The 33 Kannons of Kubota (Akita City) and "Fuda-uchi".
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巡礼スタイルについて。今では自動車巡礼が一般的ではありますが、 それに関する記事(投書)を『広報あきた』に見つけましたので、紹介させていただきます。
昭和四十三年に、親類の人に連れられ、長年の念願であった札打ちに行くことができた。この日は、割と天候には恵まれた。三十五の札所があり、約六時間近くかかった記憶がある。足を棒にするとはこのことであった。 途中、自動車に乗った巡拝者に大勢出会った。今では当たり前だろうが、当時、札打ちは徒歩でと思っていた私たちは不思議に思ったものである。 (『広報あきた』vol.946 (1984/02/10) 随想横丁)六時間! なんかムチャクチャ長そうなんですけど、他方
つまり1950年代は終戦後まだ間もないということなんでしょうか。巡礼者は非常に多く、 そして徒歩巡礼だった。しかし1960年代になると本格的な戦後復興・高度経済成長期に入り、 戦死・戦災で亡くなった人たちの記憶がようやく「過去のもの」化しつつあった。 それゆえ巡礼者は減少し、巡礼スタイルも自動車化していった。‥と、 そんな感じで総括できそうです。ありきたりな総括になっちゃってますけど。
ところで。上記検索結果の1953(S28)年の記事の「キーワード」の項目を見ると 「普門寺」と書かれてあります。 普門寺、この時期はまだあった、ってことですよね! うわー。この記事見てー!! (注: 別資料によると、普門寺は昭和15年に跡継不在のため廃寺、とありました。 情報が錯綜してますね‥)
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