[ みちのくプチ巡礼情報Top :: 秋田県 :: 久保田三十三所 :: 久保田と似たもの :: 能代 ]

能代三十三 (札打ち) -- 久保田三十三との比較

The 33 Kannons of Noshiro, as a resemblance of the 33 Kannons of Kubota (Akita City).

[前] History at a Guess // 起源 (憶測)

Date // 日取り

Pilgrims make two-day's pilgrimages twice a year: 1-2 May and 1-2 September.

 実は、いちばんわからないのがコレです。盆行事とか小正月行事とかであれば 先祖祭絡みの行事だということがわかっていいんですけどね。そうじゃなくて 二日がかりの巡礼を年二回、5/1-2と9/1-2に行うという日取りは何なんだろうと 考えてみてもよくわかりません[*1]

 ‥と思っていましたが、これはアレですかね 「三長斎月」「善月」というやつですかね。 正月・五月・九月は おとなしくして善行を行え、というやつなんですけど。 『四分律行事鈔資持記』(大正No.1805 元照撰) という書物に、こんな記述: 「年三者正五九月。冥界業鏡輪照南洲。若有善惡鏡中 悉現 或云天王巡狩四天下此三月對南洲又云此三月惡鬼得勢之時故令修善」 (T1805_.40.0406c21;[SAT][*2]) があるのを見つけました。大雑把に訳すと 「年に三回、正月・五月・九月。冥界の『業鏡』が世界を照らす。善惡あれば この鏡に皆映る。この三月は天王が巡狩すると言う人もいれば、 悪鬼の勢いが強いから修善すべきと言う人もいる。」‥だから、これらの月に 悪いことをすると後でひどい目に合うよ、だからレッツ善行!‥という感じの ものなんですけど。

 この善行の一環で巡礼を始めた、って感じなんでしょうか。 でも供養が目的だしなー。自分の滅罪というならそれでもいいかとも思うんですけど、 供養目的でわざわざ善月を選んで廻る、というのはちょっと腑に落ちないところは ありますよね。でも「善月」を使えれば、 「何故五月と九月なのか」について「昔は正月もやっていたかもしれないが、 正月のだけ自然消滅した」という考え方もできていいなあ、と。思うんですけど。

*註1
「赤田三十三観音札所」[URL]に よれば、赤田(由利本荘市)では現在も 9/1-2の二日間にわたって「札打ち」をする 風習が残っているんだそうです。 久保田を飛び越えて、赤田と能代が同根という可能性もあるんでしょうか。 ちなみに赤田のほうは「八朔の札打ち」、つまり旧暦8月1日(八朔)の作祭り行事の 一環としてスタートしたのでは説が有力ぽい感じです。これと能代を同根と仮定する場合、 5月の札打ちをどう考えるか‥。さすがに八朔の祭は5月にやらないはずですし。
*註2
SAT[*]で「正五九月」で 検索かけてみると、なんか中国とか日本で作成されたとおぼしき文献しかヒットしてくれません。 「南洲」とかあるとインド原産の話かな なんて思っちゃいそうになるんですけど、 インド産中国語訳の文献の中に「正五九月」という表現が見当たらないということは、 やっぱ「善月」の習慣も中国産ということなんでしょうか。‥‥まあ、その三ヵ月に 善行をすべき理由が「業鏡に自分の行為が映っちゃうから」とか「天王が視察に来るから」とかってのは、 まるで「目の前にパトカーがいるから安全運転を‥」とか「先生が見に来るときだけ自習は静かに‥」 とかいうのと次元が全く同じ話ですからね。本来的なインド仏教的な業の考え方だったら、 たぶん天王に見つかるかどうかは関係ないはずなので、そういうことを考えると、これって確かに 中国とか日本起源のほうが自然かなと。思わなくもないですよね。
[次] Recent Conditions // 昨今の状況