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能代三十三 (札打ち) -- 久保田三十三との比較

The 33 Kannons of Noshiro, as a resemblance of the 33 Kannons of Kubota (Akita City).

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History at a Guess // 起源 (憶測)

I guess female pilgrims prayed over not the dead dolphins but their dead family members especially their sons or daughters from the beginning.

 個人的に気になったところは、なんかこの巡礼はほぼ女の人ばかり なところです。 (久保田のほうは老若男女混在です。小学校低学年くらいの子どもも時折見かけます。深夜なのに‥。) 秋田市金照寺山三十三観音札所 [URL] の「註」でも紹介して いますが、五来重(2007)『石の宗教』,p.255 によれば 観音講(子安講)は観音の慈悲によって子供の成長と息災を願う、 主に女性の講なんだそうです。ほぼ女の人だけでの観音様巡り、ということで そのことを思い出しました。てことはこの能代の札打は、元は何か子どもに絡んだ何かが 発祥なのかな? なんて憶測したりします。ちなみに、また『能代市史 特別編 民俗』に 頼ると、以下のような記述がありました:

観音巡礼の札打 ちは、若い人が死んで、その死をいたましく思い、その供養のためにお参りするのだという。(p.651)
供養の巡礼というのは、やはり、一般的な葬送儀礼では供養し足りないほど 喪失感が大きかった人に対して、し足りない供養の埋め合わせ的な感じで開始するのが まあ自然かな、と思うわけです。なので私としましては、単に「若い人が死んで」と いうよりは自分とかなり深い関係にある若い人、やっぱ息子とか娘、というのが あるんじゃないかなー、と思いますけど。まあ完全な憶測です。というか私の勝手な 思い込みの域を出てませんね(^_^;

また、その憶測を補強する材料になるのかどうかはわかりませんが、 札打ちの際に遺影を持って回るのが普通、というのをどう解釈したらよいのかは 迷うところではあります。 遺影ってのは、やっぱ身内ですよね? しかも「先祖」という漠然とした ものよりは、もっとハッキリした個人が念頭にあるのではないかと。 ‥‥でも遺影って、太平洋戦争より前には行かないと思うんですよね。 太平洋戦争の戦中戦後の時代、戦死者供養として遺影を持って回る風習ができ、それが 一般化されて定着とするなら、それを札打ちの起源と絡めてしまうのは無理ですし。

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