ご先祖はどこに? (中国朝鮮)
お盆といえば墓参り。
お墓で手を合わせた後、迎え火をたいて、仏壇を「お盆モード」で飾って‥なんて感じの
行事をするんですけど。ここで不思議なのは「お盆のとき、ご先祖はどこから どこに来てるの?」
ということ。普段は「地獄(地下の冥界)」とやらにいて、
お盆は「地獄の釜が開くから、地獄から帰ってくる」のか?
それとも普段はお墓に潜んでいるご先祖が、お盆のときは自宅などの位牌に取り憑くのか?
それとも どこか別のところ(山中他界的な何か?)から墓に来るのか? ‥など、
そのへん、どういう設定になってるのか、正直よくわからなくないですか? 私だけ?
[Table of Contents]源流(?)・中国ですでにアヤフヤ?
‥なんてことが、毎年お盆になると気になっていたんですけど。
じつはたぶんこのへんの設定、日本に外来文化がいろいろ伝わる前、
古代中国の段階ですでにアヤフヤになってたものが日本に流入してさらに
混乱したのでは? と思わせるような話を見つけましたので、ちょっとメモしておきます。
古代中国の『五経』のひとつ「礼記」。その曽子問篇 [NDL]に、以下のような記述があるそうです。
どこで切ったらいいかよくわからないので、かなり長い引用ですけど:
曽子が「跡継ぎのものが他国に出奔してしまったとき、跡継ぎ以外のものが祖
先を祭ることが出来ますか」と孔子にたずねた話しがある。祖先を祀ることが出来るのは、跡継ぎだ
けの特権であると同時に義務であった。この問に孔子は「祭るべきである」と答えた。曽子はさらに、
ではどのように祀るべきであるのかをたずねたところ、「墓所を望む地に、墓に向って壇を作り、随時
に行えばよろしい」と答え、さらに「跡継ぎがそのまま他国で死ねば、墓に知らせて、家に祀れ」と。
家に祭るとは、他国に出奔して死んだ不孝者を祖廟では祀らず、私かに家室で祀ることを記したもの
である。
この一文を検討するといくつかの事実がわかる。一つは死体を葬った墓にも霊魂は宿ると考えられ
ていたこと。それは祖先を祀るのに墓前あるいは墓を望む地で行ったことから知ることができる。一
つは、祖廟に入れられない霊魂は、家室において祀ったこと。おそらく神棚のような場所を設けたの
であろう。その際、祖廟と同じく木主をもって祀ったであろうことは、『礼記』の時代性から判断でき
る。死者の霊魂は、墓所の地下にもあり、天上にもあり、そして祖廟や室内の木主にもあった。基本
的には、この墓所と木主に霊魂が宿るという二重性が今日に続くわけである。墓に詣で仏壇を拝むと
いう今日的習慣と変わるところがない。
(山田利明(2000)「冥界と地下世界の形成」『死後の世界』東洋書林, pp.107--108)
参照されている「礼記」の
[ 該当箇所はここ [NDL] ] ですね。そこを見ると、古代中国の孔子の時代すでに
墓を祀って、神棚の木主(仏壇の位牌に相当?)も祀ることが言われているみたいです。
その文化が日本にも伝わって、しかもそこに仏教由来の
六道世界(とくに地獄)と
極楽、
兜率天上生思想、
十王の信仰、さらに日本の
賽の河原とか山中他界論とかの信仰も
加わって、もう何がなんだかわからない状況になっちゃったんでしょうか‥
[Table of Contents][朝鮮] 死者の魂は三つに分かれる?
そして中国と日本の間にある朝鮮ではどうなのか。
たまたま19世紀末の朝鮮(李氏朝鮮末期から大韓帝国最初期)における
状況が書かれたのを見つけたので紹介しておきます:
Man is supposed to have three souls. After death one occupies
the tablet, one the grave, and one the Unknown. ...(snip)...
On a man's
death one of his souls is seized by their servants and carried
to the Unknown, where these Judges, who through their spies
are kept well informed as to human deeds, sentence it
accordingly, either to "a good place" or to one of the manifold
hells.
(Isabella Bird Bishop(1898),"KOREA And Her Neighbors",F.H. Revell Co.;
pp.287--288. [Web Archive]) //
人は三位の霊魂を持つものとされている。死後その一位は位牌、一位は墓そして一位は未
知の世界に住む、という。‥(略)‥
人が死ぬとそ
の霊魂の一位は、十大王の召し使いに捉まえられて未知の世界に連れ去られる。そこで密
偵を通じて人間の行為に関して良く知らされている裁判官が、その行為の善悪に応じて「良
い場所」か或はさまざまな地獄の一か所にいけ、と宣告される。
(朴尚得訳(1994)「朝鮮奥地紀行2」東洋文庫573, p.123)
(英語のほう、(snip) の直後の their って誰だよ?! 的な感じになってますが、これは
"Ten Judges" です。
「十王」のことですね)
‥「いろいろ選択肢があるけど、一体どれが正解なんだよ??」という問いに対し、
ズバリ「どれも正解です」という答えになってるんでしょうか。‥思い切った
開き直りだなあ (苦笑)
‥というか、やっぱアレなんですかね。日本と同様、いろいろな選択肢があるものの、
どれが正解かを誰もキチンと詰めて考えてない。なんとなく、いろんな選択肢を
複数共存させている、と。それを見たイギリス人が「つまり霊魂のいる場所は
3つということか」と勝手に理解して納得している、という感じなのかもしれません。
もしそうだと、つまりこれは日本での先祖霊の扱いとほとんど同じということ?