[みちのくプチ巡礼情報 :: 秋田県]

秋田三十三観音

The 33 Kannons of Akita. // 秋田三十三観音。

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第三世代(現在)

1982(昭和57)年、七尾・本郷両夫妻が古の『六郡巡礼記』の跡を巡礼した際の記録を 『秋田三十三観音巡り』(非売品。たぶん自費出版)として纏めます。 たぶん、この本で明らかになったんだろうと思いますが、「秋田六郡」の霊場のうち、 少なくない霊場が 明治時代以降に廃寺となったり、神社となって生き残りを図ったり、 そもそも場所が不明になっていたり‥という状況であることが確認されました。 これでは秋田三十三観音巡りをしようとしても できないよね、現代の観音めぐり には欠かせない(?)「御朱印」も集められないし‥というのを問題視する人たちが、 たぶん、いたのでしょう(今のところ、それがどういう人たちなのかよくわからないんですけど)。 「秋田六郡」の霊場で現在も寺院として機能している霊場はそのまま、 そうでない場合は秋田県内を対象として 代理になってくれる観音霊場を探して、 新たな「秋田三十三観音」を構築し直した成果がこの「秋田霊場(第三世代)」である、 と位置づけることができそうです。

実はこの際 重要な変化がありました。それまで「六郡」をエリアとしていたのをやめて、 「秋田県」をエリアにしていることです。これにより従来はエリア外とされていた 由利郡、鹿角郡もエリアに加わっています。それにより「秋田六郡」だったのが 「秋田八郡」になっています。いや、広すぎる秋田郡が明治期に北秋田郡と南秋田郡に 分割されたので、そうすると「秋田九郡」か。

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