註つきテキストを、どうやってHTML的に扱えばよいのか?? ‥というのは、ただ頭の中でグダグダやってても意味ないんじゃね? と思い、 とりあえず作ってみました。そんな感じの見本です。
ついでにサンスクリット転写表示についても 自前のシステムをブチ込んでみましたけど。 ‥んーどうでしょう? 表示がちょっとうるさい感じがしますね。
[Table of Contents]
「これより」とは、ここから本題 adhikaara [が始まる]、という意味である。
「ヨーガの教え」については、 聖典において論題とされていると知るべきである。 ヨーガというのは、三昧 samaadhi のことである。 また、あらゆる段階( sarvabhauma .. ``every stage'' みたいな感じ?) での心の性質 dharma のことである。 動揺、困惑、錯乱、専念 ekaagra 、止滅、とが心の段階 bhuumi である。 ここで、心が錯乱したときの、 錯乱と結び付いた三昧は、ヨーガの一部には入らない。
しかし、心を専一 ekaagra にしているときは、 真実の存在である対象を照らし出すため、 諸々の苦しみ kle^sa を滅ぼし、業 karman の束縛から解放され、 止滅 nirodha へと解きはなたれる。 これが sa.mpraj~naata yoga (認識するヨーガ)と 言われているものである。
また、それには、推測
vitarka
を伴うもの、熟考
vicaara
を伴うもの、
歓喜
aananda
を伴うもの、「自分がある」こと
asmitaa
を伴うもの、
があることを我々は後で説明する。
それに対し、すべての作用
v.rtti
が止滅するときには、
認識することのない
asa.mpraj~naata
三昧となる。// 1//
ヨーガとは、心の作用 vṛddhi を止滅させることである。// 2//
以下の定義を説明するために、この経典は作成されている --
ヨーガとは、心の作用を止滅させることである。// 2//「すべて」という語を用いていないことから、 sa.mpraj~naata もヨーガである、と言われる。
なぜなら心は、 輝き prakhyaa 、作用し prav.rtti 、持続する sthiti といった 性質 ^siila をもつものゆえ、 3つの属性 gu.na を持つといえるから。
心における純質 sattva は「輝き」という性質 ruupa をもつが、 それが激質 rajas や暗質 tamas と混じりあってしまうと、 超自然的なチカラ ai^svarya とか対象を好むものになってしまう。 また同じそれが 暗質で満たされてしまうと、非法 adharma 、無知、自制を失なうこと avairaagya 、自由自在でなくなること anai^svarya に近付くことになってしまう。 これとは反対に、それと同じものが 過失 moha という覆いを捨て去り、 輝きに満ち満ちて激質だけになったときは、 法、知、自制、自由自在に近付くことになる。
また、それと同じものが、 激質のわずかな汚れ mala をも遠ざけ、 それ自体 svaruupa で安住し、 純質 sattva とプルシャが異なっているという観念 anyataakhyaati をもったときに、 法蘊禅定 dharmameghadhyaana に近付くものとなる。 これが最高の禅定 prasa.mkhyaana であると禅者たちは説く。
知の力 citi^sakti は変化することがないので、 提示された対象を反映することがなく、 清浄かつ無限となる。 そしてそれは純質という属性を本質としているため、 区別の認識というものとは反対のものである。
それに対して、自制を保っている心は、 その認識をも止滅させている。 そういった状態にある[心]は、サンスカーラへと近付く。 それが種子のない nirbiija 三昧である。
そ[の状態]においては、 いかなる[対象]に対する認識 sa.mpraj~naayata も起こらないため、 「無想」 asa.mpraj~naata である。
これゆえ「心の作用を止滅させるヨーガ」には ふたつの種類があることになる。// 2//
そのとき見者は自体のうちに安住する。// 3//
心がそのような状態にあるとき、 対象がないので、 「覚」の知覚 bodha を本質としているプルシャは、 どのような本質を持つものなのか --
そのとき見者は自体のうちに安住する。// 3//
すなわち、 「そのとき」、 あたかも独存 kaivalya であるかのように、 精神の能力 citti^sakti は自体 svaruupa のうちに存在している、と。 しかし、[精神統一の状態から]出るときの心は、 そのようであっても、そのようにはならない。(^_^; // 3//
なぜかというと、対象が示されているからである --
それ以外のときは作用
v.rddhi
の形態をとる。// 4//