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西院河原地蔵和讃について

「西院河原地蔵和讃」 [URL]
(賽河原、賽の河原、佐比の河原‥とも)
に関するメモ。まだ整理できてないですが‥


[前] 和讃の意図

賽の河原と人々と

人々は「賽の河原」をどうイメージしてきたか。それを考える際には、 「日本全国賽の河原めぐり」[URL]という ページがお勧めでした(2016/1 で閉鎖‥)。実例が豊富でよいです。

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川倉賽の河原(津軽)

右写真は青森県津軽地方の「川倉賽の河原」ですけど、こちらについて 上記 [ 日本全国賽の河原めぐり ] サイト によれば(手抜き‥)以下:

  • 『東北民俗資料集』(1979)によれば、この賽の河原は文政年代(1818~1830)から川倉賽川原講中が管理していた
  • 現在は境内から下る坂道を賽の河原としているが、以前は別の場所だった。坂道を下りきったところに藤枝溜池(芦野湖)がある。この池にかかる芦野大橋の下の川を賽の神川といい、この河原を賽の河原と言っていた
  • (川倉で有名な「ムカサリ」「冥婚」は)松崎の調査と考察によれば、津軽地方から広がったこの習俗の歴史は1950年以前には遡れない (川村1997によれば「70年代に入ってからのものが多く奉納されている」)
  • 例大祭は旧暦6月22~24日(旧6月22日は)
つまり1950年代、第二次大戦後から従来の「賽の河原」信仰とは別の要素 が追加されたみたいですけど。(まあ、それだけ戦士した 若者が大勢いたということなんですよね。南無)

 他方この「賽の河原」以外にも津軽地方のあちこちに「化粧地蔵」と呼ばれるお地蔵さんがあって ビックリするんですけど、この化粧地蔵について:

 化粧地蔵を調査している青森県庁の担当者によれば、津軽の集落の地蔵は明治期から昭 和の初期にかけてつくられた、比較的新しいものが多いという。津軽の地蔵の特徴は、子 どもを供養するために祀っている点にある。
 昭和初期の津軽地方は、生活困窮、衛生状態の悪さ、医師不足などが要因となって、全 国的にも乳幼児の死亡率が高かった。津軽では古くからの地蔵信仰と、こうした悲しい歴 史とが相まって、各地に化粧地蔵が置かれていったのである。 (鵜飼秀徳(2018)『「霊魂」を探して』角川書店, pp.228--229.)
つまり「川倉賽の河原」みたいな風習が津軽一帯に広がったのち、川倉は別の方向に特別な進化を遂げた感じ? (ちなみに秋田郡は津軽郡のたぶんお隣になるんでしょうけど、秋田郡でそういう風習は‥聞かないなー。 何だろ? この差)

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霊場恐山

現代における賽の河原のイメージを考える際には、「霊場恐山」(という「何だかわからないけど オドロオドロしい」イメージ)と、寺山修司という人の存在は 欠かせないのではないでしょうか。(んー、これも青森県‥)

 その両者が揃った映画「田園に死す」(うー。見てない‥)でも 使われていたらしい、地蔵和讃を元にして寺山修司が作詞した楽曲(プログレッシブ・ ロックに分類されるのかな?)に「J・A・シーザーと悪魔の家+天井桟敷 - 和讃」[Youtube]があります。あと人間椅子という バンドにも「賽の河原」[Youtube]という曲がありますね。

 霊場恐山といえば。JR下北駅からの「霊場恐山」行きバス。このバスの車内放送で途中流れる 西院河原地蔵和讃の響きは、 なんか異様に私の心を盛り上げてくれました。 (‥しかし。その話をしたら「え? そんなん聞かなかったよ」と言われた。あれれ??)

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海外の石積み?

それと「賽の河原の石積み」と関係があるのかどうかは不明ですけど。 海外にも石積みが存在するみたいですね。

円盤墜落地点と言われる場所は現在ロズウェル近郊だけで大体4件近くもある(※B)が、今回は、その中でも最も有名な、リンカーン郡コロナに近いフォスター牧場(※C)を訪れることにした。 ‥(略)‥ そしてそのすぐ側にはここで墜落し、死亡したとされる異星人を弔うかのような、大きな積み石が置かれていた。

また積み石だ、と思った。昨年、イエティを追ってヒマラヤを訪れた際、標高4500mを超え、雲がいよいよ下に見え始めたころ、まるで冥土の入り口に辿り着いたような気分になった。急な斜面を登りきったその先は、まるで賽の河原のように、幾つもの積み石が置かれていたのだった(それらは事実、ヒマラヤで死亡したシェルパを弔う為のものだった・写真)。過去に失われた何かを意味するそれらの石は、しかし訪れるものにとって、常に予兆めいたものを感じさせる。ここが異星人の墜落した、アケロンの入り口だったのだろうか。しばしこの地を訪れるB氏をしても、この積み石が一体いつ、そして誰によって作られたのか、定かではないという。 [ 北米視察編:ロズウェル事件 ー 寡黙なる神話の中心(1)] (X51.ORG)
それとこのページの中ほどに石塔(?)の写真もあります。この記事に出てくる、 ヒマラヤの事例であれば、仏教文化つながりということで まあ、解釈できるとは思いますけど。

 このアメリカの「UFO墜落現場」の石塔(?)はちょっと解釈は難しいですね。 やっぱアレですかね。宇宙人とコンタクトを取りたい人たちが、宇宙人のための目印というか、 何と呼べばいいのかよくわからないんですけど、 コンタクトの儀式のための祭壇みたいなやつというか、そんな感じのものなんでしょうか。 戯れでチョイチョイ作ったレベルのものではないですからね、あれ‥。

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