「鬼」::漢代中国(1世紀)
[Table of Contents]鬼は食われる(物理的存在?)
王充(1c)『論衡』巻22「訂鬼篇」に、現行本にはない『山海経』の文書が
引用されているそうです。
これ、いわゆる「鬼門」が紹介されているものなんですけど、具体的には以下:
門の上には神荼と鬱塁という二神がいて鬼どもをとりしきっている。わるさをする鬼は
葦の縄でしばりあげて虎に食わせる。(中野美代子(1983)『中国の妖怪』岩波新書. p.176)
このような内容のものです。
この文書について中野1983はこう述べています:
ここでは、鬼は、さきに見たような白いぼうーッとしたものではすでになく、なにかしら
形をそなえたものとなっている。王充も、『山海経』のこの一節を引いてから、「形があるから、
つかまえて虎に食べさせたのだ。食べられるものなら空虚であるはずはない」と述べている。
もっともである。(中野1983, p.176)
‥んー。もっともである。
[Table of Contents]鬼=精と幽霊は別(ただし少数派)
では、どんな形をしていたか。中野1983は『山海経』を手がかりに、
「人面だがひとつ目のものを鬼といった時代があったにちがいない」(p.177)と推測しています。
また当時は「鬼」を人が死んだのちの霊魂が変じたもの(要するに幽霊)と思っている人が
多数派なのに対し、鬼と幽霊を別モノと考える王充のような人もいたらしい、と
(王充は「山林の精」派?)
つまり当時すでに「鬼」の理解内容にバラつきが出ている感じですね。
そしてこの理解内容のバラつきは、漢代以降はさらに大きくなってくるみたいですが、
いずれにせよ「鬼」は幽霊と、人間以外の化け物。この2種類が含まれるというのが
基本のようです(中野1983,p.178)
ところで王充が「山林の精」派か? ‥なんて書きましたけど。
「精」と「鬼」について、
時代はかなり下がって、王充の時代からは 1500年以上も後代(さすが中国!) の
清代(17c)の蒲松齢『聊齋志異』(和訳)に、こんな文があるのを見つけました。
「わたしは以前は花の精だったので凝り固まっていたのですが、今は花の幽鬼なので宙に浮いているのです。
今こうしてお目に掛かっていても、本当とはお思いにならないで、夢でも見ていると思っていてください」
(立間祥介編訳(2010)『蒲松齢作 聊斎志異』ワイド版岩波文庫321., p.下430)
これを見ると、「精」と「鬼」は いちおう区別されている感じですよね。
精だと凝り固まっているので存在感があるのに対し、幽鬼は存在感がなく
夢のようで すり抜けてしまいそうな感じ??
(これはまさに古代中国における「魂」「鬼」のイメージと同じですよね)
‥しかし『聊斎志異』に出てくる幽鬼たちって、大抵、
嫁になって子をもうけ その子が出世して‥とかいうパターン、多いですよね。なのでこの記述だけ
見せられても合点しにくいんですけど‥。
[Table of Contents][めも] 鬼の正体見たり‥ (4c前半?)
ここの文脈と関係ないんですけど。中野1983が紹介する抱朴子の鬼の用例に、こんなのがあります。
郄伯夷なるものがここに泊り、灯燭を明るくして誦経していると、夜中に十数人の鬼が
やって来て、伯夷と向かいあって坐り、いっしょに樗蒲(ばくち)をはじめた。
伯夷がこっそり鏡で照らしたところ、それは犬どもだったのである。(中野1983, p.178)
‥誦経の「経」が具体的に何を指しているのかは不明ですけど。「経を詠み上げる」
行為は、ふつう魔物どもを退散させる効果があるような設定になってると思うんですけど。
この例だと、鬼どもは誦経に対して とくに何の格別な反応も示していません。
誦経しているところにブラリとやってきて バクチを始めるんですから、
格別な反応どころか、まったく関心がない という感じですよね。
あるいは読経の効果は 相応の修行を積んだ呪者でないと全然ない、そんな設定なんでしょうか。
‥‥このへんちょっと気になりましたので、とりあえずメモしておきます。