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死後世界の景色について、「チベットの死者の書(バルドゥ・トェ・ドル)」(14c)には こんな感じのことが書かれてましたのでメモっておきます:
夜でもなく昼でもなく、秋の薄暮れ時の灰色の明りにも似た灰色のもやが、ずっと 引き続いて現われるであろう。このようなバルドゥに一週間、‥(略)‥ あるいは七週間と、四 十九日に至るまで、汝は留まることになるであろう。<シパ・バルドゥ(再生へ向かう迷 いの状態の中有)>においての苦しみは、二十一日間続くのが一番多いといわれている。 が、これは死者の生前におけるカルマンによって差があるものなので、長さを一律に決 めることはできない (川崎信定訳(1993)『原典訳チベットの死者の書』ちくま学芸文庫, p.113)
チベットの死者の書 [ 川崎信定 ] |
「秋の夕暮れ時の灰色の明りにも似た灰色のもや」‥んー。わかるような、わからないような。 いわゆる「トワイライト・ゾーン」な感じなんでしょうかね。ちょっと暗いイメージはありそうです。
[Table of Contents]ただ残念ながら、 山路を歩くといった感じではないみたいですね。 「鳥の羽が風に運ばれるように、あちこちとさだめなくさすらう」(川崎1993, p.113)と などとも書かれていますが、この<シパ・バルドゥ>の状態はいわば 魂が身体を離れてふわふわ漂っているイメージのようで
汝が水の中を見ても汝の姿が映って見えな い。汝の身体にも影はない。汝の身体は、物体としての血肉を持った身体ではないので ある。これが<シパ・バルドゥ(再生へ向かう迷いの状態の中有)>のうちを汝が意識か らできた身の形で彷徨っている証拠である。(川崎1993, p.134)こんな感じで書かれています。
それと個人的に面白いと思ったことなんですけど、チベットではこの状態になってもなお 死後どうなるかが確定しないみたいで:
心を惑 わされてはならない。仏と一般の迷っている生きものとがこの境界で分けられるのであ る。現在という時が非常に重要である。この時において心を惑わされるならば、これか らずっと苦しみの泥濘から脱け出る時は来ないであろう。(川崎1993, pp.120--121)このように説かれています。その時が輪廻を脱するラストチャンス! といった 感じなんですね。
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