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久保田三十三所 (札打)

The 33 Kannons of Kubota (Akita City) and "Fuda-uchi".


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2011(平成23)年1月16日(日)未明、実際に札所巡りをしてきました。

私たち一行の 巡礼のペースが昨年より約30〜40分早めだったからなのか知りませんが、 今年は去年と比較すると ずいぶん巡礼者が多いなあ、 なんだか盛り上がってるなあ、という印象を受けました。 天気が割と良かったというのと、土曜の夜、というのが大きかったんでしょうか。

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天候など

今年は風もほとんどなく、たまに雪がチラチラ降る程度ですので、 実に良いコンディションでした(^o^)

 昨年ムチャクチャ寒い思いをした反省を込めて、今年はかなりガッツリした 寒さ対策をしていったのですが、そしたら今度は03:本念寺のあたりで 汗がダラダラ出てきて、序盤は想定外の暑い思いをする羽目になりました。 気温は最終的には-5度くらいになっていたはずなんですけど、手がかじかむ ことはなかったです。好天(風ナシ)と寒さ対策のおかげですね!

 ただ残念だったのは道路状況ですね。この日は昼から天気がよく、陽が差していた のが災いしてしまったようで。昼に日差しによって中途半端に融けてしまった雪が 夜になってガチガチに再度凍結、その結果 車道はビックリするほどツルツルで、 最終的に一度も転ばなかったのが不思議なほど、足元はスベりまくりでした。

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所要時間

今年はちょっとフライングスタートで23時45分頃に泉熊野山地内の鳥居をくぐった んですけど。帰宅時刻は、というと午前4時40分でした。 今年は去年とちがってトラブルもなく、ほぼ計画的に回れたというのに、 それでもやっぱり5時間かかりました‥
たぶん「車は札所からちょっと離れたところに止める」「いちいち車のエンジンを 止めてる」といったあたりで時間食っちゃうんでしょうね。これは仕方ないか


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防寒対策:: 手元

昨年の教訓として「厚手の手袋はダメ。札所に着くごとに頻繁に着脱するので、結局は指先が冷えてしまう」 というものがありました。そこで今年は薄手の手袋の「ピタクロタッチ」 をすることにしました。このピタクロタッチ、かなり薄くて防寒という点では不安が残る、というより 不安しかない感じなんですけど。でもかなり薄いため、手袋したままポケットから小銭を取り出したり、 デジカメやiPod touchの操作ができたり、ボールペン等で普通に字が書けてしまうということが できちゃいます。基本的にピタクロタッチを脱ぐ事なく札打できちゃう点はポイント高いですよね。 やっぱ薄地とはいえ、素手とは雲泥の差ですから。

 しかしやはりピタクロタッチは薄すぎて防寒という点ではかなり不安なので、今回はさらに二重の措置を 取ることにしました。ひとつめはピタクロの上にさらにハンドウォーマー(指無しの手袋みたいなもの)の装着。 このハンドウォーマー、近所の100円ショップで買ったものなので製品名などは不明ですが、でもちょっと厚めなので 手の甲、手のひらの保温はバッチリな感じです。 そしてさらに「巻きポカ」 装着! これ、手首に巻くカイロで、手首を暖めるので効果あるかなと思い、装着しました。

 結果は‥風がなかったのが大きかったのかもしれませんが、手のかじかみは全くナシでした。 手首、手のひら、手の甲のあたりがキッチリ保温されているからでしょう、指先に多少冷たさを 感じたときは、手をギュッと握るだけですぐに暖かくなる感じです。 そんなこんなで巡礼の後半になると逆に手袋を鬱陶しく感じるようになり、ピタクロは脱いで 指なし手袋オンリーで回りました。それでも何の問題もなかったです。 対策しすぎ? でも寒いよりは絶対よいですからね‥

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昨年の札は「デカすぎて貼る場所を見つけるのがタイヘン。もっと小さくすべき」という リクエストがありましたので、台紙テンプレートをちょっと手直しして細くして こんな感じの台紙を作ってみたんですが、 基本的にデカさは変わってないじゃん、とぶーぶー言われました。そこでサイズを もっと小さくしたテンプレートを こんな感じ[mini]で作ってみました。

また今年は寒さ対策の一環として、シールにもちょっと工夫をして手袋をしたままでも シールを台紙から剥がせるようにしてみました。どういう工夫かというと。 シールの端を、ちょこっと折っておくんです。札の端をちょこっと折ってから、 そのあとに札を切り離すと、ちょっと作業はラクかなー、と。

 実際使ってみたところ、バッチリでした! ただシールをはがした紙が、 風が強かったりすると風で飛んでいきそうになったりしてましたので、 そこは何とか対策があるといいのになー、という感じでした。

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ハンドブック2011版

01:泉福院十王堂で「これ、どうぞ」と2011版(?)のハンドブックをいただきました。 泉の工藤さんという方のご寄進によるものです。 このハンドブックを見て、いくつか気付いたこと。 (どこに書けばよいのかわからなかったので、とりあえずここに書いておきます。そのうち 移動させる可能性があります。)

  • 七番札所が「牛島 万雄寺」になっている。萬雄寺は楢山なのでこの表記はおかしい。 もとは「宝袋院」になっていたのを消して「万雄寺」に書き換えた疑いが‥ (ただし理由はわかりません)
  • 十六番札所が「寺町(光明寺内) 歓喜寺」となってます。2007年の変更がちゃんと 反映されてます! さすが最新版!!
  • 他方、十三番が「下寺町 地蔵堂」、廿番が「寺町 東正院」、廿二番が「寺町 中央院」、 卅三番が「八橋 普門寺」と、おそらく明治末から昭和期に廃止となった(のではないかと私が 勝手に妄想している)札所については相変わらず そのままです。
  • 廿五番が「新寺町(普伝寺内) 薬師堂」となっていますが、これは私の手元にある 1974(昭49)年版ハンドブックと同じ表記になってます。
  • 皈命寺が32番、普門寺が33番となっています。(「全良寺」の表記は一切ありません)
  • ご詠歌の内容を1974(昭49)年版と比較してみますと、 一部文字の濁音があったりなかったり、あるいは「え」か「ゑ」かで 若干の相違が見られる、表記の異なり程度で、歌そのものは同じと見てよさげです。
やはり一番気になるのが十六番札所の「(光明寺内) 歓喜寺」ですね。13,20‥などの 札所に関する表記が昔のままで現状をまったく無視したものになっているのに、 ごく最近変更になったばかりの16番札所だけ何故現状に即した書き換えが行われたのか。 「何だかわかんねーけど、(16:歓喜寺以外は)昔からそう書いてたから そのままに しておいた」という感じなんでしょうか。そのへんの経緯が非常に気になるところですが‥

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