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あるとき仏は鳩尸那城の跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に入られるところであった。 声聞弟子たちが仏の周囲をかこみ、 菩薩たちも大勢集まり、神々や人々も集まっていた。 そこで仏は涅槃経前分を説き終わり、 さらに涅槃経後分、そして遺教経を説かれるのを、皆が集まって待っていた。 (pp.183--188)
[2] そのとき世尊は光輝かれ、閻魔国を照らし出された。 閻魔王、十大王たち、獄司候官、司命令神、司録記神、閻魔使者、羅刹婆など、 おおぜいの異類鬼神どもが忽然と姿をあらわし、世尊を礼拝した。
世尊は輝きをやめ、閻魔法王に仰せ。「この娑婆世界の者どもは皆、愚鈍で無知蒙昧で 親孝行せず因果の法則を信じず。心の赴くままに五逆四重十悪をおこない、 皆もれなく閻魔の地獄に堕ちている。冥途に行ってさえそれに気付かない。 私のような仏でなければ、誰が慈悲をかけてくれるというのか。 孔雀経に百歳まで生きる術があるが、しかし結局は生命は尽きるのである。 四苦八苦とは言うが、それはほとんど「楽」といってよいレベルだ。 冥途で受ける極苦と較べれば。このことを今、私は簡単に述べよう」
閻魔法王、王たちは立ち上がって合掌し、仏に申し上げる。 「世尊、すばらしきことです。釈迦牟尼法王、平等の大慈大悲ゆえ、我等がため 三塗の闇をお照らしくだされ」 (pp.188--191)
[3] 世尊は閻魔王、秦広王などに仰せ。 「すでに説いたことだが、衆生たちは皆、六識、八識、九識なるものを持つ。 しかしここでは二説のみ説こう。それは魂識が三つ、魄識が七つというものだ。 魂識の三つとは、胎光業魂神識、幽精転魂神識、相霊現魂神識。 これらは阿頼耶識を三分割したもの。 この心性心相は水中の波のようなもので、不二かつ二である。 まずこの心の「性」。それは法身法身応身の本性、本覚の如来のことであり、 衆生は皆、この三身の如来を具えている。 私はこれに気付いたゆえ菩提樹下で成道をなし、そして双樹下で滅するのである。 そして「相」。この三魂は、善悪の業ゆえ輪廻を繰り返し、苦を受け楽を受け、休む間もない。 悪業を作ってしまったゆえの三塗(地獄餓鬼畜生)の苦は、まさに今の衆生どもを 見ればわかる。私が修行により苦を脱したように、 衆生すべてに仏道を修めさせんとすることも、知ってのとおり。 魄識の七つとは、 雀陰魄神識、 天賊魄神識、 非毒魄神識、 尸垢魄神識、 臭肺魄神識、 除穢魄神識、 伏尸魄神識である。 七転識に関して「性」「相」で分けて論じるべきことは、魂と同様である。 (pp.191--196)
[4] 生命尽きるとき、閻魔法王は使者を送る。奪魂鬼、奪精鬼、奪魄鬼である。 彼らは魂を(死天の)門前に拉致する。門前の樹には、するどい刃のようなイバラがある。 樹の主は無常鳥、抜目鳥という二羽の鳥で、こう言う。 「汝が生前、ワシはカッコウの姿をして奇声を発しホトトギスと鳴いておった。」 「ワシはカラスの姿をしてアワサカと鳴いておった。覚えておるか?」 「いや全然」‥すると鳥どもは激怒して「汝は生前、罪業を恐れず。 その悪心に罰を与えるため、ひたすら汝の脳をすすってやる。」 「ワシは目を抜いてやる」‥。 そののち門を過ぎる。閻魔王の国境、死天山の南門を通過するとき。 門柱が狭まって 皮肉は裂けて骨も断つ。骨髄も漏れる。再度死ぬから「死天」というのだ。 ここから亡者は死山を登ることとなるが、急坂で杖が欲しいし、 路面がボコボコで草鞋が欲しい。 だから葬送の時、三尺の杖、地蔵の書状・随求陀羅尼、草鞋を具えるのだ。 死出山の南門の門柱は、ちょっとでも善行を行った者に危害を加えることなし。 この死天から冥途までは500ヨージャナの距離なり」
秦広王、これを哀れみて頌する。
いのち尽き 死山こえて ようやっと 閻魔王宮 近づけり
死天山 衣も食もなく 路をゆく 寒さと空腹 我慢しきれぬ
ある神様の偈。
亡くなって 一七日の 中陰に 重ねた業数 塵山のよう
取り調べ 初王の前で 行われ ここまで来ても 奈河津はまだ先
亡き者を 召して門前 坐らせて 死天山門 鬼神集まり
尋問は 殺生したかを 尋ねられ 棒で叩かれ 答えも困難
「一人目の秦広王は、不動明王である。 (pp.196--204)
葬頭河の曲がり、最初の河辺のあたりに庁舎が並ぶ。 指示された場所で大河を渡る。 これこそ葬頭、奈河津であり亡者たちが渡っていく。 渡る場所は3つある。急流のところ、深いところ、橋のあるところ。 庁舎の前にある衣領樹という大樹の下に、 奪衣婆、懸衣翁という二鬼あり。 婆鬼は盗みの罪を咎め、亡者の指を折る。 翁鬼は不倫を憎む。亡者の頭を足に押し付けさせ(?)、 男に女を背負わせ二人にタガをはめ、急流を渡るよう追い立てる。 婆は皆を樹下に集め、衣服を脱がせる。翁は衣服を枝にかけて 各人の罪業の軽重を調べ、次王に報告する」
ある神様の偈。
二七日 亡者はついに 奈河渡る とにかく大勢 河渡りゆく(pp.204--208)
先導の 牛頭は鉄棒 肩はさみ 馬頭は叉 腰打ちたたく
牛使い 牛食う者には 牛頭来たり 馬に苦あれば 馬頭多く来る
全裸ゆえ 凍てつく寒苦 身にしみる 翁は悪眼 とがる牙むく
二番目の川岸、庁舎の前には悪猫、大蛇集まる。 亡者は乳房を裂かれ、身体をトグロ巻きにされる。このとき極卒は言う。 『我等の責めを、やりすぎと思うか。 おのれの犯した邪淫の罪業は、この程度では消えぬ。 次王の責めはどれほどか、見当もつかぬわい』」
ある神様の偈。
亡き人は 三七日に 思いしる 冥途の長さ その険しさを(pp.208--210)
各人が 地名を聞いて 「まだここか」 五官王へと 駆られ送られ
三番目の川岸に庁舎があり、その左右に秤量舎、勘録舎あり。 左の秤量舎の高台には秤量旗が立っていて、そこで身口など七罪の軽重を計測される (ただし意業、「そう思っただけ」は除外)。 そして鏡に写る自分の姿を見せられる。 この秤量の結果には三つある。1) 一斤(600グラム?)を越えたものは重罪とし、 軽重に応じて十六地獄に。 2) 一両(38グラム?)以上は中罪、餓鬼罪に。 3) 一分(0.4グラム?)なら下罪、畜生罪に。 悪事の調査は『嘘をついてないか』から始まる。 秤にかかる時は、秤に近づくだけで勝手に秤が動き出す。 『汝のおかした罪はたいそう重いものじゃのう』と言われた亡者は 『いや。まだ秤に乗ってないし。デタラメ言うな』と返すが、 秤に乗せられると そのとおり。亡者はガッカリ。 極卒はこの結果を勘録舎に伝える。赤紫色の冥官は計測結果を調べ、 光禄は検印を押し、この結果を閻魔宮に知らせる」
ある神様の偈。
そびえたつ 五官の秤 業はかる 左右の童子 そを書きしるす
業罪の 軽重決めるは 無情にも 自分の昔の 所業それだけ
二人の童子の偈。
善童子 影のごとくに 離れずに 善行もらさず 聞き記すなり(pp.210--215)
悪童子 声と不可分の 音のように すべて記録す 汝の悪事
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