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西院河原地蔵和讃について

「西院河原地蔵和讃」 [URL]
(賽河原、賽の河原、佐比の河原‥とも)
に関するメモ。まだ整理できてないですが‥


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[ふろく]金喬覚(8c)地蔵説

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はじめに

2014(平成26)年7月。東アジア制覇に向けて 強気な対外政策を続ける中華人民共和国の 習近平国家主席。なかなか中国の言うことを聞かない北朝鮮に愛想を尽かした‥かどうかは不明ながら、 日韓関係の冷え込みに乗じた韓国への接近(と、韓国の日米からの引き離し)を画策した‥かどうかは 不明ですけど。国家主席になってから いまだ北朝鮮を訪問していない状況で、それより先に 韓国を訪問し、そこで中韓関係の強さ、反日共闘アピールを行うことに成功するんですけど。

 ‥んで、その反日共闘どうこう、というのは本ページ的にはどうでもいいのでアレですけど。 習主席が、中韓関係の強さをアピールするためにこんな感じの発言をしたらしいのです:

彼はこの日の演説で、地蔵菩薩、統一新羅末期の学者の崔致遠、中国で独立運動をしていた金九先生、中国人民解放軍歌を作ったチョン・ユルソン作曲家など、韓中両国間の関係を象徴する人物をいちいち挙げた後、「中・韓は地理的に非常に近い隣人」とし「数千年をかけて、誰よりも厚い情を積んだ」という点も強調した。 [習近平「韓半島に核兵器が存在することに反対…南北関係の改善を望む」 (2014/7/06)] [URL]
‥‥中国と朝鮮の関係を象徴する「地蔵菩薩」???? ということで、ちょっと調べてみました。

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金喬覚(8c)地蔵伝説

 ‥ということで調べてみたら、すぐ見つかりました。地蔵菩薩というのは 金喬覚という人のことみたいです。Wikipedia にもちゃんと書かれているみたいで:

金 喬覚(きん・きょうかく、696年 - 794年)は、唐代に活動したとされる伝説的な僧。新羅の王子で、中国における地蔵菩薩の聖地・九華山(安徽省)では地蔵菩薩の化身として崇敬されている。

中国側・朝鮮側いずれの史料によっても「金喬覚」という人物の実在性は乏しい[1]。金喬覚の説話は、新羅から九華山に渡った釈地蔵をはじめとする新羅出身の僧たちの事績と、地蔵菩薩信仰が合成され、発展したものと考えられる[1]。‥(略)‥

九華山の化城寺には現在でも金喬覚の肉身仏が祀られているという[1]。 [ Wikipedia:: 金喬覚 (2014/7) ]

こんな感じに書かれています。

 なるほど。ちょっとまとめてみます。--- 「8世紀に金喬覚という新羅の王子がいた」との伝説はあるが、実在したかは不詳。 ひょっとして、新羅出身僧たち全体の事跡が「金喬覚」という名前のもとに集結し、 それと地蔵信仰が混じり合って「金喬覚」伝説ができたのでは? ‥と。 そういう感じなんでしょうね。でも何故「金喬覚」伝説が お地蔵様と結びついたのかというのは、何かよくわかりません。

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二階堂2001 の梗概

Wikipedia で参考文献につけられている この文献から、金地蔵説に関する部分を、大雑把要約してみます ---

中国においては文殊・普賢・観音・地蔵が「四大菩薩」と位置付けられ、 中国にそれぞれと関連した「霊山」が存在している。 地蔵菩薩は安徽省・九華山の地蔵道場であり、なかでも化城寺である。

 化城寺にある、最も有名な地蔵の伝説とは:

仏滅後千五百年、地蔵菩薩は新羅の王族として転生した。姓は金、号は喬覚。出家の後、海を越えて唐に入った。金喬覚は各地を経て、最後に江南池州の九華山において苦行する。そして数十年に及ぶ修行の後、九十九歳にて成道する。 ‥(略)‥ そして、後世では地蔵菩薩と言えば、完全にこの新羅出身の金喬覚のことを指すとされるのである。そのため、金喬覚の修行の地である九華山は、地蔵道場として民衆より絶大な尊信を得て、四大仏山の一つとなり、歴代王朝からも尊崇を受けることとなった。
こんな感じのもの。

 中国では「あの人は○○仏の生まれ変わり」「あの人は○○菩薩の‥」的な話は 割と多いみたいだから、 「地蔵菩薩の生まれ変わり」と呼ばれる人がいてもそんなに不思議はない。しかし 問題は、何故「新羅の王子」が その生まれ変わりに選ばれたのかということ。

 まず『三国史記』には、金喬覚に該当しそうな人物は出てこない。 他の関連文献を見ても 金喬覚が王子か王族か、文献ごとにバラバラ。 そして何より、なぜ金喬覚が地蔵菩薩と結びつくのか、その理由が はっきり説明されているものがない。 この点について黄・陳1993は 金喬覚=地蔵伝説は明代までの文献には出てこず、清代になってからできた 伝説であると指摘している。割と新しい伝説ということ。

 しかし地蔵菩薩と九華山と新羅王族との結びつきについては、それ以前から 存在していたことは確か。これについては『宋高僧伝』の 「唐池州九華山化城寺地藏傳」[SAT]に、新羅王族の金という人が出家して釈地蔵と呼ばれ、 九子山=九華山で修行しているうち大伽藍ができ、のち九十九歳で入寂‥という 伝説が紹介されている。つまり、 九華山の開祖は新羅王族出身の僧侶であったという伝説である。おそらく、その伝説が ベースとなって、後代になってから 「金喬覚」という名前や、「王子」という身分が追加されたのではないか。 このうち「王子」についてはほぼ同時代に 釈無相(金無相)という禅師がいて、 この人が(史実は不明ながら)新羅王子とされており、こちらと混同された可能性はありそう。

 かくて九華山と新羅王族との結びつきについては見当がついたが、 残る問題は地蔵菩薩と九華山の結びつきである。これはよくわからない。 可能性として考えられるのは、九華山の開祖となった僧の名前が「釈地蔵」とされる 点である。普通に考えると、九華山は地蔵菩薩の聖地だから開祖の名を「釈地蔵」としたの だろうと推測できるのだが、ひょっとして 九華山開山前から、開祖の名が「釈地蔵」であった可能性もあるのではないか。 つまり「釈地蔵」という名の僧が開いたから、名前に「地蔵」とあるから、 それでここが地蔵菩薩の聖地になったのでは? という推測だ。 これについては、当時の朝鮮僧で「釈○蔵」という名前は珍しいものではなかったことから、 この可能性も捨てきれない。また「釈地蔵」について 「骨が鎖のように‥」という伝説があり、そのへんで「釈地蔵は、 一般の人間を超越した御存在」、だから地蔵菩薩‥という感じに、 伝説を発展しやすかった事情もあったのかもしれない。

 いずれにせよ、そんな感じで 何となくできあがりつつあった伝説が、 清代中期の『地蔵宝巻』にキチンとした形でまとめられた結果、現在のような 金喬覚地蔵菩薩伝説というのが完成・定着したと見ることができそうだ。 この結果、 「現在の日中両国における地蔵菩薩のイメージは著しく異なり、もはや別の神格とすら言えるものとなってしまったのである。」

‥なるほど。地蔵菩薩は、もともとのキャラ設定が弱かったから‥というより、 地獄との結びつきが強い存在として認識されていたからかな? そんなこんなで、日本と中国でそれぞれ独自の解釈、というより 独自の詳細なキャラ設定をおこなっていった結果、 現在となっては「名前とか、おおまかな設定は同じなんだろうけど、細かいところは 全然違う、そんな御存在」になってしまっているということですね。じつに面白い。

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[ふろく] 肉身仏信仰

九華山化城寺の地蔵菩薩・金喬覚絡みでちょっと気になる言葉がありました。 それは「肉身」という言葉です。Wikipedia にも 「九華山の化城寺には現在でも金喬覚の肉身仏が祀られているという」[ Wikipedia:: 金喬覚 (2014/7) ] と書かれてありますけど‥。

 んで、この「肉身」というのは何かというと、要するに、日本にも局地的に(?)存在していて 注連寺大日坊などの湯殿山系寺院などで有名な「即身仏」と同じやつですよね。

伝承によれば、金喬覚は唐の貞元10年(794年)に九十九歳で没した後も、三年間にわたりその肉体は生けるが如くであっため、これをそのまま塔に入れて本尊にしたという。この後、九華山には同様の肉身仏、すなわちミイラ仏の信仰が発展し、それは現在でも続いている。ただ『宋高僧伝』に見える釈地蔵の伝には、ほぼ金喬覚和尚と同様の記載があり、恐らくはこの伝承については事実に近いものであったと推察される(4)。 ‥(略)‥ 九華山の地に特徴的なものは、この肉身仏信仰である。また肉身菩薩とも呼ばれる(8)。 二階堂善弘(2006)「安徽九華山における地蔵信仰」『アジア文化交流研究』[URL]
この文によれば、「肉身」への信仰は中国一般によくある風習ではなく、 この九華山における信仰の一つの大きな特徴になっているようですね。さらに‥
1980年代以降にまたもや肉身仏の伝統は復活しており、現時点では無瑕和尚の他に四体の肉身仏が存在する。すなわち大興和尚・慈明和尚・明浄和尚・仁義比丘尼の肉身仏である。例えば大興和尚は、清の光緒年間の生まれであり、1985年に亡くなる時に、遺体を甕に入れて保存するように弟子に命じた。その後1989年に甕から遺体を取り出してみると、生けるが如くであったという。他の三名も類似の経緯から1990年代に肉身菩薩となったものである(9)。このように、現代においても九華山の肉身菩薩崇拝が継続していることについては、驚きの念を禁じ得ない。 二階堂善弘(2006)「安徽九華山における地蔵信仰」『アジア文化交流研究』[URL]
1990年代になってもなお肉身仏が誕生してる、って‥。さすが中国!といったところなんでしょうか。

 ‥しかし。ということはつまり、中国における地蔵信仰と肉身信仰は 切り離せない関係だ、と いうことですよね。それは何というか日本的な「お地蔵さま」感覚からすると腑に落ちないですよね。 ‥‥やっぱ「両者は、それぞれ別モノとして発展してしまった」としか言いようがないんでしょうか。

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