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西院河原地蔵和讃について

「西院河原地蔵和讃」 [URL]
(賽河原、賽の河原、佐比の河原‥とも)
に関するメモ。まだ整理できてないですが‥


[前] 地蔵和讃と西院河原和讃

賽河原は日本製

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賽河原は民俗信仰

よく知られていることだと思いますが。望月仏教大辞典には「按ずるに賽の河原の ことは経典に典拠なく、我が邦中世以後、俗間に於て起りし一種の迷信なるが如し」とあります。 「賽の河原」はほぼ完全にMade in Japanであり、仏教というよりは 仏教に仮託された日本の民俗宗教的色彩が かなり強いということですね。

 つまり、庶民の中にあった「死後の世界」についての漠然としたイメージが 日本の仏教信仰にじわじわと侵食してきて、 イメージが徐々に言語化・明確化されてきて、その結果「さいの河原」が いつのまにか日本の仏教信仰の一部となってしまっていた、と。そういう感じだと思います。

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仏教本来の死後世界観とは

 でも、じゃあ、その「仏教に仮託された日本の民俗宗教」とやらが削ぎ落とされた 仏教本来の死後世界、つまり仏教の開祖である「おしゃかさま」が 考えておられた死後世界は どんな感じだったか‥というのが、なんか 気になったりしませんか?

 どうやらこれについては「無記」というのが本来的みたいです。無記って何?? という話になると:

 それなら釈尊ブッダは死後の命運についてどう教えたかというと、 答えを明確な言葉で示していない。むしろ、人格完成者(如来)について ではあるが、死後存在の有無をきかれて沈黙を守っている。いわゆる 無記とされるもので、世界は常住か無常か、有限か無限かといった 問題も同様である。つまりこうした形而上学的なテーマは考えても 分かるものではないし、結論の出ない問題であろう。さらに釈尊の 関心事は、より具体的な実践を通じて涅槃を獲得することにある。 しがたって、かかる問題の考察は修行者たる比丘にとってどうでも いいことであり、無視されていたのである。
 それにもかかわらず、後代のインドの仏典は死後の世界の在りようを さまざまな形で示してくれる。いずれもその時々の仏教徒の、さまざま なレヴェルでの考え方を反映するものだが、そのあるものはエリート的な、教理と関連づけられたすがたの死後観を示している。しかし同時に、教理の立場からは相反するような観念もある。 (奈良康明(1990)「死後の世界」,坂本要編『地獄の世界』北辰堂. p.183)
こんな感じのようです。つまり「答えを明確な言葉で示していない」、 「考えても分かるものではないし、結論の出ない問題であろう」、 そして極めつけが「かかる問題の考察は‥(略)‥どうでもいいことであり、 無視されていたのである」と。

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仏教に寄生することで後世に残った?

 死後の世界のことは、どうでもいいから無視されていた‥。

 だから逆に言えば、初期の仏教経典では「死後の世界」について何も書いてなかったから、 だから仏教が伝わったそれぞれの地域時代の人たちが、 それぞれ自分たちの死後世界観を 外来の仏教と 割と簡単に共存させることができた、と。 そして日本の場合、日本の昔からの死後世界観を 仏教と共存させ 仏教の一部のように伝えることができたからこそ、今もなお人々の中に 「賽の河原」がひそかに浸透して伝承されてきている、と。 そんな感じには言えそうですよね。

[次] 賽の河原は「さい」の「ごうら」か?