日本の盂蘭盆
[Table of Contents]異国風の(?)盂蘭盆会(飛鳥;7c)
前のページで盂蘭盆についての折口氏の説を紹介しました。
ここで個人的にちょっと気になったのが「飛鳥朝の末などの盂蘭盆の記録などの、異国臭いの」という文です。
たしかに飛鳥時代は仏教を輸入開始してからそんなに時間がたってないですし、
ほぼ中国風そのままで当然だろうとは思うんですけど。
具体的にどう異国臭いかというのは気になります。日本における盂蘭盆会の起源について、
ある本によれば以下のような感じのようです:
606(推古天皇14)年に国内最初、そして
659(斉明天皇5)年にも盂蘭盆会が行われたようです。
どちらも女帝のとき、というのは偶然なんでしょうか?? ‥というのはさておき。
推古天皇14年のほうについては、4月に以下:
このようにあり、これが該当するんでしょうか。盂蘭盆経との関連はよくわかりませんが、とにかく「7月15日」という日付が書かれてるのがミソなんでしょうね。
(またこの年は、これ以外にも7月に勝鬘経、法華経を講じて云々‥という記述があるので、そちらかな? でも盂蘭盆経とは関係ないからなあ‥)
斉明天皇5年のほうは以下:
これですね。書かれてるのは、これだけです。異国情緒あふれ‥ていたかどうかは不明ですけど。
7月15日に京内の諸寺にて盂蘭盆経を勧請した、と。たしかに我々が知ってる「お盆」において、
庶民が盂蘭盆経を見たり読んだりする状況、ほとんどないですからね。そういう点では
確かに 我々が知る「お盆」よりも はるかに仏教臭いのは確かなようです。
(ちょっと弱い?)
[Table of Contents]盆の風流念仏(室町;15c)
上の飛鳥時代からかなり時代が経過してしまいますが、室町時代の盆の様子を書いた文を
たまたま見つけたので紹介します。
盂蘭盆には、霊前にお供え物をして、お経を読んだり念仏を唱えたりした。だが十五世紀
には、念仏風流といわれるものが全国各地で行われるようになった。これは念仏と様々な
出し物を組み合わせた行事で、中核となるのは念仏を唱えながら踊る「踊り念仏」である。
他にも「造り物」(149頁)を駆使した華やかな仮装行列や、素人の相撲・猿楽・獅子舞
などが行われた。
お盆の風流念仏は奈良で大流行したが、長禄三年(一四五九)に六方が夜間の念仏風流を
禁止した。‥(略)‥
寛正五年(一四六四)には昼
間の念仏も禁止になった。‥(略)‥
六方や衆徒はなぜ念仏風流を禁止したのだろうか。安田次郎氏は「治安維持」を挙げてい
る。確かに多くの庶民が参加する祭りにおいては、人々が興奮し、喧嘩などのトラブルも発
生しやすい。
(呉座勇一(2016)『応仁の乱』中公新書2401, pp.157--158.)
念仏を唱えながら踊る(「盆踊り」のハシリ?)、
ついでに「造物」(富士山とか亀の人形などの細工物)を駆使した仮装行列、
相撲大会、猿楽、獅子舞‥何かほとんど「夏祭り」的ですね。
今だと「盆」と「夏祭り」はカテゴリ分けされて「同じ時期にやるけど別モノ」扱いですけど、
当時はこれらは渾然一体な感じだったんですかね。いちおう念仏とのセットだったようですし。
いずれにせよこの時代の「盆」は、あまり「法会」くささが感じられない‥というよりも、そうか。
この時代になると「盆」は完全に日本の風俗、庶民の日常に溶け込んでいるんですね。
そういう点では完全に「和風化した盂蘭盆」といえるのかもしれませんね。
(もうちょっとネタを集める必要あるなー。)