか変遷があります。これを私なりにまとめると、
だいたい以下のような感じになります。
- 第一世代(11世紀〜16世紀) 「保昌房」
- [11世紀] 横手出身の保昌房が西国三十三観音を巡礼した折、仏師定長に観音像を彫らせた。
それを秋田六郡の寺に安置し、巡礼所として定めたのが始まり
- [13世紀(建長年間)] 鎌倉最明寺時頼公が諸国修行の時、当国の山々寺々順見して札を打玉ふ (?)
- [16世紀(永正年間)] 平鹿郡横手石町一木氏治部ら、保昌房古書を得て、絶たるを起して是を順礼 (?)
- 第二世代(17世紀〜1982年) 「秋田六郡」
- [17世紀(慶長年間)] 横手の住人羽多平勇軒斎、同所藤氏足利の末流鈴木定秀が六郡順礼 (?)
- [17世紀(元禄年間)] 横手光明寺住僧白道和尚ら、それぞれ順礼 (?)
- [18世紀(享保年間)] 鈴木定行と加藤政貞が保昌房の跡を訪ねて「秋田六郡三十三観音巡礼記」[URL]執筆
- [1982(昭和57)年] 横手市在住の七尾正治・良子、本郷洋治・郁の両夫妻が鈴木らの足跡をたどって「秋田三十三観音巡り」執筆
- 第三世代(1987年〜) 「秋田霊場」
- [1987(昭和62)年] 七尾らの記述を基に、新たに「秋田観音霊場三十三ヶ所」を選定
これらを区別する際に、本ページでは「第一世代」のように世代で呼び分けるか、あるいは
「秋田六郡」「秋田霊場」といった単語を使ったりしています。(すみませんが、あまり統一されてないです‥。)