火車
[Table of Contents]地獄の送迎車
本経には全然登場してきてませんけど。人の臨終の際には、
鬼が「火車」なるものを引いて亡者を地獄に迎えにくる、という伝説も日本にはあります。
これはおそらく「死後、極楽浄土に赴く人は、その臨終時には阿弥陀如来がご来迎される」という
伝説と対になっているものだと思うんですけど。
この「火車」が登場しているのは日本では『今昔物語集』『宇治拾遺物語集』『発心集』『古事談』
『私聚百因縁集』など(加須屋誠(2012)『生老病死の図像学』筑摩選書35, p.279注23)など
12世紀あたりの文献が多いみたいです。ちなみに
『私聚百因縁集』を見てみると、十王の10:転輪弥陀(五道転輪王)のところに出てきてます。曰:
十王の最後、五道転輪王のところに出てくるというのは、なんか微妙ですね‥
[ 十王と火車については、こちらに続きます ]
また中国にも「火車」はあるみたいで、
同じ 加須屋2012 によれば、非濁『三宝感応要略録』(宋代,11c)の上9に
「自分は牛頭馬頭に無理無理に火車に乗せられ閻魔王のところに連れて行かれた」(p.219)
という記述があるようです。つまり「十王」と「火車」はたぶん同時期(12世紀)頃に
中国から日本に、それぞれ独自に流入して 独自に流布した、という感じなのかもしれません。
[Table of Contents]仏典における「火車」
ところで。でもじゃあ、そもそも「火車」って何? ということが気になってしまいましたので、
「火車」についてちょっと調べてみました。
まず。「火車」については、以下のような感じのようです:
「仏教では、生きている間に悪行を働いた者は、地獄へ落とされて裁かれるという。そんな罪ある亡者を地獄へ連行するため、火車という地獄の使者が地上に派遣されるという。『菩薩本行経』上(大)三巻によれば、「火車」は罪人である亡者を乗せて運ぶ車、あるいは罪人を責めるのに用いる、猛火の燃えている車といわれる。火車という護送車を、亡者を呵責する地獄の獄卒が引くことから、その地獄もまた火車と呼ぶようになった。地獄から訪れる鬼は、牛の頭をした牛頭鬼と馬の頭をした馬頭鬼の二鬼である。『今昔物語』や『新御伽草子』『諸国百物語』などに登場する火車は、この牛頭馬頭鬼タイプである。」(京極夏彦,多田克己(2000)『妖怪図巻』国書刊行会, p.150)
(注: ただし『妖怪図巻』そのものは未見です。
[ここ]からの孫引き。)
ここでちょっと紛らわしいのは、油断すると『菩薩本行経』に「罪ある亡者を地獄へ連行するため、火車という
地獄の使者が地上に派遣される」と書かれているかのように理解してしまいそうになる点ですね。
[Table of Contents]菩薩本行経の「火車」
そのへん、実際のところはどうなのか。私が調べたところ、
『佛説菩薩本行經 (大正155;第3巻)』には以下のようにあるようです。
(大雑把訳)
高尊といえど欲望のままに生きるなら、三塗の苦から逃れることはできない。
地獄の中では火焼湯煮、刀山剣樹、火車爐炭、刀鋸解析‥と、そのヒドさ
痛さは詳細には語りきれないほどだ。餓鬼は身痩腹大、咽は針穴ほど細く‥
(佛説菩薩本行經 [SAT])
「佛説菩薩本行經」では「火車」は何かの責め道具であることはわかりますけど、
具体的にどんな感じか? については世尊は「詳細には語りきれないほどだ」と言うだけで
サッサと話を切り上げ、話題を次の話、餓鬼の話に移しちゃってますよね。残念‥。
それと、ここでは火車が送迎車であるとは全然書いてないですよね。
どこか別のところに書いてるのかなー。見落としてるのかなー。(いまいち自信なし)
なお。ここで出てくる「三塗」とは「地獄・餓鬼・畜生」の「三悪趣」のことで、
いわゆる「三途の川」とは別モノのはずです。
[Table of Contents]世記経(長阿含経)の「火車」
そこで『佛説長阿含經 (大正1;第1巻)』を見てみます。阿含経の「世記經地獄品」に、
「火車」が出てくるみたいだからです。探すとこんな感じ:
(大雑把訳)
仏は弟子たちに仰せです。「無間大地獄と、その周囲に16小獄あり。
どれもデカい。なんで無間地獄かといえば。獄卒たちが罪人どもを捉え、
全身の皮を剥ぎ、その皮で罪人を締めあげ、火車の車輪に繋げて
火車を疾走させる。熱い鉄の地面で轢かれ、あちこち行ったり来たり。
身体は砕け、皮肉は落ちる。この苦痛辛酸は とんでもない。しかし
罪業終わらぬうちは、死ぬことがない。これゆえ無間地獄というのだ。‥(略)」
(世記経:長阿含経 [SAT])
‥んー。
いまいち「火車」であることの必然性がわからないんですけど、今でいうところの、
(昔の映画とかにありそうな)車とかバイクで人を引っぱり回すリンチと似たような感じですかね。
事前に全身の皮膚を剥いでしまうというのと、地獄なので、
引っぱられる人の皮肉が全部欠落するまで続ける点が違いますけど。
いずれにせよ、(最凶なる?)無間地獄において
人体を切り刻み苦しめるための(最凶なる?)責め具の一つとして
「火車」が使われていることがわかります。
ここまでインド系仏典における「火車」を見てきましたけど。
「火車」は責め道具のひとつ、という感じの位置付けですよね。
「地獄の送迎車」的なものとはちょっと違う感じがします。
[Table of Contents]中国系仏教典籍の「火車」
上記までの例とは地域時代ともにだいぶ離れてくるんですけど、
延壽述『萬善同歸集 (大正2017;第48巻)』にこんな文があるのを見つけました。
(大雑把訳)
48願、浄土を飾る。香の台と、宝の樹。楽して往ける場所でない。
火車の出現、目にすれば。そこで悔やんで、改心を。さすればすぐに往生す。
まして戒定、そして智慧。これらの道を、進むなら。虚しさなどは、無縁なり。
(万善同帰集 [SAT])
ここで紹介した大雑把訳では
「火車の出現、目にすれば。そこで悔やんで、改心を。さすればすぐに往生す」、
原文だと「火車相現一念改悔者尚乃往生」。ここで火車は、人々に改心させる契機という感じの
位置付けになっていますよね。つまり「極楽浄土なんて、ふん」と鼻で笑ってた感じの人たちが
実際に火車を目撃して驚き、それで改心して浄土を願う、と。
それってやはり「火車が亡者のご自宅にお迎えにあがる」という設定が前提になっているんじゃないかと
思う訳です。そのへん、火車のあり方が、インド仏教の初期経典とは かなり違っている感じですよね。
では、この『萬善同歸集』というのはいつ頃の文献か、という話になるんですけど。
まずこの書籍は「延壽述」とありますので、インド製ではなく、中国人の延寿という人の
作品だということがわかります。この延寿という人については、
駒沢大学の「禅籍善本図録」の『宗鏡録』の紹介ページ [URL] によれば、
名は永明延寿、時代は宋代、年代は 904~975 年、という感じのようです。10世紀か。
日本の『往生要集』の源信(942〜1017)より、ちょっと前の人ですね。
また、ここで紹介した部分と かなり似た内容のものが
『佛祖統紀 (大正2035;第49巻)』(13世紀) [SAT]にもあるようですけど。
『萬善同歸集』より前のものについては、ちょっとわかりません。
(次ページにつづく)