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Who knows what a 導師 is?

「グル」の訳語としてよく使われる「導師」という語について。


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導師ジャパン::仏名会 (平安時代)

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Introduction

ある本を読んでたら、たまたま見つけました。平安時代に「仏名会」という 仏教系の宗教行事というか、民俗行事というかがあって、 その行事を仕切る人、まあ仏教系の出家の人なんですけど、その人たちが 「導師」と呼ばれていたようです。

 まず最初に「導師」を見つけた文書に関する情報を書いてしまいます。

和歌森太郎(1972)「仏名会の成立」『修験道史研究』(東洋文庫211;平凡社)
1972年発行の書籍ですが、それは東洋文庫版がその時期に出たという話で、 本書が最初に発行されたのが1942(昭和17)年とのことです。「付録」として 付いている、「仏名会の成立」という章も1942年に発表されたようです。 ‥‥てか、どうでもいいことですけど、この『修験道史研究』は 卒業論文をまとめたと書いてありますけど、マジかよ! ‥‥orz

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用例と状況と

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まずは用例

さっそく平安時代の用例を挙げてしまいましょう。というか、平安時代の用例を 引用している和歌森1972の記述をそのまま引いちゃいます:

『御堂関白記』の長和四年十二月廿三日の条をみると「御仏名有御導師闕事了後以阿 闍梨慧寿被補、件僧此度参初野臥而従前者頗宜仍被補也」とあるその慧寿について、『小右記』同 年同月同日の条にも「阿闍梨智寿今年始召被補御導師」「慧寿執草座着野臥上者」と記されている。(p.376)
1015(長和4)年の「御仏名」に 野臥の慧寿という人を導師としてお呼びする、という記述があるようです。

 また、この日本における行事の見本・雛形となるような行事は中国やインドには見当たらない ようです。(和歌森1972, p.369)

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仏名会って?

では、そうやって「導師」をお招きして執り行う「仏名会」とは、どのようなものか。 また同書からの紹介になりますが:

平安前期承和五年以来毎年十二月の十五日から三日間、あるいは十九日から 三日間、徹宵連夜、宮中ならびに諸国寺院に信徒 が相会して導師僧に仏名経なる経を誦せしめ、過去・現在・未来三世 諸仏の名号を称えさせては、それ ぞれの罪障を懺悔し、その消滅を願っていた法会が仏名会である。 他の諸々の仏会と同様主として平安 時代に顕著になっていたものが、鎌倉時代に入りようやく頽れ 行われ難くなった、とかように捉えられているのである。‥(中略)‥ この法会の営み方が具体にはどうであるかについては、『西宮 記』巻六に詳しいが、諸員参列の後導師が参上、蔵人が油を差すのを 待って礼盤につき、「当願衆生之 詞」--おそらく仏名経のこと--を読み終ると梵唄の声明楽が二段あり、 やがて堂童子より花筥をあ げると、それを受けとる散花僧は衆僧を率い礼盤下に並び 導師は礼盤を下り散花僧の列に立つ。散花の 誦を唄い梵音を唄い訖る。それから散花僧がしきりと仏名を唱え、 繰返し十度に及ぶ、というのがだいたいの式である。 (pp.339--369)
‥こんな感じだそうです。つまり 838(承和5)年以降、毎年ほぼ12月15〜17日の三日間、 仏名経に書かれてる諸仏の御名を唱えて罪業消滅を願う行事、と。そして鎌倉時代には 廃れていった、と。実際『建武年中行事註解』を見ると以下:
御仏名、十九日より三日なれど、今は大やう一夜なり。御帳の中に本尊かけて、南 のかべのまに、又南北に机を立てて、仏像、塔形をおく。仏前に香花などを備ふ、 二ふくかけたり、廟に地獄変の御屏風をたつ。いまの世は、大宋の屏風なり。地獄 へん見えず、 (和田英松(1903,明治36)『建武年中行事註解』,明治書院.
のようにあり、鎌倉時代末期、14世紀には一晩だけ・地獄変なし‥という感じで ギリギリ残っていることもあった。そんな感じだったようです。

 この仏名会、じつは浄土宗では今でもやっているようなのですが、 現在のスタイルと鎌倉期の関係とか違いとか、 そういった点については全然わかりません。

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導師様に仏名経を唱えていただく

 さて、この仏名経については このページの下のほうで簡単に紹介しますが、まあ簡単に言ってしまえば 仏様のお名前をズラッと列挙してあるお経です。 つまり「仏名会」というのは、導師様をお呼びして、 仏様のお名前を列挙したお経を読んでいただく会、という 感じになりますかね簡単に言ってしまえば。

 んで何故そんなことをするのかといえば。 「それぞれの罪障を懺悔し、その消滅を願って」のことだそうで。 つまり、現在でも「なんとなく、そういう気がしないこともない、というか 実際そうなってくれればと思わないこともないよ」という人も 意外と多いと思うんですけど、仏様の名前をお呼びすることによって、 ましてプロの呪師であるはずの導師様をお呼びしてやっていただくわけだし、 絶対自分の罪業が減るはずと彼らは思っていた、ということですよね。

 ということで一応まとめてみますと、当時の「導師様」は何を導くかといえば。 当時の圧倒的な先進国である中国から伝来の仏教という超強力な呪術のパワーを用いて、 我々の罪業を除去せしめハッピーな状況に導く師匠‥そんな感じですかね? 他の用例は不明ですけど。

つづく (仏名経について)

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