No Slips of Peper in Each Temple // 「札所」について
Don't stick the pilgrimage slips of paper on the temples of
the 33 Kannons of Sendai. If you want to stick the slips of paper,
look over other 33 Kannons such as Kubota[URL] or
Mogami.
これらを「札所」という言葉で説明してるサイトも結構多いですけど、
札を持参して行ってもどうしたらよいのか、どこに納札するのか というのは、
正直よくわかりません。札を納める場所も、貼付けられた札を見かけることも、
ほとんどありません
[*1]。(「あれ、どうやって貼ったんだよ」と思っちゃうような、
千社札みたいなやつが ものすごい上のところに貼られてたりするのを見ることは、あるか‥)
‥‥と思ってたら、32番常蔵院観音堂で、
平成九年と平成十年という日付の入った札が二枚、貼られているのを見つけました(上写真:2010/7)。
10年以上前に貼られた札が2枚あるというのは、つまり札は定期的に剥がされているから
貼られたままになっていることがない、ということではなく、単純に、
(すくなくとも現在の)
仙台三十三観音は札を貼るものじゃないから 貼られてないということなんですかね。
とするならば「札所」という呼び方をしてよいかどうか、迷うところではあります。
ただ「じゃあ各「札所」を別のどういう単語で呼べばいいの?」といったあたりは
悩ましいところですね。無理に他の単語を使うのは一種の言葉狩りのようにも思いますし。
‥ということで、本ページでは「札所じゃないのに‥」と思いつつも「札所」と呼ぶ
ことにします
^^;
ネットで仕入れた情報では、
ここ専用の御朱印帳の表紙には「仙台三十三観音堂巡り」と書いてあるらしいんですけど、
敢えて「札所」という言葉を外してあるのではないか?と疑いたくなってしまいます。
- *註1
-
例外は06:荘厳寺観音堂で、観音堂の脇に木札がビッシリという感じで貼付けられています(左写真の下のほう)。
ただ、私の憶測なのですが、これら木札は全部形が揃っているところから考えると、おそらく
荘厳寺さんか檀家の方かはわかりませんが、誰かの企画でやっているのではないかと思われます。
となると、巡礼の人たちが勝手に札を貼付けていく自然発生的なものとはちょっと違うかな、と
思わないこともありません、よね。
仙台三十三観音とは異なり、(まさに「札打」の字のごとく)所定の場所に
(巡礼者が自分で持ち込んだ)木札を打ち付けたり、
紙札を貼付けたりといった昔の風習が現存する観音札所もまだあります。たとえば
山形県の最上三十三(中写真)、秋田県の久保田三十三(右写真)などです。
久保田三十三の札については、こちら[URL]をどうぞ。
木札を金槌と釘でガンガン打ち付けるシーンをはじめて目の当たりにしたときは
ビックリしました。その音に